第11話 女になった友達とHR
三浦先生に声をかけてから、職員室を出たところで、
「――あれ、志賀くん? 珍しいね、こんなところで」
何やら書類の山を抱えたクラスメイトとばったり行き会った。
「うっす。ちょい先生に用があってな。由良は……また内申点稼ぎか」
「言い方が悪いなあ、志賀くん。100%善意のお手伝いだよ。そっちのカバンは朝日奈くんの?」
「そ。俺も善意の手伝いだ。こいつ、教科書全部持ち帰ってるのかクソ重いんだけど」
「あはは。朝日奈くん真面目だもんねえ」
由良裕子。
成績優秀、容姿端麗、温厚篤実。
2年A組ダービー、穴も裏もないダントツの一番人気。
クラスの誰よりも明るく誰にでも優しく誰とでも仲良し。
教師陣からの覚えもめでたく、先輩からも良く愛でられているところを目撃する。
そんな由良とは去年から同じクラスで、会えばちょっとした会話をする程度の良好な関係を築いている。
つまり仲良しだ。
仲良しだよね?
「その朝日奈くんは?」
「ん、ちょっと困ったことになっててな」
「困ったこと?」
きょとんとした顔で首を傾げる仕草が、あまりにも様になり過ぎている。
これを那須がやるとあざとく感じるんだが、由良だとごく自然に感じる。
この差ってなーんだ。
人徳?
「内容については、直ぐに由良も知るところになると思うから、俺からのコメントは差し控えさせていただく」
「ええー? そう言われると気になっちゃうなあ」
「びっくりし過ぎて机ごとひっくり返ると思うぜ」
「それは仰天してたら危険そうだね……」
体の上に机が倒れて床とサンドイッチ。
仰天どころか昇天しかねない。
仰げば尊死。
「真面目な話、結構おおごとな話なんだ、これが。由良にも色々と協力してもらうことになるかもしれないから、その時は頼んだ」
「分かった。クラス委員長として、私に出来ることがあればなんでもするよ。――好感度と内申点のためにもね!」
「善意に割としっかり打算が含まれてるな……」
まあ、打算ひっくるめての善意だからな。
行動した結果、それで助かる人がいるなら動機は何だって構わないだろう。
と、会話が一区切りしたタイミングで、由良は抱えた書類をアピールして、
「じゃあ私、これ届けないとだから。――またあとでね?」
俺と入れ替わるように職員室に入っていった。
すれ違いざまに花のような香りがした。
単純に、同じ教室で授業を受けている訳だから、当然の如くまたあとで会うことにはなるのだが、しかし、思春期真っ只中の男子高校生としては、それ以上の意味を勝手に付き足してしまいそうになるような、そんな別れの言葉だった。
男子高校生はこういうのに弱いんだ。
俺だけか?
「……と、俺も戻んないとな」
いつまでも由良の残り香を堪能していられない。(もちろん比喩だ。念の為)
俺はその場を離れて、教室に向かう。
結局、教室に着いたのは、いつもと同じような時間だった。
ほとんどの生徒がすでに登校済みで、談笑したり机に突っ伏したり本を読んだりと、銘々に朝の時間を過ごしている。
「うーっす」
「ウィー」
「ウェー」
「うぁー」
制汗剤の匂いを撒き散らす朝練終わりの野球部連中とゾンビみてえな挨拶を交わしながら、あさひの鞄を机に置いて自席に着く。
ちなみに俺の席は窓際の一番後ろの特等席で、あさひは前から三番目の真ん中の席だ。
さらにちなむと、俺の斜め前には由良の席がある。
その由良も直ぐに用事を済ませたようで、俺が授業の準備をしている間に教室に戻ってきていた。
みんなに声をかけてかけられて、きらきら笑顔を振りまいている。
さすがはクラス一の人気者、華やかさが違う。
後方陰キャ面で感心していると、ちらっと目が合って、小さく手を振られた。
は? こいつぜったい俺のこと好きだわ。
俺も由良のことが好きなので両思いでハッピーエンド。
でも告白したら振られるので、10年後も20年後も、たった一つこの事実を糧にして人生を生き抜いていきたいと思います。
普通にバッドエンドだなこれ。
まもなく始業の予鈴が鳴った。
教室前方の扉から、三浦先生が男子制服を着た女子生徒を連れて入ってくる。
賑やかだった教室内が一瞬静まり返って、ざわざわと小声の波紋が広がっていく。
「あれ誰?」「知らない」「転校生?」「女の子だよね?」「超可愛くない?」「でも男子の制服着てない?」「なんで?」「わからん」
――と、クエスチョンマークの多い会話が方々から聞こえてくる。
「皆さんおはようございます。席についてくださーい」
教壇の前に立った先生が着席を促して落ち着かせる。
