第2話 気分はRTA
走る。とにかく走る。
残された少ない時間を1秒でも無駄にすまいと、カイは迷い後の森を全力疾走する。
目指すはイベント地点。残りあと2時間でできることなどたかが知れている。だから、カイは目的をただ一つに絞った。
すなわち――。
「負けイベントを覆す……!」
前方。木の陰から何者かが飛び出てくる。
「フォームチェンジ!」
叫び、カイは走りながら武器を振り抜いた。走り去った後に、ルナティック・オンラインにおける最弱クラスの敵【ゴブリン】の胴を両断された死体が転がった。
「フォームチェンジ機能も健在か。あいつには遠距離より近距離のが戦いやすいし、このまま【始原黒剣カオスロード】で突っ切るか」
カイの手には、剣。カイの武器はフォームチェンジの掛け声で近距離用と遠距離用の形態を使い分けることが出来る特殊な武器だ。海を泳ぐ敵や空を飛ぶ敵に対して近距離用武器ではあまりに不利すぎるというクレームを受けて、運営が武器を物理攻撃力と魔法攻撃力を置換しただけの同性能の武器に切り替えられる【リバース・ウェポン】と名付けた武器を課金専用武器として販売したのだ。「そういう対応を求めていたんじゃない」と先のクレームの数十倍以上のクレームを受けたリバース・ウェポンだが、カイは「そういう武器が欲しかったんだ」と狂喜し発売後即購入した。課金武器なだけあって基本性能が高くて使い勝手がよく、なによりギミックの格好良さと汎用性が気に入ったため、カイはリバース・ウェポンを強化を繰り返して今日まで使い続けていた。もっと性能の良い後発の武器も発売されたが、その頃にはリバース・ウェポンを強化し過ぎて乗り換えるに乗り換えれなかったという裏事情もある。
ちなみに杖形態と剣形態の名前、姿形ともにカイのオリジナルデザインだ。
再びゴブリンが飛びかかってくる。今度は木の上から2匹同時に奇襲気味に襲ってきた。ろくに見もせず、剣を振る。それだけで2匹は死体となって、床に転がった。
カイは剣を見る。血が、付着している。生臭い匂い。背後を振り返る。ゴブリンの死体。腕に、肉の生々しい重みがまだ残っている。小首を、捻った。
「なんか手応えがいつもと違うような……それにこのゲーム、こんなにリアルだったかな?」
ふと、脳裏に、あのメッセージウィンドウの文面が蘇った。
【もっとリアルなゲームがしたくありませんか】
YES / NO
「……なるほど! リアルになったのか! 凄い! まるで本当に生き物を殺したかのような手応えだ! 興奮する……!」
カイは剣を握り締めて、現実としか思えないほどリアルなゲームが出来る歓喜に身を震わせた。あと数時間。全力で楽しもう。そう改めて決意した。
「きゃあああああああああああああああ!!!」
「! やった! 悲鳴だ! 近いぞ!」
カイは足の回転のピッチを早めた。
「ひぃいいいいいいいいいいい!!!」
「ギャハハハハハハハハ! 今月の贄はイキがいいなぁ! ジュルリ! 叫ばれれば叫ばれる程俺は昂るんだよなぁああああああああああああああ! お嬢ちゃあああああああああああああああああん!」
「いや、いやああああああああああ! 来ないで化物ぉおおおおおおお!」
「来るな? それは無理だぜ。だって今から俺はお前でイクんだからよぉおおおおおおおおお!」
いた。
森を抜けた先、半径10メートル程の開けたスペース。
そこに、化物と少女がいた。
化物は異形だった。地上10メートル程の高さにある白い胴体から、地面につくほど長い白髪を額の真ん中で分けたサディスティックな顔つきの白い男の顔と、8本の細長い白い手足が生えている。まるで、人間のパーツで作られた蜘蛛のような見た目。なんとも醜悪だ。
その化物の前で、ほつれだらけの薄汚れた茶色い上下一体型のスカートを履いた黒髪の少女が尻餅をついている。腰が抜けたのか、恐怖で体が動かないのか、震えるばかりでその場を動こうとしない。恐怖に震える顔は、だがそれでも見目麗しい。プレイヤーの庇護欲をそそるためだ。
