第10話 真なる金

 たかがヒューマンの小娘……。


 そう切り捨てるには、彼女はあまりに美しすぎた。

 どうしてさっきは気付かなかったのだろう?

 絶世の美女とはまさにこのこと、彼女と並べれば美形揃いと名高いエルフの女たちですら霞んでしまうだろう。


 しかし、何故だ?

 彼女がどうしても、同じ人類に見えない。

 それどころか月明かりに照らされた彼女の姿は――悪魔の王サタンの生まれ変わりにすら見える。


「そういえば、自己紹介がまだでしたね」


 彼女はどこぞの名家のお嬢様のごとく、気品ある仕草で言った。


「わたくしは錬金実験体788番『対魔特化型決戦兵器エル・ドラド』、かつて十七人の大錬金術師アデプトによって作られました、」


「は……?」


至上命令オーダーは錬金術師を除く全人類の殲滅……でしたが、今はゆえあってペルナート様に師事しております。というわけで、人類を滅ぼすのはやめました」


 な、何を言っている?

 この女は、一体――、


「――今のわたくしは、せいぜいの、たいへんつつましやかな女でございます」


「っ!?」


 ――なんか分からないが、ヤバイ!

 あの女、さっきの煙攻めが俺の仕業だと気付いている!


「ファイアボール!!」


 俺が叫ぶと、手の内で炎が渦巻いて瞬く間に球の形となる。


 予定変更だ! バレちまった以上は仕方ない!

 あの女は俺の手で直接仕留める!


「くらえっボケっ!」


 狙いを定めて、射出。

 燃え盛る火の球は夜の闇を切り裂きながら、まっすぐあの女の下へ飛んでいく。

 よしっ! 狙いは完璧!

 あの女、こちらの奇襲に反応すらできていない!

 その澄ましヅラをローストして――!


 ぽしゅっ。


「……ぽ、ぽしゅ?」


 初めは見間違いかと思った。

 しかし俺は夜目が利く。だから見たままを説明すると――。


 ――俺の放ったファイアーボールが、あの女の顔面に命中した瞬間、マヌケな音を立てて、消えた。

 あの女の顔には傷どころか煤のひとつだってついてやしない。


「なんでっ……!?」


 おかしい、俺のファイアーボールは間違いなく成功したはずだ。あの女も妙な動きは何も見せなかった。

 焦って術式をミスったのか? それとも――、


 いや! いや!

 そんなことはこの際問題じゃない!

 問題は、あの女が怯みもせず、今なおこちらとの距離を縮めてきていることだけだ!


「クソが! ファイアーボール! ファイアーボール!」


 今度は二発! 同時に発射!

 渦巻く火球は夜の闇に二筋の尾を引きながら、あの女へ襲い掛かり――、

 ぽしゅん、ぽしゅん、と闇に消えた。

 もちろん女には傷一つない。どころか……、


「~♪」


 ――鼻唄を、歌っている!!


「はああああっ!?」


 異常事態発生だ!

 あの女、ただの世間知らずと思ったが……もしや炎の魔除けアミュレットでも隠し持っているのか!?

 なんにせよもう、出し惜しみなんてしていられない!


「精霊よ! わが声を聞け!」


 俺のジョブは狩人なので、使える魔術の種類は本職のプルミには及ばないが……それでも森の精霊の力を借りれば!

 使える魔術は片っ端から使ってやる!


「サンダーボルト! アイシクルシュート! ウインドカッター!」


 矢のように伸びる雷撃が、

 鋭く尖った氷柱の群れが、

 全てを切り裂く風の刃が、

 一斉にあの女めがけて放たれて――


「~♪」


 しかし、

 ぽしゅ、ぽしゅ、ぽしゅ、と煙みたいに消えてしまった。


「……!? !?」


 あいた口が、塞がらない。

 何故? どうして?

 どうしてあの女には魔術が通用しないんだ!?


「『真なる金』を、ご存じですか」


 女はまるで獲物をいたぶる肉食動物のように、嗜虐的に微笑みながら言った。


「し、真なる金……?」


「そもそも黄金には、魔や災厄を退ける効果があります。これを極めて純化させた、この世で最も純粋な金……あらゆる魔術的・呪術的な攻撃を無効化する究極のアミュレット、錬金術師の最高傑作、完璧の体現、それこそが真なる金でございます」


「わけわかんねえことばっかり言いやがって! だからなんだってんだよ!? それとなんの関係が――」


「――わたくしの全身は『真なる金』からできているのです」


「はぁ……!?」


 この女、何を言っている?


「ゆえにわたくしにはあらゆる魔術・呪術が効きません、たいていの傷はすぐに修復します。対魔特化型決戦兵器とは、そういうことなのです」


「じゃあなにか!? テメエは人間じゃねえとでも!?」


「ええ、そうですよ?」


「……っ!?」


 こいつ……イカれてやがる!

