第5話 猪
――シンプルに面倒なことになってしまった。
ぼくは山を下りながら思う。
もう一時間以上も歩きっぱなしだけど、彼女は……。
「ペルナート様ぁ~……! どうして逃げるんですかぁ~……!」
「あああ……」
いる、やっぱりまだいる。
ゴーレム、エル・ドラドが一定の距離を保ってぼくの後をつけてくる。
一時間前からずっとこの調子だ。
至上命令を上書きしたため、エルはもうぼくの命を狙っていない。
彼女は自らの意思で、ぼくを尾けてきているのだ。
「ペルナート様ぁー……! お願いですぅー……! わたくしをお供にしてくださぁーーい……!」
「……」
遠くから聞こえてくるエルの声に頭を抱える。
一応は遠慮をしているのか、エルは常に一定の距離を保って、それ以上は近付いてこないわけだけど……。
なんだかなぁ、どうしてこんなことに。
ぼくはただ自分にとっても彼女にとっても最良の選択肢を選んだだけで、彼女に恩を売って召使いにしようなんて微塵も考えちゃいなかった。
そもそもぼくに召使いなんて不要だ。
だけど彼女は……、
「ペルナート様ぁーっ! その先は足元が悪くたいへん危険ですーっ! 注意してくださいーっ!」
「……」
疲れ知らずのゴーレムのことだ。この調子だと冗談抜きで世界の果てまでついてくるぞ……。
……仕方ない。
ここは一度しっかりと話し合うしかないだろう。
「……あのねエル、ぼくは」
「はいっっ!!!!」
「うわっ!?」
遥か向こうにいたはずのエルが目と鼻の先に立っていたので、心臓が飛び出るほど驚いてしまった。
なに!? 瞬間移動!?
「お呼びですか!? ペルナート様!?」
「ちょ、ちょっと待って、驚きすぎて動悸が……」
「!? それはいけません! 水を汲んできましょうか!? 足を揉みますか!? それとも……万病に効く丹を錬成しましょうか!」
「い、いや、いいからそういうの……」
「では背負いますか!? お任せください! 世界の果てまでだって数秒でお届けしますよ!」
「落ち着いて! 一旦! ね!?」
「はいっっ!!!!」
元気に返事をしたかと思えば、今度はキラキラした目でじぃーーっとこちらを見つめてくる。
先刻までの冷酷な彼女はどこへやら。
今の彼女は、さながらおあずけをくらった忠犬みたいだ。尻尾があればぶんぶん振っていたことだろう。
……あと、
「……エル、どうして君はぼくについてくるんだい?」
「あなたの下で仕えさせてほしいからです!!」
「どうして? ぼくが君に与えた新しい至上命令は『自由に生きること』だ。君は晴れて自由の身になったんだよ」
「その説は本当に感謝してもしきれません! ペルナート様への御恩はきっと一生忘れないでしょう!」
「ど、どういたしまして……でも、せっかく自由になったのにわざわざ誰かの下につくなんて、元も子もなくない?」
「お気遣いありがとうございます! しかしわたくしが、わたくしの意思でペルナート様の下につきたいと考えておりますので! 至上命令に従い自由に生きた結果といえるでしょう!」
「うっ」
ううう、なんだよそれ、トンチじゃあるまいし。
至上命令の範囲を広くしすぎた弊害だ。
エルは更に前のめりになってまくし立ててくる。
「ペルナート様! 自分で言うのもなんですがわたくしかなり強いです!」
「それは知ってるけど……」
「錬金術もたくさん使えます! 必ずお役に立てますよ!」
「うーん……」
そりゃあ、疑いようもなく役には立つだろうさ。
なんせエルは過去存在した全ての錬金術師たちの集大成だ。
彼女を従えていればたいていのことは思い通りになるだろう。
それこそ世界を手中におさめることだって夢ではない。
でも、そうじゃない。
ぼくが求めるものはそれじゃないんだ。
問題は、それをどう彼女へ伝えるかなんだけど……。
「後生ですペルナート様! わたくしを召使いにしてください! 身の回りのお世話もできます! 炊事洗濯掃除にDIY……」
「あのねエル、そうじゃなくて」
「――えっちなこともできます!」
ぶっ、と噴き出した。
そんなキラキラした笑顔で、なんてこと言うんだ!