懐かしい、とカイは思う。6年前に見た構図そのままだ。自然と、6年前のことが思い出される。
このイベントは、プレイヤーが一番最初に体験する、プレイヤー間で“洗礼”と呼ばれ愛されているイベントだ。化け物と、それに襲われている贄と呼ばれる少女。まともなプレイヤーならまず間違いなく少女を助けようとする。6年前のカイも少女を助けようとした。
だが、その選択肢は罠だ。
少女を助けようとすれば必然化物と戦うことになる。だが、化物はゲーム開始時のプレイヤーではどうあがいても勝てないような超超高ステータスをしている。それもそのはずで、化物は正式名称を【九足白鬼のアルメリウス】といい【赤月の八陰神】の異名を冠するゲームでも8体しかいないレイドボスの一体なのだ。
ゲーム開始時のプレイヤーの攻撃ではその固い皮膚を貫けず1ダメージも与えることが出来ず、8本の手足と髪を雨あられと降らせる絨毯爆撃は回避が鬼難度の上に一撃でも喰らったが最後、紙屑のようにHPを消し飛ばされる。
つまりこれは負けイベント。何度か試行して死んで勝ち目は皆無と悟ったプレイヤーは別の方法を模索する。そして大抵、勝てないなら少女を逃がればいいじゃんという結論に至る。6年前のカイもそうだった。だが、アルメリウスの一歩で数十メートルを進む圧倒的機動力に絶望してその道も諦める。
アルメリウスの攻撃でHPが0になったプレイヤーはすぐには死なない。アルメリウスの長い手足に生きたまま口に運ばれ、おぞましい笑顔を浮かべたアルメリウスの醜悪な顔を至近距離で直視させられたあと、大口に放り込まれてようやく死ねる。VRなので物理的な痛みはないが精神的にかなりくる。
その繰り返しでプレイヤーは心を折られて、プレイヤーはやがて「どうせゲームだからと」試しに少女を見捨ててみることにする。6年前のカイもそうだった。すると、アルメリウスは当然の帰結としてプレイヤーに散々したようにして少女を喰い、満足げに汚い音のゲップをしてから、ズシン、ズシンと重く大きな足音を立ててどこかへと歩き去ってしまう。
そうしてアルメリウスが歩き去った空間の背後には、木々の別れた細い一本道。戦々恐々としながらプレイヤーはその道を通る。すると、迷い子の森を抜けて、ようやく新しいフィールドへ。
そこに至ってプレイヤーはようやく気付く。先程のイベントは、少女を贄に捧げる選択肢こそが正解だったのだと。新しいフィールドに足を踏み入れた時点で自動セーブ機能が働くため選択肢をやり直すことはできず、森に戻ってアルメリウスを探しても、かなりストーリーを勧めた先で建てられるイベントフラグを立てるまでアルメリウスは現れない。復讐をするためにはストーリーを進めるしかない。成長して復讐を成し遂げるその時まで胸のもやもやを引きずってゲームをプレイしなければならないのだ。
猛烈な後味の悪さを残す、プレイヤーの間で【洗礼】と称されるこのイベントがカイは大好きだった。現実の悩みなんて小さなことなんだよと笑い飛ばすような現実じゃ絶対に味わえない壮大なスケールの絶望感と後味の悪さ。マイナスベクトルの精神状態にマイナスベクトルの疑似体験が掛け合わさって無理矢理前を向かされる感覚。このイベントを通してカイはルナティック・オンラインに“大いなる救い”を見出した。
ただ一方で、カイはずっと思っていた。
もし、この段階で、本来倒せるように設定されていないはずの、重要敵NPCの一人であるアルメリウスを倒したとしたら。正体不明の少女を救ったとしたら。
一体、ストーリーはどうなるんだろうと。
知りたい。
そしてそれを知るチャンスが今目の前にある。
しかもその条件は単純。強敵の撃破。面倒なおつかいやフラグ管理などする必要は一切ない。
