第1話 狂気の世界へ

「エターナル・デス・フレイム!」


 そう言って全身黒尽くめの装備に身を包んだ男が天に突き出したのは、赤い宝石を握り締める指の甲から黒翼の生えた悪魔の手が先端部に、その手から伸びる腕が柄になった禍々しい形状の魔杖。その魔杖の先端部の赤い宝石からまるで天を埋め尽くさんとするかのように放射状に無限に広がる漆黒の炎の奔流が放たれた。


 夜空を泳ぐ、100メートルはあろうかという蛇の尾のような脊髄から、傷だらけの巨大な白い女性の上半身が生えた、巨大ボスエネミー【終焉を齎す大蛇神】を、エターナル・デス・フレイムが呑み込む。


「GYAAAAAAAAAAAAAAAA!」


 終焉を齎す大蛇神が天地を震わす断末魔の絶叫を上げる。漆黒の炎の奔流の中、大蛇神の巨体が白い光の粒子となって薄れていき、そして最後に甲高い悲鳴を残して、消えた。


 魔杖から急に漆黒の炎の噴出が途絶える。魔術の強制キャンセル。MPの枯渇現象。男はひりついた笑みを浮かべた。


「ギリギリ、だった。だが、俺の勝ちだぞ」


 男が地面に背中から倒れ込む。景観を乱す邪魔者がいなくなった満点の星空の下、大の地になって、大声で笑い声をあげる。


「ふ、ふはははははははははは! やったぞ! エンドコンテンツ【終焉を齎す大蛇神】をソロで倒したぞ! 全プレイヤー初の快挙だ! 最後に、いい思い出が出来た、な……」


 徐々に、笑い声が途絶える。男の顔から笑みが消える。夜空を見上げる男の瞳には、もういかなる感情も映っていなかった。夜空と同色の虚無だけが、男の瞳の中にはあった。


「……俺は何をやっている。6年間続けた【ルナティック・オンライン】が今日サ終を迎えて、貯金の全てを駆け込み課金で武器の強化に費やして、【終焉を齎す大邪神】をソロで討伐して――それが一体何にになる。ただの、迂遠な自殺じゃないか……ああ、そうか」


 男は魂を吐き出すように独り言を吐き出す。そして、その独り言の中から、最初の疑問の答えを見つけた。呟く。


「俺、死にたかったんだ」




 男は、何の取り柄もないごく普通の人間だった。いや、普通ではない点が一点。それは、VRMMOゲーム【ルナティック・オンライン】――VR空間で繰り広げられるマッドな世界観のアクションRPGゲーム限定の誰にも負けないゲームの才能。その才能が、男にとっての救いであり、呪縛であった。


 子供のころから、運動もダメ、勉強もダメ、創作もダメ、何をしてもダメ。底辺高校をギリギリで卒業し、ハロワの前での勧誘に引っ掛かって18の時分に入社した会社が、ブラック。そこでも無能を発揮し上司からゴミのように罵倒される日々。男の精神は自殺寸前まで追い詰められた。


 そんな折、精神科医に進められ現実逃避の一環で手を伸ばしたのがVRゲームだった。子供のころから興味はあったが、男の家は貧乏だったのでゲームとしては破格の値段のVRゲームを買ってもらえなかった。ブラック企業とはいえ働くようになった男は、独身男性の常として遊ぶ金にだけは困らなかった。なので、ゲームショップに行って、30万円するVRゲーム機本体と、タイトルとパッケージで興味を引かれた3万円の新作VRMMOゲーム――【ルナティック・オンライン】を適当に一本選んでセットで購入した。


 VRMMOはVR空間の維持費に金を取られるためサービスが終了したら起動すらできなくなる。だが、男にとってはどうでも良かった。どっちかというと自棄買いと呼ばれる商品の購入自体でストレスを発散するタイプの買い物だったし、自分がそれほどVRゲームに嵌るとも思っていなかったからだ。


 思いっきり嵌った。


 それは、運命の出会いだった。男は人生で初めて他人に勝れる才能を見つけた。それがルナティック・オンラインの才能だった。男はルナティック・オンラインにド嵌りした。


 まるで、精神があるべき体にようやく帰還したかのような感覚。体感操作性に難があると批判されるルナティック・オンラインの世界で男は水を得た魚のようにアバターを自由に操作できた。現実ではできないアクロバティックもゲームの世界ならば100%再現可能。現実でプロボクサーや剣道家だというプレイヤーもゲームの中なら相手の土俵に立った上で軽く捻れる。難関とされクリアできないプレイヤーもいるボスをノーダメージで完封できる。その万能感と仮想の勝利の味に男は酔いしれた。正気を失う程に。


