第14話 アクア・ヴィテ
ぼくとカイルの「奢り」を賭けた飲み比べ対決は、それはもうたいへんな熱狂の中で幕を開けた。
「カイルやっちまえ!」
「生意気なボンボンに酒の飲み方を教えてやりな!」
「おれたち冒険者の意地を見せてやれ!」
ぼくたちのテーブルを囲む人だかりは瞬く間に膨れ上がって、いつしかギルドにいる全ての冒険者たちが、やんややんやと野次を飛ばしてきていた。
これはもう、ちょっとしたお祭りみたいだ。
「潰してやるぜ坊ちゃん! おいウイスキー持ってこい! 『船乗りの唄』をストレートだ!」
「へえ、ウイスキー!」
酒を覚えたての若造でもあるまいに、まったくぼくときたら年甲斐もなくワクワクが止まらない!
間もなくして、ぼくたちのテーブルに二つのグラスが運ばれてきた。
中には見るも美しい琥珀色の液体が揺らめいている。
「っ」
カイルはこれを豪快に飲み干して、テーブルにダンと叩きつける。
ぼくもこれを真似して、ぐいっとグラスを傾ける。
野次馬たちからわあっと歓声があがった。
「ほう! まるっきり飲めねえってわけでもねえみてえだな坊ちゃん!」
「嗜む程度にはね」
それにしても美味い酒だ。
力強く、それでいて柔らかな味わいで、鼻を抜ける複雑微妙な香りが素晴らしい、ほのかに潮の香りがするのも気に入った。もう少し味わえばよかった。
「はっ! いつまで余裕ぶってられるかな! 次! ブランデー! 『レッド・ドラゴン』!」
息吐くまもなく、次の酒。
ああ、カイルには頭が上がらないなぁ、こんなにもいい酒をいっぱい教えてもらって。
ぼくはカイルと同時にぐびりとこれを飲み干す。
再び「おおっ!?」と歓声。
「や、やるな坊主! 次! ワイン樽ごと持ってこい!」
「ワインもいいなあ、いつ振りだろう」
「ぺ、ぺぺぺ、ペルナート様っ!? 大丈夫なのですか……!? そんなにお酒を飲んだら御身体に障るんじゃ……!?」
見ると、エルが隣であわあわ言っていた。
なんだよ、君までぼくを子ども扱いするのか?
錬金術のおかげでかなり若く見えるかもだけど、こう見えてぼくは君たちよりずうっと年上で……。
……いや、こういうのは師匠らしく示すとしよう。
「エル、ここでぼくは君に教えを授けようと思う」
「い、今ですか!? しかし錬金術の教えは門外不出で……!」
「どうせこの騒ぎじゃ皆には聞こえやしないよ」
ぼくは喧騒の傍ら、ワインのグラスを傾けながら講義を開始した。
「
「アクア・ヴィテ?」
「大仰な名前だけど、まあ要するに酒のことさ。ウシュクベーハ、オー・ド・ビー、アクアビット……呼び名は色々あるけれど、どれも同じ、生命の水という意味だ」
「は、はあ、それと錬金術になんの関係が……?」
「大アリだよ、だって酒精の強い蒸留酒は錬金術師たちが作ったんだから」
「そ、そうなのですか!?」
なんて言っている間に、樽のワインも飲み干してしまった。
残念、とても美味しかったのに。
……それにしてもカイル、なんだか顔色が悪いよ?
