第5話 月蝕
カイが何事かぶつぶつ呟きながら宙空の何もない空間を指で連打している。貧乏ゆすりのようなせわしなさ。完全に狂人を見る目をしている少女の視線に気づいていながら気にも留めない。あまりにも男らしい堂々たる振る舞いだった。
「メニュー、ストレージ、ステータス、鑑定、イクイップ、魔法、エディット、自殺、マップ、メール、ログアウト――ちっ、メニューウィンドウを通して行う操作は全滅か。使えねぇ。糞ッ、俺が6年かけて集めたアイテムたちが……まぁ、いい。一番大事なカオスロードは手元にある。それに殆ど死蔵していたアイテムたちだ。実際の所なくても困るまい。問題はない。そう思い込め……!」
何もない空間を指で連打するの(現実逃避)をやめ、カイは一度大きく息を吐いた。そして、自分の体を見下す。
「引き継げたのは武器、魔法、装備、そしてこのゲームアバターのみか。……しかし、ゲームアバターを引き継げたのは本当に助かった。おかげで俺の
「あの……」
「なんだ女」
「……私、女じゃなくてサン・ティチェックです」
少女――サンはスカートをギュッと握って俯いている。弱々しく、小動物的な態度。だが、いつもより少しだけ声が大きい。聞き取りやすくていい。カイはそう思った。
「そうか。なんだサン」
「……これからどうするんですか」
「森を抜けて陽都に向かう」
「陽都ってなんですか?」
サンが首をかしげる。カイは、サンがアルメリウスが管理している【ニエ村】の住人であるという設定を思い出した。ニエ村の住人は森を迷路化するアルメリウスの魔術で500年以上外界から隔離されている。だから外界の知識に疎いのだ。カイは陽都についてサンに簡潔に説明することにした。
「陽都は世界最大人口の都市だ。5人の太陽騎士【
「はい。絵本で読んだことがあります。太陽の女神ソルティアラさまから祝福を授かった英雄さまたちですよね。えっと、月の女神から世界を取り戻すために、その配下である月の眷属と【1000年戦争】を繰り広げている、とかなんとか、書いてあったような……」
「それだけ理解していれば問題ない。その英雄さまに守られた都市に行く。人類最大の武力拠点だからな。人類の生存圏の中ではもっとも安全な場所だ。プレイ――この世界の人々の多くが陽都を活動拠点としているのはそういった設定――理由があるからだ」
「へー……物知りなんですね」
「……っ!」
ゲームプレイヤーなら誰でも知っている知識。それを披露しただけ。それだけで、物知りと褒められる。ずっと、低学歴で、馬鹿で、運痴で、精神障害者で、脳障害者で、無能扱いされてきたカイにとっては未知の体験。背筋に快感の電流が走った。
(これが、知識マウントか……!)
「どうしたんですか? いきなり黙って」
「太陽騎士、そして太陽の巫女は【
太陽の女神と月の女神、どちらともが勢力圏が有するということは当然折衝する場所――均衡点が生まれるということになる。均衡点の空に浮かぶ星は、勢力が上回った神の星、つまりプリオルかルナティックムーンのどちらかになる。だが、その輝きは、相手の勢力の影響を受けて大きく弱まる。そして離れる程その輝きは回復して強くなる。つまり、勢力圏の強化と鍔競り合いが戦いの要なんだ。
では、どうすれば勢力を強化できるか。それは簡単だ。人口――月の女神は眷属数か。その数で神の勢力の強さは決まる。産めや増やせや、数こそ力なりってことだ。月の女神は人間を【月蝕】し、狂わせて己の眷属と化する。それも、自勢力の拡大と敵勢力の減少のためだ。一石二鳥の良策なんだ。月蝕は。太陽の女神が月の女神に勢力争いで大きく後塵を拝しているのは月蝕の有無の差だな。つまり太陽の女神はポンコツなんだ。
殺せば殺しただけ、月蝕すればするだけ、敵の勢力が減らせる。産めば、あるいは月蝕すれば、それだけ自分の勢力が増やせる。そういう戦いだ。千年戦争というのは。つまり、代理戦争だよ。神は己の眷属に自分の代理で戦わせているんだ。力を飴に、敗北を鞭にしてな。神の傲慢に人は巻き込まれているんだ。
おっと、一つ言い忘れてたな。さっき言った通り勢力は眷属の数に比例する。しかし、質もまた、勢力の強さを決定づける重要なファクターとなる。【
あのアルメリウスも柱の一体だ。今、頭上にプリオルが輝いているのは、月の女神がアルメリウスという柱を失いこの辺り一帯に対する干渉できなくなったからだ。極論柱を全員倒せばそれだけで勢力争いには勝利できる。まぁ、柱というのは、神の加護を一身に受ける分みんな馬鹿げた強さを誇っている。特に相手の勢力内で柱を倒す難易度は尋常ではない。よほどの戦力を用意しないと返り討ちにあうだけだ。
