第4話 痛み、そして


(ああ、楽しかった……)


 心の中に緑風が吹く。久しく感じていない全力を出し尽くした清々しさにカイの顔に自然と笑みが浮かぶ。破滅を齎す大蛇神を倒した時もここまでの達成感はなかった。仮想のものとは思えない異常なまでの倦怠感と筋肉疲労が全身を包んでいる。だが、そのマイナスの感覚こそが、バニラアイスにまぶされた塩のように、達成感という甘露を何倍にも引き立てていた。


(俺、もう死んでもいいわ……)


 心の底からそう思う。死ぬ前にいい思い出ができた。これだけ長い時間戦っていたのだから、サービス終了となる深夜12時ももうすぐそこまで迫っているだろう。破滅を齎す大蛇神を倒す少し前にメニュー画面を開いて確認した時間が確か夜9時。アルメリウスとは2時間以上戦っていた気がする。移動時間などのロスタイムを含めたらもう深夜12時を過ぎていてもおかしくない。むしろ、まだ過ぎていないのが驚きなくらい――。


(ん――?)


 アルメリウスの首を斬り飛ばし地面に落ちる途中。


 カイは未だに回転し続けるアルメリウスの体を見て、ふと疑問に思った


(なぜ、未だに死体が消えていない?。死んだ敵は光の粒子となって消えるはず。なのに、なぜ――)


 考える間にも、カイの体は落下し、そして駒のように回転し続ける首のないアルメリウスの死体に触れた。


 白い稲妻が一瞬で全身を駆け巡った。


 気が付いたときにはカイは背中を森の中の木々の一本に打ち付けていた。ガハッ、と何かを吐き出す。見ると、それは赤い色をして、ズボンを熱く濡らしていた。


 血だった。


(なぜっ――)


 驚き。疑問。それらの精神的作用で否応なくカイの意識は虚ろの海から浮上していき、そして――。


 人生最大の激痛によって、完全に覚醒した。


 絶叫。


「が、がぁあああああアアアアアアアアアアアッ!!!」


 痛い。ただただ痛い。こんな痛みがこの世にあったのか。人間の体とはこれほどまでに全身に細かく痛覚神経が張り巡らされているものなのかと驚く。悲鳴、苦鳴、哭鳴。ありとあらゆる種類の泣き声で呻吟する。平和な日本で平凡な人間として過ごしてきたカイには耐えがたい痛みだった。だから、ただただ、泣き喚く。


「痛い! 痛い! 痛いいいいいいいいいいい! な、なぜだ。VRゲームに痛覚は存在しないはず。まさか、この世界は――)


「だ、大丈夫ですか!」


 先程戦場から排除した少女がカイに駆け寄ってくる。カイは己の推論を確かめるため、痛みに顔をしかめながら、駆け寄ってきた少女のやぼったいベージュ色の上下一体型のワンピーススカートを腹までまくり上げた。白だった。


「ひゃあっ!?」


(――やはり、か。この世界がVRゲームならスカートを捲ろうとした手は硬直して動かなくなるし、スカートの中身は色気のないハーフパンツをはいているか謎の白い光が突如として差し込むかして見えないはず。最後は――)


「あんっ!」


 ぐに、と肉を潰す感触。ありえない柔らかさ。鉄板を撫でるようだったゲームとはまるで違う。ここに至って、とうとうカイは確信した。


(この世界はゲームじゃない、現実だ――!)


 瞬間、痛みを歓喜が凌駕する。苦痛の中、涙と脂汗が滲む顔に、それでもカイは壮絶な笑みを浮かべた。


(そう、現実だ! これは、現実。現、実――)


「こ、怖い……けど、命の恩人なんだから我慢、我慢……!」


「……」


 カイは無言で少女から手を離した。頭と心が一気に冷静になる。途端、感情の昂揚によるプチ麻酔効果が切れ、激痛が体を苛んだ。あまり痛さに言葉もなくして、カイはふらりと背中から地面に倒れた。


「だ、大丈夫ですか!?」


 少女が顔を覗き込んでくる。カイは少女――ではなく、その背後の空を見る。そこにはもう赤い月はなく、代わりに白い太陽が浮かんでいた。エリアボスであるアルメリウスを倒したので、この一帯の支配権が月の女神から太陽の女神に移ったのだ。その変化を以ってアルメリウスの死――つまり自分の勝利をカイは確信し、改めて勝利の味を噛み締める。


