第4話 大いなる秘術


 大いなる秘術アルス・マグナ《クロノス》。


 それはわたくしが扱える最高位錬金術のひとつ。

 言うなれば歴代の錬金術師たちの叡智の結晶、集大成であり人類殲滅の切り札。


 その効果は、

 まさしく世界の法則そのものを書き換える大錬金。


「――――

  ―――————

    ——――――――――」


 《クロノス》は全ての時間を凍り付かせました。

 浮かぶ雲も、飛ぶ鳥も、そよぐ風も。

 そしてペルナート様でさえ、この業の前では例外なく「停止」してしまいます。

 この凍った時の中で動けるのは、わたくし一人だけ。


「だから警告したのですよペルナート様」


 こうなってしまっては身を守ることはおろか、降伏を宣言することすらできないでしょう?

 しかしもう、後の祭りです。


 わたくしは地面に落ちたアゾットの一本を拾い上げ、石像のように固まったペルナート様に歩み寄りました。


「……ペルナート様、あなたは実に優れた錬金術師でした」


 生まれる時代さえ違えば、あるいは錬金術の世は終わっていなかったかもしれません。

 もしかすると、歴史上初めて不老不死を成した「真なる大錬金術師アデプト」になれていたやも。


 しかしそうはならなかった。

 わたくしはそれがなによりも残念でならないのです。


「さようなら、ペルナート様」


 そう言って、ペルナート様の心臓をアゾットの切っ先で一突きにしました。

 時間が止まっているため、アゾットを引き抜いても胸にぽっかりあいた穴から血が噴き出すことはありません。


 続けて首を刎ね、身体中の動脈を断ち、最後に内臓を滅多刺しに。

 止まった時の中で、数えきれないほどの致命傷を与えました。

 普通の人間なら十度は死ぬ傷です。


「……さすがにこれでもう、復活はできないでしょう」


 状況終了……。

 アゾットが地面に落ち、かららんと音を立てます。

 まるでわたくしの胸の内のように、空虚な音でした。


 至上命令 錬金術師を除く全人類の殲滅。

 ……どうしてわたくしが、こんなことを。

 時間が戻るまでの間、わたくしは苦悩しました。


 確かに、わたくしの生みの親たちを虐げた彼らに対する怒りはあります。

 しかし殺すほどではありません。

 本当ならばこんなことはしたくないのです。


 ですが、ゴーレムにおける至上命令とは絶対の強制力。

 わたくしがどう思おうとも、決して逆らうことができません。

 額に刻まれた文字が、そうはさせてくれません。

 できることと言えば、自らの運命を呪うことぐらいです。


 本当はもっと、普通に暮らしたかった。

 本当はもっと、誰かと話がしたかった。

 本当はもっと、誰かと心を通わせたかった。

 本当は――


「……友達が欲しかった」


 ぽつり、と。

 わたくしの独り言が止まった世界でむなしく響きます。


 全ては叶わぬ夢です。

 なんせわたくしはこれから自らの手で、全ての人間を殺し尽くしてしまうのですから。

 恨まれながら、憎まれながら、ただ淡々と。


 ああ、そろそろ《クロノス》で止まった時間が動き出します。

 改めてさようなら、ペルナート様。

 世界で唯一、わたくしの友達になってくれるかもしれなかった人――。


「……うん?」


 かなり遅れて異変に気付きました。

 おかしい、もうとっくに《クロノス》の効果は切れているはずなのに。


「止まった時間が戻らない……?」


「――すごい業だ、《クロノス》」


「はっ?」


 空耳? 違う。

 いや、だって、そんなはずがない。

 しかし現実にそうなっていて、どうして――。


「まさか歴史でも数えるぐらいの錬金術師しか扱えなかった大いなる秘術アルス・マグナを使うだけじゃなく、時間を操る錬金術だなんて! 本当に感動してる! 鳥肌が止まらないよ!」


 ――どうして止まった時の中で、ペルナート様が喋っている?


「な!? あっ!? えっ!?」


 もはや言葉にもなりませんでした。

 なになになに!? なんですか!? 何が起こっている!?

 《クロノス》の効果時間はとっくに過ぎているはずなのに! どうして死んだはずの彼が喋れる!? これも錬金術による復活!?

 ――いや違う!


「き、傷が塞がり始めている!?」


 奇妙な光景でした。

 刎ねた首が、断った動脈が、ペルナート様の身体に刻まれた無数の傷が、見る見るうちに塞がっていくのです!

