試飲

 あれからフラストは真面目に働き、何の問題もなく三人は日々せっせと樽の中身をかき混ぜていた。ピッピもそれからフラストに突っかかることもなく、声を荒げる必要もなかった。

 櫂入れが終わり、果皮や種子を取り除く。密閉せず、空気が通るようにしながら、しばらくそっと熟成させるのだ。

 葡萄はかなり発酵が進み、アルコールと呼べるものになった。

 熟成させる前の状態でも、飲めないことはない。味見をしよう、とアリダが一口飲もうとしたところで、鼻にアルコールが抜けていき卒倒した。フラストに支えられて一瞬で目が覚める。

 味見はできなかったが、あと二週間もあれば完成するだろう。

 久々に醸造所を訪れたリノは、ピッピに勧められてワインの試作を試飲した。

 強いアルコール度数、キリリとした辛口に、樽と葡萄の華やかな香り。出来の良さにリノは憎悪した。


 熟成を待つ間のとある一日、アリダ、ピッピ、フラストの三人はピクニックに出かけた。アリダの発案だ。

 あれからピッピとフラストの間には時折気まずい空気が流れるようになった。フラストは人格否定されたショックを忘れられず、でも素直になろうと努力している。ピッピは、最近のフラストの誠実な態度を懐疑的に思っていたが、あの時は言いすぎたかもしれないと思い始めていた。

 アリダだけが両者ともに明るく話せる橋渡し的存在になっていた。

「もう少し歩いたら、開けた道に出るから! そこまで頑張ってね、ピッピ」

 アリダは出発してしばらくしてから、ピッピの足のことを思い出した。

 ピクニック先として選んだのは湖の見える森だった。いつも足を引きずっている彼は、しかし多少バツが悪そうに「実は詐病なんだ」と言った。

「詐病? 確か、先天的に足が弱くて徴兵を免れたって……」

「ああ、よく覚えてるね。弱いのは足じゃなくて内臓なんだ。心臓。でも、見た目でわからないだろう? それで徴兵から免れると、やっぱりちょっと言われちゃってね……」

「ああ、見た目でわかる方がいいってことか」

 フラストも納得する。先の大戦では、魔族同士での身内争いが酷かった。本来の敵国である人間達と相対するより、下剋上を狙う輩や同族争いが激化してしまった。信じられるのは己と家族だけ、その家族もいつ裏切るか……そして、国力を減らした魔族達は、人間の国に有利な条件で不可侵条約を認めさせられた。

 まあ、仕方ない。魔族なんて、皆、自分が一番可愛いのだ。そういった価値観が共通して流れているからこそ、今回のような結果に落ち着いたのだろう。

 不可侵条約を理解できる知能の無い者は今までと同じ。知能のある者でも、隠れて何をしているかなんて知れたものではない。内戦が一旦終わった、それだけの結果だ。

 アリダのような基本定住しない風の民、フラストのようなならず者は徴兵にも配給にも縁はなかったが、弱小魔族であるピッピは家族を皆徴兵に取られている。もう少し戦争が長引けば、ピッピにも徴兵令が出ていたかもしれない。

「足は元気なんだよ。ピクニックくらいなら心臓も大丈夫。心配かけてごめんね」

 ピッピは困ったように笑っていた。秘密を共有することができる程度の仲にはなれたということか、と、アリダは胸を撫でおろした。三人は着実な足並みで湖に向かう。


 開けた場所に出た。空の色を反射して青く色づいた湖がキラキラと光る。木漏れ日が地面に模様をつけ、気持ちの良い空気が肺に満ちる。

「懐かしいな。昔ここへ家族で来たことがある」

 ピッピはそう言い、フラストは「こんな場所があるなんて知らなかった」と正直に言った。

「へへ、散歩中に見つけたんだ。邪魔な木は伐採して見通しを良くした」

「そんな身勝手な……」

 ピッピは呆れ、フラストは久しぶりに噴き出して笑った。

 よく見れば本当に伐採した跡がある。

 これだけ広いと、飛びたくなっちゃうな。アリダはそう言って、とんとん、と地面を何度か蹴った。風の靴が優しく光る。

 翼もないのに飛翔するその姿は、人形のように神々しい。ひよこ色の髪が空に溶けていくように見えた。ピッピとフラストは思わず口を開けて見惚れる。

 身を空に投げ出す様は、己を神の供物にでもするかのようだ。自由気ままに空を泳ぐ魚。アリダはそんな気持ちだ。

 空を飛ぶ時は、何も考えなくていい。明日のことも、昨日のことも。自分に向けられる憎悪も、愛も、何もかも全て。地上に置き去りにして、空を舞い踊る。

「……綺麗だ」

 二人はアリダに心を奪われていた。

 気が済むまで飛び回ったアリダは、二人が何もせずにぽかんとこちらを見ているのに気が付き、不思議に思った。

「どうしたの、二人とも」

「いや……いいものを見せてもらった」

「俺も」

「うん? よくわからないけど……良かったね」

 三人はそれぞれ余韻に浸りながら昼食のサンドイッチを食べて、帰路についた。

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