 もうそれくらいしかできることがなかった。


(くそっ、本格的に意識が薄れてきた。できれば残りの赤月の八陰神とも戦いたかった、が、もう、無理、死、ぬ――)


 カイは目を閉じた。意識と共に段々と痛みが薄らいでいく。


(死ぬのは惜しいが、ボロ屋の一室でロープで首を吊るよりは上等な死に方ができた。アルメリウス、ありがとう。最後に大好きなお前と生涯最高の戦いができて、良か、った……)


 好敵手に感謝の念を送るカイ。段々と表情が穏やかになっていく。意識を手放そうとする。


 だが、少女の声がうるさくて中々上手くいかなかった。


「ひっく、ひっく。し、死んじゃう。私なんかを助けるためにこんな強い人が死んじゃうよぉおおおおおおお!」


(うるさい、黙れ。期待外れめ。やり込み特典でもあるかと思えば結局ただのモブ。しかもうるさい子供。俺が一番嫌いな人種だ。見てると昔の自分を思い出して殺したくなる。俺も貴様も早く死んでしまえ。それが世のためだ)


 喋ろうにも声が出ない。なので心の中でうんと悪態をつく。だが、カイの心の声など聞こえるはずもなく、少女はとうとう神に祈り出した。


「わ、私なんかを助けるためにこんな強い、世界を救えるかもしれない人が死んじゃう。太陽の女神ソルティアラさま。どうか、どうかこの人を助けてください。この人が助かるなら私の命なんていりません! だからどうか、お願いします――!」


 カイは少女を心の中で嘲笑した。


(神はニートだ。なにもしてくれないぜ。俺の救済を祈るくらいなら神の死を祈りな)


(誰がニートですか。それに死を祈れとはなんと無礼な――!)


(ちっ、幻覚まで聞こえてきやがる。統合失調症が悪化したかな? まぁいい。どうせ死ぬだけだ……)


「っ! これは、女神さまの声っ!? えっ!? 呪文を――はい、分かりました。【太陽の奇跡ソル・オブ・ビート】!」


 少女が胸の前で手を祈り合わせ、呪文を唱えた。するとカイの体が白い光に包まれた。


(!? 馬鹿な! これは太陽の巫女のみが使える上位太陽魔法! 傷が、癒えていく……)


 1秒でカイの傷が全回復。カイは立ち上がり剣を振った。体のどこも痛くない。動きの違和感などの後遺症もない。カイは生き永らえたのだ。


 カイは少女を見る。ポカンとしている。自分のしたことが信じられない様子だ。訝しがるカイの脳に再び幻聴が響く。


(少し、無茶をし過ぎましたか。もう、限、界)


「!? そうか! さっきの声は幻聴じゃなかったんだ! 女神ソルティアラがこの女に祝福を授けて太陽の巫女にしたんだ! これがアルメリウスを倒した特典か! はははっ! 凄いぞ! やっぱルナティック・オンラインの運営はハイリスクハイリターンのお約束だけは外さない! 信じてたぜー!」


(……この際、人格は、問いません。その力で、月の眷属を、倒して、私を――)


 声が途切れる。そしてそれきり聞こえなくなった。少女が笑顔を浮かべてカイの方を見た。


「まさか、私が太陽の巫女になれるなんて……ありがとうございます! あなたのお陰で――」


「ふ、ふひ、ははははははっ! 最高だ! 俺の、【カイ・クローシャ】の冒険はまだまだ続く! 苦役のような仮初の人生を終えて本当の俺の人生がこれからやっと始まるんだ。ふひゃ、ひゃひゃ、ひゃはははははははははははははははははははっ!」


 少女の笑顔が凍り付く。カイは、ゲームの世界に転生できた喜びの余り、ちょっとテンションがおかしくなっていた。完全にイった瞳で、太陽に向けて両手を広げて、甲高い哄笑を上げ続ける。少女がそんなカイを見て、一歩後ずさる。そのまま気づかれぬ内に逃走しようとする。


 だが、少女一人では月の眷属が徘徊する危険な森の中を移動することは出来ないことにすぐに思い至り、結局少女はカイの傍でカイのテンションが落ち着くのを泣きそうな思いで待っていた。

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