 まるで時間そのものが逆行しているかのように――!


「これは、まさか……!?」


大いなる秘術アルス・マグナ《アンチクロノス》……ってとこかな? 止まった時間の中で起きたことは全部なかったことになる」


 逆行する時間の中でペルナート様が言いました。

 まさか、まさかあなたは――!


「――作ったのですか!? 時間を止められる直前に対抗する錬金術を!? わたくしの予備動作を見ただけで!?」


「即席でね、間に合って良かったよ」


「そんなバカなこと……っ!」


「しかしエル! 大いなる秘術アルス・マグナは消費エーテル量も桁違いだけど、それ以上に人間の身体には負担が大きすぎるね! おかげでよ! あまり気軽に使える業じゃない!」


「――!」


 口の端から一筋の血を流しながら、しかし楽しげに笑うペルナート様。

 もはや絶句するほかありません。

 見誤っていた。わたくしはまだこの人を見誤っていた。

 この人は、わたくしの想像を遥かに超える――!


「隙アリ」


「あっ」


 遡る時間の奔流の中でただ一人、ペルナート様は流れに逆らって動き、

 そしてわたくしの額に刻まれた文字へ手を加えました。


 雲は流れ、鳥は羽ばたき、そよ風が吹き抜ける。

 時間が、戻ります。


「ああ」


 ――負けた。

 負けてしまいました。完敗です。

 しかしすばらしく晴れやかな気持ちでした。


 だって彼が錬金術師として優れていたおかげで、わたくしは誰も殺すことなく、ただ一人で崩れて死ぬことができるのです。

 それはなんと幸福なことでしょう。


 ……よかった。

 最期に出会ったのがあなたで、本当によかった。


「……ありがとうございますペルナート様、未練はありません、安心して死ねます」


「え? なんで死ぬのさ」


「ん?」


 お互い顔を見合わせます。

 あれ? ペルナート様は今わたくしの額文字を消して緊急停止装置を発動させたはずじゃ……?

 確かにいつまで経っても自壊が始まりません。

 いえ、それどころか……。


「ペルナート様への攻撃の意思が、なくなってる……?」


「そもそも緊急停止装置なんてはなから狙ってない、ぼくがやったのは至上命令そのものの書き換えだよ」


「至上命令の、書き換え!?」


「うん、『錬金術師を除く全人類の殲滅』から『自由に生きる』に上書きしておいた。君はそもそも誰も殺したくないんだろう?」


「そんな……!」


 ペルナート様はさらりと言っていますが、到底信じがたいことでした。

 ゴーレムに刻まれた至上命令は、例えるなら暴れ馬の首にぶらさがった錠前。

 彼のやったことは一目見ただけで錠前の構造を把握し、馬に跨ったまま一瞬で合鍵を作って、しかもそのまま錠をあけてしまうような、そんな神業なのです。

 しかもそれを、《クロノス》に対抗する錬金術式を構築する傍らに?

 本当に、なんて規格外な……。


「う」


 つい気が緩んでしまったのでしょう。

 封じていたはずのソレが目からぼろぼろこぼれ落ちます。

 ダメだダメだと思っても、止まりませんでした。

 感情が、制御できない。


「えっ!? ど、どうしたの!? やっぱり大いなる秘術アルス・マグナってゴーレムにも負担があるの!?」


「ちが ちがいます」


 痛いのでも悲しいのでもありません――嬉しいのです。

 だってペルナート様はあの忌々しい命令を、なかったことにしてしまった。

 それだけではなく、わたくしがなによりも欲していたものを与えてくれました。

 すなわち、自由を――。


 なるほど認識を改めなければなりません。

 伝説の錬金術師たちがその技術の粋を集めて残した最後の作品、それはわたくしではなく――彼。

 ペルナート・ディラストメネス様のことなのです。


「ペルナート様」


 わたくしは涙を拭って、彼の元に跪きました。

 すでに心は決まっていました。


「わたくし、ゴーレムのエル・ドラドは生涯をかけてあなたに仕えます。この命にかえて、あなたをお守りします」


 この人を守ることこそ、わたくしの新たな使命。

 命に代えても守るべき、新たな至上命令。

 そう思っての提案だったのですが、ペルナート様は一瞬の間をあけて……、


「……い、イヤです……」


 そう、答えました。

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