 段々とリアルとゲームの比重が逆転し始めた。リアルよりもゲームの世界の方が真実に思えてきた。リアルの世界はゲームアバターの【カイ・クローシャ】が見ている胡蝶の夢なのではないかと本気で疑い始めた。上司の説教を薄ら笑いでやり過ごせるようになった。ゲームの口調でリアルで話し始めたら上司が初めて親切になった。会社を辞めさせてくれた。自由な時間ができた。貯金を全てルナティック・オンラインに費やした。


 その果てが6年間続けたルナティック・オンラインのサービス終了だった。






「俺からルナティック・オンラインを取ったら何が残る。何も残らねぇよ! ゴミみたいな人生送る元社畜ヒキニートしか残らねぇよ! そしてもう貯金すら残ってねぇよ! 糞がッ!」


 男は叫ぶ。それは魂の絶叫。今から数時間後には消えてなくなる【カイ・クローシャ】――男にとって真実の自分とも言うべき一個生命体が放つ、命の断末魔だった。


 泣く。VRゲームには瞳の奥の涙腺から涙を流す感覚すら実装されている。実装されていないのは痛覚と性感だけ。それ以外の感覚は全て体験・再現可能。胸を内側から焼き焦がす絶望と悲しみすら再現可能。男は生まれて初めてVRのリアルな感覚再現機能を呪った。


「うっ、うっうっ、うぅっ……うん?」


 気付く。いつの間にか、涙で滲む視界の中に、白いメッセージウィンドウが発生していた。涙を拭って、濁った文面をクリアにする。


【もっとリアルなゲームがしたくありませんか】

    YES  /   NO



「YES」


 男は完全な反射で、文面の下に表示された【YES】のコマンドを押した。【NO】など視界にすら入らなかった。


 すると、突如としてメッセージウィンドウが白い光を放ち始めた。あまりの眩しさに男は目を瞑り、さらに腕で目を覆った。


「うおっ、眩し!」


 言ってる間にも光はさらに眩しさを増していく。二重の目ガードをすり抜けて、男の視界を真っ白に染め上げ、さらに強く、どこまでも強く、男がこれ絶対光量規制引っ掛かってんだろと確信する程に強く、その輝きを増していった――。





「ここ、は……?」


 男が眼を開ける。光は止んでいた。そして景色が一変していた。


 枝葉が不規則に伸びくねった色も形も禍々しい木々。毒々しい紫色の地面。センチピードやキャタピラーやコックローチなど生理的嫌悪感を齎す外見の蟲達がそこかしこを這っている。木々の台風の目となっている頭上を見上げると、夜空にぽっかりと浮かんだ赤い満月。光量は中々のもので、地球の3倍ほどの明るさ。何も見えなくてもおかしくない夜の森の中、周囲の光景を男が見分することができたのは、この月のおかげだった。


 ルナティック・ムーン。


 別名、狂気の月。


 ルナティック・オンラインの世界の中にしか存在しない赤い月。世界観の根幹をなす重要なシンボル。


 つまりここは、ゲームの中。


 そして周囲の光景は男もよく知るステージのもの。世界観紹介の役割を持たせるためルナティック・オンラインの世界観を色濃く反映した、新規プレイヤーが最初に攻略するステージ。


「1STステージ【迷い子の森】……か。しかし、データが初期化された訳ではない」


 男は自分の恰好を見る。黒のコートに、黒のベスト、黒のズボン。いずれも序盤の装備とは比べ物にならない防御力を持った己の最終装備だ。


 さらに、手には【終焉魔杖ヴィヌスノア】がしっかりと握られている。ランダムステータス限界突破と限定スキルランダム付与の効果を持った消耗品系課金アイテムで極限まで鍛え抜いた男の愛杖。初期装備の5500倍の威力で魔法を放てる自慢の逸品だ。


 終焉を齎す大蛇神撃破時の装備のままストーリーの始めに飛ばされた。簡易的な状況確認の末、男はそう結論づける。


「つまり、強くてニューゲームって訳か。大蛇神のソロクリアがアンロック条件ってところかな……今更って感じもするが、まぁ、残り数時間、楽しませてもらうとしよう。時間が惜しい。さっさと進むか」


 迷い子の森の只中へ。


 迷いない一歩を男は踏み出した。

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