第2話 エル・ドラド


 師ミスリィの亡骸は、家のすぐ近くの花畑に埋めた。


 錬金術師の工房というのはえてして人里離れた山奥にある。

 錬金術師という人種がなにより不浄を嫌うためだ。


 清浄なる水と肥沃な大地、手つかずの自然、

 そして夢で見た光景のようにどこまでも広がる花畑。

 その一生のほとんどを血生臭い戦場と、陰謀渦巻く宮廷で過ごした彼女の最期の場所として、これ以上はないと思われた。


「片付け終わりましたよ、師匠」


 土の下で眠る師に告げる。

 師匠の言いつけ通り、一晩かけて工房の後始末を済ませた。

 実験器具は全て処分して、錬金術書は一冊残らず燃やした。

 ここに錬金術師がいた痕跡はもはや欠片も残っていない。

 残るは一軒のあばら家とわずかな家具だけ、そしてそれも時間とともに朽ちてゆくのだろう。


 名残惜しい気持ちもあるけど、それでもぼくは行かなくちゃ。

 師匠最期の教えに従って……、


「――ミスリィ様が逝ったようですね」


 ふいに、若い女性の声がした。

 師匠以外の人間の声を聞くのが久しぶりすぎたのもある。

 でも、それ以上にその声が鈴を鳴らすようにりんと美しかったものだから驚いてしまった。


「……?」


 振り返ると、花畑に一人の女性が佇んでいる。

 どうしてこんな山奥に女性が? という当たり前の疑問が吹き飛んでしまうぐらい――美しい女性だった。


 師匠も顔だけで国を傾けられそうなほどの美女だったけれど、こっちはなんというか次元が違う。

 黄金比とでも言うべきか。その無表情も手伝って、少女はある種作り物じみた人外の美しさをたたえている。

 そして師匠と同じ、白銀の髪だった。


「どちらさま?」


「はじめまして、わたくしの名はエル・ドラドと言います」


 黄金郷エル・ドラド


「正確には錬金実験体788番『対魔特化型決戦兵器エル・ドラド』、かつて十七人の大錬金術師アデプトによって作られました、どうぞ気軽にエルとお呼びください」


「ああ」


 合点がいった。

 その人外じみた美貌、作られたという表現。

 そして額に書き込まれた「emeth」の文字――。

 なるほど、彼女の正体は、


「――人造人間ゴーレム、か」


「はい」


 そう言って彼女、もといエルは首を縦に振った。

 その際、左右で色の違うオッドアイが宝石みたく輝いた。

 右眼が金で左眼が銀。

 なるほど「太陽の右眼と月の左眼」、洒落ている。


「十七人の大錬金術師全員の生命活動の停止……すわなちミスリィ様の死後起動するようプログラムされておりました」


「……初耳だ」


「そういうあなたは?」


「ぼくはペルナート……ペルナート・ディラストメネス、ミスリィ・ディラストメネスの元弟子で、たぶん、世界で最後の錬金術師だ」


「はあ錬金術師、それは好都合にございます」


「好都合っていうのは?」


「少なくとも人類を絶滅させずに済みそうです」


「……うん?」


 エルがあまりにもさらりと聞き捨てならないことを言うので、ぼくの背中に嫌な予感がのぼってくる。


 ゴーレムというのは要するに使い魔のようなものだ。

 作り出された以上は、なんらかの命令が与えられる。

 なら……、


「……エル、一応なんだけど、君の至上命令オーダーは?」


となっております」


 彼女は、さらりとそんなとんでもないことを言ってのけた。

 その口ぶりからなんとなく察していたけれど顔が引きつってしまう。


「どうしてそんな馬鹿なことを?」


「ペルナートさまもご存じでしょう? 錬金術師たちは長い時間をかけて人類の発展に大きく寄与してきたというのに……愚かな大衆は魔術を選び、あろうことか大恩ある錬金術たちを迫害しました」


「いやまあ、確かにあの頃はずいぶんと肩身の狭い思いをさせられたけどさ……」


 でもあれは末期に錬金術師を騙る悪質な輩が大量に湧いたのが原因の大半を占めている。

 完全に体系化された魔術とは違い、錬金術は徹底的な秘密主義で、とかく詐欺に利用されやすい。

 権力者たちにすり寄って「研究費をくれれば不老不死の薬を作るよ、黄金だって意のままに錬金できます、しかし錬金術は秘伝の奥義なので詳しくはお教えできません」なんて具合で金をむしりとるのだ。