あと――」
「あの」
「なんだ」
カイはサンの再びの賛辞を期待した。
「その話今必要ですか? 結局、何が言いたいんですか?」
「……」
カイは答えられなかった。そんなもの自分でも分からない。というか多分いいたいことなんてない。ただ、すごいと言われたかっただけだ。そんな本心、答えられるはずがなかった。
ふと、糞上司の説教を思い出した。
『てめぇのそれは説明じゃねぇ。ただの思考の垂れ流しだ。脳味噌に詰まった糞洗い流してもう一度頭ン中整理しなおしてこい。本当てめぇはハッタツだな。このハッタツが!』
ハッタツ。そんなことは分かっている。だが、今ほど胸にその事実が重くのしかかってきたことはなかった。
(……転生したところで人はそう簡単には変わらない、か……)
絶望に相似した暗黒の気分がカイの心中でとぐろを巻き始めた。躁と鬱。その鬱が今まさにカイに襲い掛かっていた。
そして――。
カイの目が
「っ! 月蝕!」
サンが叫ぶ。カイはその声で自分の身に起きた以上に気付いた。
(狂気度――ルナティックゲージが上がっているのか? おかしいな。ゲームの世界ならこんななんでもないことで溜まりはしない。ルナティックゲージを溜める効果のある敵の攻撃を受けたり、鬱要素のあるイベントを経験することで――ああ、そうか。気持ちが鬱ればゲージが溜まるんだ。ゲームと現実の差異には気をつけないとな)
「なんで落ち着いてるんですか。に、逃げた方が良いのかな……」
「落ち着けサン。まだ大してルナティックゲージは溜まっていない。月蝕が効果を発揮するのはゲージが90%を――じゃないな。瞳が赤く光り出してからだ。まだ俺の瞳は光ってないだろ」
「そ、そうですけど……」
「それにお前がいる」
「へ?」
「太陽の巫女はルナティックゲージを0にする【太陽の浄化】が使える。両手を俺に向けてリピート・アフター・ミー。ソル・オブ・ウォッシュ」
「ソ、ソル・オブ・ウォッシュ」
サンはカイに両手を向けてソル・オブ・ウォッシュと唱えた。
なにも起こらなかった。
「……」
「……」
「使えないな」
「はい、使えません……」
「まぁ、いい。陽都につけば女神像の涙でゲージをリフレッシュできる。行こうか」
「あ、あの」
サンがおずおずと声をあげる。
「私も行くんですか?」
「……太陽の巫女は貴重だ。才能は腐らせるものではない。輝かせるものだ。それこそ太陽のようにな」
「……分かりました。けど、行く前に一つだけ頼みごとをしてもいいですか?」
(加入条件か? なにかな)
「言ってみろ」
「その、陽都に行く前にニエ村に寄ってもいいですか。お母さんに無事と、太陽の巫女になったことを知らせたくて」
「!」
カイは一瞬で察した。
(これは、イベントフラグ! しかも初見! きっと未知のイベントが起こるに違いない!)
「いいぞ」
「はい! ありがとうございます!」
「ちょっと待ってろ」
カイはコートのポケットに手を突っ込み、一着の巾着袋を取り出した。マジックアイテム【バストバッグ】。有限の四次元空間が中に広がる不思議なバッグだ。
裏技的なある用途の方が有名でそちらを目的として使われることが殆どだが、勿論アイテムボックスとしても使える。ただ、ゲームでは無制限にアイテムを亜空間に保持できるストレージ機能があるためその用途で使うものは稀だった。
カイはバストバッグを月の女神との戦いで使用した。それがそのままポケットに残っていたのだ。カイはアルメリウスの首の元へとスタスタ近づき、髪の毛の根元を引っ掴んで持ち上げ、バストバッグに突っ込んだ。時空間が歪み、巨大なアルメリウスの頭がバストバッグの入り口のあたりでギュオンとすぼまってバストバッグに吸い込まれた。
(ゲームだとアルメリウスの毛髪が毛玉状に丸まったアイテムが自動でドロップしたものだが、そんな親切機能が現実にある訳ないか。面倒くさいな……)
「!? え? そんな小さな袋に巨大な頭が吸い込まれて、え? え?」
「行くぞ。もうこの場所に用はない」
「あ、待ってください!」
カイはニエ村へと歩き出す。場所は頭に入っているので先導する形。こんな所に一人置いてかれたら命がないと、サンはカイの背を小走りで追いかけた。走ると追い抜くし、歩きだと置いていかれるからだ。
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