「げえっ……くっ、くそ……この坊主……! なんでこんだけ飲んで、顔色ひとつ変えねえんだ……?」
「ま、まさかあのザルのカイルが……!?」
「カイル! 俺たちも加勢するぜ!」
「ラムだ! ラムをボトルで持ってこい!」
おお、カイル側に冒険者たちが加勢した、盛り上がってきたぞ。
もちろん、エルの講義も忘れない。
「元々は不老不死の霊薬を作ろうとしたらしい。そしたら蒸留の過程で偶然に酒精の強い酒ができあがった、だから
「な、なるほど……」
「ぼくも修業時代によく作ったなぁ、ああ、まあ要するにこれもまた過去存在した錬金術師たちの失敗の産物ってこと、彼らがしくじってくれたおかげで、ぼくたちは今こんなにも美味しいお酒が飲めているんだよ」
「……でもそれと今ペルナート様がすごい量のお酒を飲んでいることとは関係ないですよね!?」
「あはは、バレたか、でも大丈夫、これは生命の水だからね」
「関係ありませんよ!」
エルに叱られてしまった。
あはは、どうしよう、久しぶりの酒の席でちょっとテンションが上がっているのかもしれない。
「せめて何かお腹に入れてください! すきっ腹に大酒は身体に毒ですよ!?」
「分かった分かったよ……おっ、このソーセージ美味しい! エルも食べてみなよ!」
「は、はあ、では一口……んんんんんんんっ!?」
かぶりっ、とソーセージをかじったエルが、両目を輝かせながら悶絶していた。
どうやらたいへんお気に召したらしい。いい食べっぷりだ。
しかし困った、こんなに美味しいとお酒が進んでしまうなあ。
次から次へグラスを乾かしていく。
やはりいいお酒にはいいツマミ、これはきっと何百年経とうとも変わらない真理だ。
「すみません! 次はウォッカを……あれ?」
ソーセージをぱくぱく頬張るエルを横目に、次の酒を頼もうとして……そこで初めて気が付いた。
いつの間にか、歓声が止んでいる。
というか死屍累々だ。
「う……うう」
「気持ち悪ぃ……」
「死ぬ……」
「俺もう明日仕事できねえ……」
あれだけいた冒険者たちが、みんなテーブルに突っ伏したり、床に横たわったりして、ゾンビみたいな顔色で呻いている。
その中には、もちろんカイルの姿もあった。
「……どうしたんだいカイル? 眠いのかい?」
「も……もう勘弁してくれ……」
「ぼくまだ飲みたい酒が山ほどあるんだけど……」
「……!? わ、分かった……! オレの負けだ! 奢る、奢るから! あとは一人で好きに飲んでくれよ……!」
「ホント!? いやあ、親切にありがとう」
「うぐう……」
思わず笑顔になってしまう。
ああ、今日はなんといい日だろう!
生まれて初めて人の奢りで酒を飲んだ、記念すべき日だ!
「エルも飲もうよ!」
「む、んむっ……わたくしはペルナート様をお守りしなくてはならないので……」
「えー? そんなの気にしなくていいのに……まあ無理強いするのもよくないか、ええと、次はこれとこれと、あれも飲んでみたいな……」
「ペルナート様一人で店の酒を飲みつくすつもりですか……?」
「そんな大げさな、あ、すみませーん、最初に飲んだ『船乗りの唄』くださーい」
「……気に入ったのか? あの酒が」
カイルが青白い顔で尋ねてくる。
「うん、今日飲んだ酒の中では一番気に入ったよ、ほのかに潮の香りがした、海辺のお酒かな?」
「ありゃあ、オレの故郷の酒だ」
「へえ! それはまた」
「酒が強いだけじゃなく酒の趣味まで合うなんてな、オレたちはいい友達になれそうだ」
「えっ?」
「おいおいアンタが言ったんだろ? 友達になろうって」
そう言って、カイルが青白い顔で微笑む。
顔色は最悪だけど、彼の人柄をあらわしたような爽やかな笑顔だった。
「……」
ゆっくりと時間をかけてカイルの言葉の意味を呑み込んで……じわじわと身体の奥底から嬉しさが湧き上がってきた。
そうか……そうだ。
――ぼくにはまた、友達ができたんだ。
「これからよろしくな、ペルナート」
「うん……うん! よろしくカイル!」
ぼくはカイルと固い握手を交わす。
ああ、今日はホントになんていい日だろう!
まさかこんなにもお酒に詳しい友人ができるなんて!
――友達百人まで、あと九十八人!
これはもう、祝い酒しかないね!
「……ところでペルナート、アンタの職業はなんなんだ? 見たところ戦闘職には見えねえが、魔術師か?」
「ああ、違う違う!」
はは、まさかよりにもよってぼくが魔術師に間違われるなんて。
そういえば彼にはまだ名乗ってなかったっけ。
「ぼくは錬金術師――」
……今思うと、酒の席で気が緩んでいたとしか思えない。
次の瞬間、テーブルが真っ二つに叩き割られた。
素早く腰の剣を振り抜いた、カイルによって。
「ペルナート様!?」
「……へっ?」
突然のことに、思わずマヌケな声が漏れてしまう。
カイルはもう……笑っていなかった。
剣を構え、鷹のように鋭い眼光で、こちらを睨みつけている。
それは疑いようもなく、敵を見る目だった。
「――ペルナート、悪いが友達の話はナシだ。酒も奢らねえ、ここからは仕事の時間だからな」
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