 だから錬金術師を憎む人たちの気持ちも分かるけど……、

 きっと彼女は、聞く耳を持たないだろうな。


「極めつけは錬金術師狩り――錬金術師たちは我慢の限界でした。そして十七人の大錬金術師が最後の切り札としてその技術を結集し、私を作ったのです、愚かな大衆と、にっくき魔術師への復讐のために」


「……なるほどね」


 ――私が死んだら後片付けをよろしく頼む――

 師匠が死に際に放ったあの言葉の真意を、今になってようやく理解した。


 ……師匠、あなた一体、なんてものを作ってるんだ。

 あの人のことだ、どうせ「面白そうだから」とかそんな理由で手を貸したんだろうけど、ともかくあなたは鬼だ。

 たった一人の弟子にこんなにも大きなを残していくなんて。


「ご安心ください、ペルナート様の身に危害が及ぶことはございません。では早速、わたくし今から人類を滅ぼしてきますので」


 ……仕方ない、これも弟子の責任か。


「悪いけどエル、ぼくは君を邪魔しないといけないみたいだ」


 エルがぴた、と動きを止めてこちらを見た。


「今なんと?」


「ぼく、ペルナート・ディラストメネスはエル・ドラドの至上命令実行を阻止する。どうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ」


「……発言の撤回をおすすめします」


「悪いけどできない相談だよ、この命にかえても」


「そうですか、残念です」


 そう言うと、エルはゆっくりとこちらへ手をかざした。


 ……ゴーレムに刻まれた至上命令は、いわば魂の契約。

 それは他のあらゆることに優先される、例外はない。

 エルはたとえ両手足をもがれようと命令の遂行を優先するし、これを邪魔する者がいれば容赦なく排除するだろう。


 だから……、


大いなる作業マグヌム・オプス――《ルセピィサ》」


 彼女がそう唱えた直後、ぼくは実に呆気なく、死んだ。



  ◆◆◆



 はっきり言って不本意でした。

 何故なら、わたくしにとっては全ての錬金術師が産みの親のようなものです。

 だからこそ、せめて苦しまない方法でペルナート様を楽にしてさしあげました。


「ペルナート様、わたくしも錬金のわざが使えるのです」


 ――大いなる作業マグヌム・オプス《ルセピィサ》。

 それは空気を変成させる錬金術。

 これにより、苦しむ間もない一瞬でペルナート様の生命活動を停止させたわけでございます。


「……何故、勝てないと分かって挑んだのか、理解に苦しみます」


 もはや物言わぬペルナート様の屍に語り掛けました。

 先ほども説明した通り、わたくしは十七人の大錬金術師が作りあげた「兵器」なのです。一人の人間に、止められるはずがないでしょう?


 まあ、それももうどうだっていいこと。

 わたくしはただのゴーレム、至上命令を実行するのみ。

 創造主様の意向に従い、ただ人間を殺し尽くすのみなのです。


「さようなら、最後の錬金術師様」


 私はペルナート様の死体に背を向けて……、


「――友達を百人、作るんだ」


「!?」


 驚いて咄嗟に振り返りました。

 ……なんということでしょうか……!


「よき友人を作り、よき恋をし、よき人生を送り、よき最期を迎えよ」


 ペルナート様が何事もなかったかのように立ち上がっております!?


「師匠の最期の教えなんだ。だから人間を殺させるわけには、いかない」


「なっ……!?」


 おかしい、そんなことあるはずがありません。

 わたくしはつい先ほどペルナート様の生命活動の停止を確認しました。心臓は確かに一度止まったはずなのです。

 死んだ人間が蘇るなんて、そんなことありえるはずがない!

 でも、じゃあ、目の前の光景は一体――!?


「っ! 大いなる作業マグヌム・オプス《ルセピィサ》!」


 わたくしは再び彼に手のひらをかざして、唱えます。

 しかし――、


「もうその業は効かないよ、身体の方を作り直したから」


「…………!?」


 効かない。

 ただひと吸いで昏倒する猛毒の気が充満する中で、彼は何事もないかのように服の埃をぱんぱんと払っています。


大いなる作業マグヌム・オプス《ルセピィサ》、空気を変成させる錬金術かな? 頭痛、吐き気、めまい、この症状は……ぼくの周囲の大気の数%を一酸化炭素に変成させたね? いやあ死んだのなんて何十年ぶりだろう」


 まさか、いえ、信じられません。

 しかし、ここまできたら信じるしか――!


「ペルナート様、あなたはまさか……完成させたのですか!? 錬金術師たちの永遠の夢を!? 賢者の石不老不死を!?」


「そんな大層なものじゃないさ、人より少し死ににくいだけだよ」


 そう言って彼は、困ったように笑いました。

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