愛憎

 リノはアリダと連れ立って歩いた。彼女の片腕は折れたまま固定されたので、すっかり動かなくなっている。リノはすっかり満足していて、アリダが転んだりしないかを心配していた。受け身を取れないから、支えてあげなければ。リノはそっとアリダの腰を抱く。アリダは触れられて体をびくつかせた。何で触れただけでそんなに脅えるんだ? まるで俺がアリダに危害を加えたみたいじゃないか? アリダは何も答えない。リノは苛立ちを大きくさせる。そして、愛しさも。

 リノは、アリダのことは好きだと言う。ただ、風の民に恨みがあるのだと。

 アリダはもうずっと無口で、ぼーっとしている。

 始まりが何だったのか、もう誰にもわからない。


 幾多もの雨粒がリノの家の窓を叩く。雨、やみませんね、という溌溂としたアリダの声が聞こえた気がした。アリダはどこにいるのだろう? 探してみると、部屋の隅で膝を抱えている。

 リノがアリダに何か言葉をかけようとした時、雨にも関わらず家の扉が叩かれた。こんな時間に何の用だ、と少し憤ったリノが応対する。その人物はフードを被っていたのを脱いだ。後ろ髪に二本の触覚、レアルコだ。

 彼はとても急いでいるようで、リノに挨拶もそこそこに「アリダを許してやってくれ」と迫った。

 リノは信じられないものを見る目をした。

「許す? レアルコだけはそんな言葉言わないと思ってた」

 レアルコは数秒下を向いて、決心して向き直った。

「アリダのおかげで、私は生まれて初めて本当の優しさを知った。今では恩人のようなものだと思っている。リノ、もう好き放題しただろう? 私はアリダを支援する」

 レアルコは明朗とした口調で告げた。武力行使も辞さない様子の彼に、流石のリノも相手が悪いと気が付いた。

「……アリダ」

 リノは、心のどこかでアリダを信じていた。自分の元に残ると宣言してくれはしないだろうか、と。

 しかし、呼ばれて立ち上がったアリダは、リノには目もくれずレアルコの元に行った。

 リノは裏切られたような気持ちで、レアルコがアリダを連れていくのを見ていた。

 レアルコにただぼーっとついてくるだけのアリダは、声をかけても反応をしない。心が壊れている……レアルコはそう察した。


 アリダは、レアルコの屋敷に身を寄せた。

 といっても、何をするでもなく、ただひたすら与えられた自室で眠り続けている。目が覚めても反応はなく、また眠るのみの生活をしている。

 暖かな優しさに触れられたレアルコは、感謝の気持ちでアリダが目覚めるのを待っている。自身が幼子であった時に、乳母にされたように頬を撫でてみたりする。

「アリダ、起きて」

 アリダは身じろぎもしない。

 そんな生活がしばらく続いたであろうか。雪が解けた頃、レアルコの元に吉報が届いた。

 ピッピが役所を訪れたのだという。すぐに部下に連行させ、応接間で対面した。

「アリダに呪いをかけたね?」

 ピッピは怯えている。

 レアルコはどう説得しようかと考えていた。アリダにかかっている呪いから、強い怨嗟だと推察できる。リノのそれよりも純粋な呪いだった。

 最悪拷問にかけてでも、解呪してもらわなければ。……できるか? 今の自分に、拷問が? 最近、以前好んでいたそれらの仕事が、辛くてたまらない。仕事に支障が出ている。この件から手を引くべきか……いや、アリダだけは救ってやりたい。自分が救われたのだから。

「え、ええ。アリダに呪いをかけました」

「解いてほしいんだ」

「えぇ……」

 ピッピは面食らった。残酷だと有名な”慈悲深いレアルコ”が真剣な目でそう言うものだから。

「ただでとは言わない。いくらかの要求をのむ準備はある」

「本当に……? では、減税を認めていただけないでしょうか」

 ピッピはそっと慎重な額を口にした。レアルコは二つ返事で返す。

「いいよ!」

 晴れやかな笑みだった。


 そうして、アリダにかかっていた不幸の呪いは解けた。

 眠っているアリダの顔色に赤みがさす。目を開き、レアルコを認識した。

「ひっ……」

「そんなに怯えないで……」

 レアルコは苦笑する。

 ここ最近、レアルコは毎晩アリダの祈りの入ったワインを飲んでいた。そのせいか人が変わったようだと言われている。それでも怯えられるのは、以前までの自分の行いがズレていたからだと認識できていた。だから苦笑する。

「リ、リノの元に帰らなくちゃ……」

「それはダメ」

 レアルコがアリダの肩を掴んで優しくベッドに押し戻す。君は療養しなくちゃいけないよ。次壊れたら治す方法がわからないよ、と。

 それから、レアルコは、アリダの動かない腕をそっと寄せ、曲がって固まった骨をゴキっと音をさせてへし折った。

「いーった……」

「ごめんねー?」

 痛みで声も出ないアリダの腕を更にいじる。レアルコは、趣味で人の体を玩具にするから、人体に詳しい。その知識を活かして、正しい腕の位置に折り直したのだ。

「痛い、痛い……」

 ああ、可哀想。レアルコは、可哀想な生き物が大好きだった。矮小で、なんだか惨めな彼らを見ていると、胸の内がぞくぞくと高揚するのだった。

 だけど今は、胸の痛みを抱えている。忘れてはいけない感覚だ、と直感する。この痛みこそが、慈悲の心なのだ。自分が最も憧れていたもの。決して手には届かないと思っていたもの。

「ごめんね。これ以上痛くしないから……アリダ、ありがとう。君のおかげで私は優しさを知れた」

「は、え? 何のことです……?」

 やっと言えた。レアルコはずっと感謝していた。その優しさが、たとえ長続きしないものであっても、ただ一度の優しい思い出を作りたかった。

 ピッピから買い取った一樽分のワイン。徐々に魔法に対する抵抗力が身に付き、飲む量が増えている。同じワインは二度と作れないだろう。

「ありがとう……」

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