第11話 お願い
自分たちより遥かに大きな野獣にも果敢に立ち向かい、群れで仕留める……そんな誇り高くも獰猛な狼どもが、揃って地に頭を伏している。
粗相を叱られた犬のように『クーン』と切なげに鳴いている。
匂いで我を忘れていたアイツらですら、本能で理解してしまったのだ。
そして、この俺もまた……。
「――はいっ、ではもう手詰まりということでよろしいですよね!」
喧嘩を売る相手を間違えたのだと理解した。
「あ、う、あ……!」
女が手を伸ばせば届く距離まで迫った時、俺に抵抗の意思はすでになかった。
逃げようにも腰が抜けて立てないし、喉が引きつって言葉すらまともに紡げない。
かろうじて、俺にできたのは……。
「……み、見逃してくれ」
震える声での、命乞いだけだった。
「ちが、違うんだっ! これは俺の意思じゃなくって、そう、命令されてやったことで! 俺はアンタらに危害を加えるつもりなんか――」
「喉、乾きませんか?」
「はっ?」
「そんなに喋り続けて、喉は乾きませんか?」
女は、口角をにまーっと吊り上げて、
そして一本のガラスの試験管? をこちらへ差し出してきた。
中には限りなく透明の液体が満ちている。
「どうぞ、お飲みください」
「こ、これは……?」
「――
「アルカ、へスト……?」
「錬金術師パラケルススがその存在を提唱した特殊な溶液で、この世に存在するあらゆる物質を溶かすとされています」
このイカレ女、またわけの分からないことを……!
「バカ言うな! なんでも溶かす液体なんて、そんなもんが実在するならそれを容れる容器の方が先に溶けちまうだろうが! そんなハッタリ……がぼっ!?」
それ以上は、続けることができなかった。
すさまじい怪力で顔を鷲掴みにされ、強制的に口をこじ開けられたからだ。
「そう思うなら、実際に飲んでみればよろしいでしょう?」
「お……こぁ……っ!?」
女が笑顔で試験管を近付けてくる。
こいつ、無理やりおれの口に液体を流し込もうと……!
クソっ! こ、この怪力……!
顔を背けるどころか、口を閉じることさえっ……!?
「では、めくるめく錬金術の世界に、ごあんあ~い♪」
「かっ……あぁっ……!」
ま、マズいマズいマズいっ!?
このままだとあの意味不明な液体を飲まされる!
アルカへストなんてもんが実在するとは思わないが、それでもなんらかの毒物である可能性は高い!
クソっ、イヤだ、こんなところで死ぬ!
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ――!
「――そのへんにしときなよ、エル」
「!?」
すぐ近くから聞き覚えのある声がして、女の肩がびくんっと跳ねた。
「ペルナート様!?」
女の背後には――いつからいたんだ? ペルナートとかいう、あの優男が立っていた。
ヤツにもまた煙攻めの効果は見えない。ただけほけほと咳払いをしているだけだ。
「よかったよ、今日すでに一度死んでおいて、その時に身体を作り直したおかげで死なずに済んだ。まあ服は煙臭くなっちゃったけど……」
「ペルナート様! 危険です! 洞穴の中で待機を――」
女の注意が、完全にペルナートの方へ向く。
――今だ!
「ふんっ!」
俺は女の拘束が緩んだ一瞬の隙を突き、その場から逃げ出した。
「あっ!?」
これ以上、こんなイカレ野郎どもに付き合ってられるか!
俺は月明かりの下を、夜の森めがけて一直線に駆け抜ける。
あの二人が追ってくる気配はない。
ははは! やった、やった! 生き残ったぞ!
「油断したなペテン師ども! お前らも首を刎ねられちまえ!」
最後にそんな捨て台詞を残して、俺は夜の闇に紛れた。
◆◆◆
「――生かして帰すわけが、ないでしょう」
遠ざかっていくエルフ男の背中に、わたくしは狙いを定めます。
あの男は、あろうことか我が師・ペルナート様を殺そうとした。ただそれだけで万死に値します。
あんな下種には錬金術など使うまでもないと思っていましたが、致し方ありません。
「
ぼごんっ!
地中から生えたアゾットの切っ先が、あの男の背中に向きます。
確か「首を刎ねられろ」でしたか?
残念ながら、首が飛ぶのはあなたです。
そしていざアゾットを射出しようとした、その時。
「――エル、できればこれからも人を殺さないでほしいんだ、誰一人ね」
「っ!?」
ペルナート様の声が聞こえて、射出の瞬間、わたくしは咄嗟に照準をずらしました。
アゾットは大きく狙いを外れ、夜空へ消えます。
そしてあのエルフ男も夜の森に消えました。
わたくしが今から追いかければ、再び捕まえることなど造作もありませんが――。
「ぺ、ペルナート様!? 何故です!?」
「……」
「あの男は、我々を殺そうとしたのです! それなのに、何故そのような命令を……!」
「エル、命令じゃないよ、これはただのお願い」
「お、お願い……?」
「エルがもしこのお願いに反することをしたとしても、たとえば弟子を破門にするとか……そういうペナルティは一切与えない、なんの効力もない、単なるお願いだよ」
「……???」
ゴーレムであるわたくしに、「お願い」?
ペルナート様の深遠な考えは、わたくしにはまるで理解できません。
いっそ命令された方が、遥かに分かりやすかったでしょう。
どんなに納得のいかない、理不尽な命令であろうと、従うだけなのですから。
それこそ、わたくしの至上命令に「人間を殺すな」と、そう書き加えてくれれば――
「エルには自分で考えて自分のために動いてほしいんだよ、そうじゃないと自由にした意味がないからね」
「わ、わたくしは自分の意思で動いています!」
「だったら、ぼくのお願いは無視していいよ」
「うっ……!」
そんな風に言われて、本当に無視できるわけがないじゃないですか。
……どちらにせよ、あのエルフ男を追いかけるには時間が経ちすぎました。
「……ペルナート様はあまりにお人よしすぎますよ、自分を殺そうとした人間を見逃すなんて……」
まあ、わたくしが言えたことではありませんが……。
ペルナート様は困ったように笑って、
「実はね、そういうわけでもないんだ、ぼくはただ判断を保留しているだけなんだよ」
「保留?」
「うん、なんせぼくは人間を知らなすぎる」
そう言って苦笑するペルナート様は……、
何故でしょう、少しだけ悲しそうでした。
「……ま、いずれ友達を百人作るための、ささやかな努力みたいなものだよ」
「!? まさかペルナート様!? あのエルフ男とまで友達になるつもりで!?」
「そうなったらいいなぁ」
「やめといた方がいいですって! 絶対に!」
「まあまあ、とりあえずもう寝ようよ、明日は早いからね」
「あぁーーーっ! また話を逸らしましたね!?」
洞穴の中へと戻っていくペルナート様のあとを、慌てて追いかけます。
やっぱり、ペルナート様の考えは分かりません。
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