第9話 おこんばんは


 すっかり日も暮れた、洞穴の中で。


「なんなんですか!? あの不躾な連中は!」


 エトナ一行が去った途端、エルがぷりぷりと怒り出した。

 こうしていると年端も行かない少女に見える。

 ……なんだか段々と彼女に親しみやすさを覚えてきたよ。


「ペルナート様に刃を向けただけでなく、あんなにも気安く触れるなんて! この方は歴史上最も優れた錬金術師なのですよ!? B級だかなんだか知りませんが、無礼にもほどがあります!」


「まあまあ、ぼくはそんなに大層な人間じゃないし、そもそも錬金術師とは名乗ってない。それに気さくで良い人だったじゃないか、麓の町までの道のりも教えてくれたしさ」


「……やけにあの女の肩を持ちますね、ペルナート様」


「え」


 エルがじとーっとこちらをねめつけてくる。

 今、エルの標的が変わったのを確かに感じた。

 軽くたしなめるだけのつもりだったんだけど、まさか藪蛇?


「ペルナート様?」


「は、はい」


「わたくし、はっきり申し上げて、嫉妬しております」


「嫉妬……」


「かわいめに言うと、やきもちです」


「やきもち……」


 やきもちを表現するためか、エルはぷくーっと頬を膨らませている。

 とんでもなく顔が整っているせいか、そんな子どもっぽい仕草が余計に可愛く見えた。


「わたくしだけでよくないですか?」


「おっしゃってる意味が、ちょっと……」


「世界を滅ぼせるぐらい強くて、なんでも言うことを聞いて、ペルナート様の偉大さを誰よりも理解していて、そして可愛い……そんなわたくしだけで、よくないですか?」


「……明日は早くから山を下りないとだし、もう寝るね」


「ああぁーーっ!? 話を逸らしましたね!? じゃあせめて添い寝で身体を温めて――」


「寝てる間にそれ以上近付いたらちょっと嫌いになっちゃう、かも」


「おやすみなさいっっ」


 しゅばっと、素早い動きで自分の寝床へ戻るエル。

 ……ふう、やっと静かになった。

 前の殺人機械じみた彼女もどうかと思うけど、これはこれで身が保たないなぁ……。


 ……でも、


「ふふ」


 自然と笑みが漏れてしまった。

 長い間ずっと、師匠と二人きりで静かに暮らしてきた。

 そんな時間も幸せだったけれど、この騒がしさもまた楽しくてたまらない。


 師匠、ぼくは今日初めて弟子ができました。

 それだけじゃありません、なんと生まれて初めて友達ができたのです……。


 ぼくは実に安らかな気持ちで、まどろみへと落ちていった。



  ◆◆◆



 夜間に見張りを立てないなんて、とんだ素人じゃないか。

 俺――シディ・シダーは暗闇の中でほくそ笑んだ。


「戻ってきて正解だったぜ」


 案の定、あの二人は洞穴の奥で呑気に夢でも見ているらしい。

 だったら予定通りだ。


 俺は風向きを確認すると、集めてきた生木へ火種の魔術で火をくべる。

 湿った生木からは、ほどなくしてもくもくと白煙があがりだした。


 ……まったく、あの脳筋ドラゴニュートにも困ったもんだ。

 腕っぷしは強いが、頭が硬すぎる。

 報酬の辞退なんてとても正気の沙汰とは思えない。


「だいいち、俺はこの仕事だって乗り気じゃなかったんだ」


 魔猪ゴア・ボアの討伐。

 俺は夜の山の案内人としてエトナのパーティに招かれた。

 森に詳しいエルフがあてがわれる、リスクばかりでリターンの少ない、いつも通りの仕事。

 まったく、うんざりだ。


 俺がなんのためにエルフの里を出て、冒険者になったと思う?

 誰もがうらやむリッチな暮らしをするためだ!

 断じてこんな泥仕事をやるためじゃない!


「俺はもっと、賢く稼ぐ」


 十分に煙が立ったのを確認すると、俺はある魔術を詠唱する。


「ストーン・ウォール」


 ずおおおっという地鳴りとともに、石でできた壁が地面からせりあがってくる。

 果たして石の壁は洞穴の出入り口に蓋をした。

 しかし完全に塞いだわけではない。あえて上の方に少しだけ隙間を残した。

 立ち上った煙だけが、洞穴の中へ侵入するように……。


「これでよし、と」


 風向きもばっちり、生木から出た煙は洞穴内へと流れ込んでいく。

 きっと中の二人はとっくに異変に気付いているだろう。

 しかしもう遅い、分厚い石壁で唯一の出入口は塞がれている。虫みてえにもがいてる内に、毒煙に巻かれてお陀仏だ。

 俗に言う煙攻めである。


 あとはのんびりと待って、やつらがくたばった頃にストーン・ウォールを解除し、洞穴の中から金目のものを回収するだけ。


「チョロい仕事だ」


 まったく、笑いが止まらない。

 この世界は食うか食われるか、油断したアンタらが悪い。

 しっかしまあ、魔術も使えないヤツらを殺すなんて、ゴア・ボアを狩るよりもよっぽど楽な仕事だ。


 見てろよエトナ、

 見てろよしみったれた里の老人ども。

 俺はいずれ誰もがうらやむビッグな冒険者になって――。


 ――その直後だった。

 どがああんっ! とすさまじい音がして分厚い岩盤がクッキーのように砕けた。


「なっ!? なんだぁっ!?」


 がらがらがらっ!

 石壁が崩れ落ちて、視界を埋め尽くすほどの土煙が巻き起こる。

 な、何が起こった!? 術式を誤ったか――!?


「……え……?」


 思わず、目を疑った。

 もうもうと立ち込める土煙の中から、一人の少女が現れたのだ。

 毒煙の充満する洞穴内では、しばらく満足に呼吸することもままならなかったはずなのに……。

 彼女はまったくケロリとした様子で、ゆっくりこちらへ向かってくる。


「――おこん、ばん、はぁ」


 月明かりに照らされながら妖しげに笑う、人外じみた美女。

 そのあまりの恐ろしさに、俺は思わず短い悲鳴を漏らしてしまった。

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