 いや! それよりも……!

 どうしておれはこんなイカれ女の妄言に怯えているんだ!?


「さて、お祈りは済みましたか? ではそろそろ」


「っ……!?」


 ヤバい! なんか分からんがコイツはヤバい!

 俺の冒険者としての勘が警鐘を鳴らしまくっている!

 チクショウ! こうなったらもう手段を選んでる場合じゃない!


「魔術が効かねえなら! こいつだ!」


 俺は懐から取り出した小袋を、女めがけて投げつけた。

 袋は女に当たると、ばふっ、と黄色い粉をまき散らす。


「うっ、なんですか!? く、臭いっ……!」


「これが俺の奥の手! 狩人特製の『匂い袋』だ! お前の相手は獣どもに任せることにした!」


「獣……?」


 ほらほらほら! さっそく足音が聞こえてきたぞ!

 匂いに誘われて、森のケダモノどものおでましだ!


「……これは」


 たちまち女の周りを取り囲む、十数頭の狼たち。

 名をグレイウルフ、危険度D級の血に飢えた魔物どもだ。

 匂いを嗅いですっかり興奮しきっている。


「ソイツらの相手をしていろイカレ女!」


 グレイウルフは群れだとC級の俺ですら手こずる魔物だ!

 せいぜい深夜の追いかけっこでも楽しめ!

 俺はその隙に逃げさせて――。


「――あっ」


 もらう、つもりだったのに。

 俺は金縛りにでもあったようにその場から動けなくなってしまった。

 何故ならば……、


『ヴォ、オオオォ……』


 振り返った俺の背後で、ひときわ巨大な黒い狼が唸りをあげていたからだ。


「ヒッ!?」


 マズい! 危険度C級のブラックウルフ!?

 勢いあまってグレイウルフどもの長まで呼んじまった!

 あの脳筋剣士のエトナですら手を焼く相手だぞ!?


「……これはまた、ずいぶん大きなワンちゃんですこと」


 あのイカレ女は状況が分かっているのかいないのか、すんすん鼻を鳴らしながら呑気に呟いている。


 く、クソっ……! ブラックウルフにまで出てこられちゃ死体漁りは本格的に諦めなきゃならん!

  骨の一本だって、残りやしない!


「仕方ねえ! お前は犬のエサだ! そのまま死ね!」


『ヴォオオォルルォ!!』


 俺が脱兎のごとく逃げ出したのとほぼ同時、匂いで我を忘れた狼どもが一斉にヤツへ飛び掛かった。

 正気を失いながらも統率された、全方位からの攻撃。

 その鋭い爪が、牙が、掠っただけでも致命傷だ。


 さあ怯えろ! そのすまし顔を恐怖に歪めろ!

 いかにも「女」って悲鳴を、あげてみろ――!


 しかしアイツは、ぽつりと、


「――犬は好きです」


 ……は?

 今、なんて……。


 耳を疑うような発言に、思わず振り返ったその瞬間。

 俺は見てしまった。


「へ?」


 あの女が、飛び掛かってきたブラックウルフの毛皮を素早くひっ掴んで、

 まるで濡れ雑巾か何かみたいに、ブラックウルフを振り回すところを。


 ……信じられるか?

 俺の倍はデカいブラックウルフを、あろうことか片手で、だぞ?

 悪い夢でも見ているのかと、思った。


「冗談だろ……」


 女はそのままぐるんと一回転。

 ブラックウルフの巨体も風を切って一回転。

 ヤツに飛び掛かった十三頭のグレイウルフたちは、この回転にまとめて絡めとられるかたちとなった。


 ……その時、俺は唐突に理解する。

 俺が最初に使ったストーン・ウォール。

 あれで作った分厚い石壁が崩れ去ったのは、術式のミスなんかじゃない。

 答えはもっとシンプルに、破壊されたのだ。

 遠心力で団子状態になった十四頭の狼を片手で振り回す、そんな神話じみた怪力無双の女によって――。


「おすわり」


 そう言って彼女は、狼たちを地面に叩きつけた。

 狼たちが『キャインッ』と、まるで子犬みたいに甲高い悲鳴をあげる。

 その直後、あたり一帯に、草木を根こそぎめくりあげるぐらい強い風が吹き抜けて……、


「……」


 ぺたん、と。

 俺もまた、その場に「おすわり」をしてしまった。

 腰を抜かしてしまった、ともいう。


「犬は好きです、利口なので。……ですがアルメニア犬には及びませんね」


 暗闇の中で妖しく輝く左右色の違う眼。

 これに射抜かれた瞬間、確信してしまった。


 ゴア・ボアを倒したのは、この女だ。

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