ゲーマーとして胸が滾らない訳がなかった。
森を抜けて、茂みを突き破って、カイはイベントの渦中へと飛び出す。少女の前に立ち塞がり、瞳を爛々と輝かせてちょっとイっちゃってる笑みを浮かべながらカオスロードを構え、アルメリウスと対峙した。
「あぁああああん? なんだてめぇはぁ? 恰好からして太陽の騎士じゃねぇなぁ。知らねぇ。俺様の交尾の邪魔をしたからには死――」
アルメリウスの台詞が途切れる。そして、少しの間を置いてから、カイの聞いたことのない台詞を発した。
「てめぇ、何だその武器は」
「す、凄い。早速特殊台詞が出た。細部までしっかり作り込まれてるなぁ……」
「何訳分かんねぇこと言ってやがる! 俺様は、てめぇは何物で、その武器は何だって聞いてんだよぉおおおおおおお!」
「…………」
ルナティック・オンラインのAIはあまり賢くない。特にアルメリウスは見るからに馬鹿だ。
(出来るだけシンプルに答えてやらないとな。それがこいつに対するリスペクトってもんだ)
少し考えた後、カイはアルメリウスにこう返した。
「俺は人間で、これは剣だ」
「てめぇは俺を馬鹿にしてんのかぁあああああああああああ!」
まるで重力波攻撃のような大音声。カイの背中で少女が「ヒッ」と悲鳴を漏らす。カイは少しイラっとした。思わず「チッ」と舌打ち。
(戦いの邪魔になったら勢いで殺してしまうかもしれない。護衛系NPCほど殺したくなる存在はないからな。けど、少女生存時のストーリー展開も俺は見たい。間違って殺さないように今の内にどかしとくか)
数々のNPCをその場の勢いで殺害してきた経験を活かし、カイは少女を前もって避難させておくことにした。
「女、離れてろ」
「ひ、で、でも腰が抜けて」
舌打ち一つ。今すぐにでも切り殺したい衝動を必死に抑えて、カイは少女に怒声を浴びせた。
「さっさとしろ! (俺に)殺されたいのか!」
「(アルメリウスに)こ、殺されたくないです! は、はひぃいいいっ!」
「あぁん? そいつは俺様の贄だぞ。逃がす訳ねぇだろうがぁあああああああああ!」
地面を這って逃げ始めた少女にアルメリウスが八本の脚の内の一本を猛烈な速度で伸ばす。
「
カイはスペルエディット機能で自分好みの名前とエフェクトに改造した第一階位魔法【パワーオーラ】を発動。剣が黒いオーラに包まれ、剣の攻撃力を1、5倍に上昇。さらに、踏み込みの勢いを体の捻りで剣に乗せる。VRのアクションゲームは物理演算によって攻撃力に補正を加えることができる。遅く、弱く振ればマイナス補正がかかるが、強く、早く振ればプラス補正がかかる。
ズシュッ!
「が、がぁああああアアアアアアアアア!」
アルメリウスが脚を引っ込める。中間点となる関節部が半ばまで断たれ血が噴き出したその脚を別の脚で抑え、憎悪に満ちた瞳でカイを睨む。
カイはため息をつき、アルメリウスに剣を持ってない方の手の指でくいっくいっと挑発した。
「攻撃が安直すぎる。お前のポテンシャルはそんなもんじゃないだろ。一本脚とか舐めてんのか? もっと本気で来いよ。もっと俺を熱くさせろよ。俺の死をお前の悲鳴と血と敗北でカラフルな地獄色に彩ってくれよ。俺に何もかもを忘れさせろよぉオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
「この、人間如きゴミ虫風情がぁああああああアアアアアアアアア! 調子乗ってんじゃねぇぞオオオオオオオオオ! 望み通りマジでぶっ殺したらぁアアアアアアアアアア!」
アルメリウスが二本の脚で直立する。そして、残り6本の手足と、無数に先別れた鋼のような強度の髪の毛を、雨あられとカイに降らした。
(ああ……幸せだ……まるで俺の死を弔う祝福のシャワーだ……)
カイの表情が歓喜に包まれた。
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