「経験があるわけではありませんが、努力はします!」
「いや、ちょっと、エル」
「もちろん子を為すこともできますよ! わたくしを構成する要素はほとんど人間と同じなので! 見ますか?」
「待って! 何を見せようとしてるの!? 頼むから落ち着いて!」
ぼくは咄嗟にエルの肩を掴む。
エルのやつ、自由を手に入れてはしゃいでいるのかほとんど暴走状態だ!
……そういえば昔、錬金術師たちの間ではゴーレムの暴走による事故が多発していたと聞く。
師匠曰く「ヘタクソが甘い至上命令を書き込むとああなる」と言っていたけれど……ぼく、ヘタクソなのかも。
「なんなりと、ご命令ください!」
げんなりするぼくとは裏腹に、エルはすごく楽しそうだ。
師匠以外の人間とお喋りをするなんてだいぶ久しぶりだけど、会話ってこんなに疲れるものだっけ……?
ともかく、
「エル、よく聞いてほしい、そもそもぼくは召使いなんて――」
と、その時である。
ぼくとエルの頭上に大きな影が落ちた。
あまりに突然だったため、いきなり夜になったのかと思ったほどだ。
「?」
振り返ると、なんだか生暖かくて生臭い風がぼくの前髪をめくりあげた。
……違う、これは風じゃない、鼻息だ。
小山のように大きな赤毛の獣が、殺気に満ちた眼でぼくらを見下ろしていた。
「……猪?」
疑問形なのは、それがぼくの記憶のものよりも遥かに巨大だったからだ。
大きい、ぼくと師匠の暮らしていたあばら家より大きいぞ。
工房の周りには師匠が動物避けの結界を張っていたから、猪なんてここ数十年は見ていなかったけど……知らない内に猪も大きくなったんだなぁ。
温暖化の影響?
猪が、再びぶふーっとつむじ風みたいな鼻息を鳴らす。
そしてたいそう立派な、赤く濡れた牙を上下させて、
『おろかな、人の子らよ、そのいのち、散らす前に、わずかばかりの慈悲をくれてやろう』
「えっ?」
この猪、喋っ……。
『我があるじの仇、しらがのおんなの、住処を――』
「――ペルナート様! ここはお任せください!」
「えっ!?」
ぼくが呆気に取られていると、待ってましたと言わんばかりにエルが前へ出た。
ちょ、ちょっと待って!?
「エル!? 猪さんがなにか喋ってる途中だけど!?」
「トリスメギストス・エンジン起動! マクロコスモス接続! 座標固定!」
「聞いてない!」
ていうかトリスメギストス・エンジン!? まさか――
「エル待って! ただの猪にそんな大業、やめっ――!」
「
時すでに遅し。
ぼくの制止もむなしく、エルの体内のエーテルがはちきれんばかりに膨れ上がる。
このエーテルの高ぶり……まずい!?
「――《ヘルメス》!」
彼女が唱えると、一瞬世界そのものが歪んで……、
ぐぼん!! と大猪の後ろ半分が丸々消し飛んだ。
『ギ――』
大猪はそんな風に短い悲鳴をあげると、当然のように事切れ、ずずううんと地面に沈む。
人語を介す珍しい猪にしては、実にあっけない最期であった。
……というか、エルのあの業……!
「ぶ、ブラックホールを錬成した……?」
「見てくれましたかペルナート様!? 今の《ヘルメス》はわたくしの使える錬金術の中でも特に――あれ――?」
そしてほどなくしてエルも地面に崩れ落ちた。
あーあ、あんな大技を日に二回も使うから……。
「……エーテル切れだよ、エル」
「うう……」
ぐるぐると目を回すエルを見下ろして、ぼくは嘆息した。
本当に、錬金術師たちはとんでもない置き土産を残していったものだ。
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