がたがたがやがや、椅子の音と私語が鳴り止むのを見計らって、徐に口を開いた。
「朝のホームルームを始める前に、皆さんにご報告があります。実は――」
「もしかして転校生すかー!?」
声のでかい男子生徒が食い気味に発言した。
誰だっけあいつ。
クラス替えをしたばかりで、まだ全員の名前を覚えきれてないんだよな。
うちの学校、一学年8クラスくらいあるし。
2年連続あさひと由良と同クラなの、普通に奇跡だと思う。
「はい、このクラスに転校生が――という訳ではないです。真面目な話なので、田辺さんちょっと静かにしててくださいね」
怒られてやんの、と誰かが揶揄して教室内に笑いが起こる。
しかし前方のあさひはにこりともせず、無表情で俯いていた。
めちゃくちゃ緊張してるなあいつ。
がちがちに固まっている。
俺の視線を感じ取ったのか、顔を上げたあさひと目が合った。
態とらしく苦笑してやると、若干肩の力が抜けたように見えた。
仕切り直して、先生が話し始める。
「こちらにいる朝日奈さん――朝日奈あさひさんのことで、みなさんに大事なお話があります」
教室がざわつく
前に立っている女生徒があさひだと告げられて、みんな、困惑している。
「朝日奈?」「え?」「どう見ても女の子じゃ……」
俺も、何も知らなかったらさぞ驚いていたことだろうが、それはすでに通った道。
今は他人の様子を観察する余裕があった。
驚愕の声を上げる人、何が何だか分からないというような顔をする人、興味なさげに窓の外を見ている人、ショックを受けたように固まっている人――十人十色の反応の中でも、後ろからじゃいまいち感情が読み取れない人もいる。
斜め前の席の女生徒、由良はあさひの方に体を向けたまま動かなかった。
さっきちょっと話したから、俺に何か言ってくるんじゃないかと思ったんだが、振り向くそぶりはない。
ぴんと伸びた背中からは何の感情も伝わってこなかった。
「性転換症って、聞いたことありますよね。とても珍しい病気ですが、朝日奈さんはそれを発症して、女の子になってしまいました」
三浦先生が「朝日奈さん」と促すと、教室が水を打ったように静まり返る。
女生徒が――あさひが何を言うのか、みんなが注目している。
「……朝日奈です。土曜日の朝、起きたらこうなってました。見た目は変わりましたが、それ以外は特に変化はないので、今まで通り接してもらえると嬉しいです」
顔を上げず、俯いたまま。
最前列の机の足先でも見てるんじゃねえかという頭の角度で、淡々と原稿を読み上げるみたいに、あさひは女声を発した。
昨日の夜――というか今日になっていたかもしれないが――セリフの内容については、あさひと話し合っていた。
「なんて言えばいいかな」「んー、そんなに長く喋るのもだるいだろうし、簡潔に纏めていいんじゃないか?」――。
多くを語る必要はない。
事実と、これからどうして欲しいか。
それだけ伝えることが出来れば十分だろう。
あとは先生が上手く言ってくれる。
「突然の変化に戸惑っている人もいるかと思いますが、言葉通り、朝日奈さんにはこれまで通り接してあげてください。ただ――これは先生からのお願いですが、性別が変わる、というのはとても大きな変化です。朝日奈さんが困ってしまうこともあると思います。そう言う時にはぜひ、皆さん一人一人が力になってあげて下さい」
性別が変わるくらい大したことナイナイ、なんて強がって内輪で言っていた俺たちだったが、外野から見ればもちろん、大したことだ。
今までは俺しか知らなかったあさひの状況が周知されて、これからは、俺以外の奴らもあさひのことを気にかけるようになる。
無理やりと言うか成り行き上ではあるが、これであさひは、俺にしか相談出来ないという半孤立無援状態から脱したのだ。
……逆に、みんなに知られてしまった、とも言えるのだが。
まあ、ともかく。
先生の言葉に、みんなが「はい」とまばらに返事をして、この話は終わった。
ひとまずのところは。
「では、今日のホームルームを始めます――」
あさひが席について、朝のHRが始まる。
クラスメイトたちもちらちらちらちらちらちらとあさひに視線を送っていたが、HR中に声をかけるような不届き者はいなかった。
これだけ視線を向けられていれば、あさひもさぞ座りが悪いだろうと同情的に思ったのだが、後ろから見る限りでは、さして気にした様子はなかった。
つまり、努めて気にしないようにしている、ということだろう。
……にしても、先週まで男子が座っていた席に、男子制服を着た女子が座っている違和感すごいな。
座っている人間も、着ている服も同じで、俺から見えるのは後ろ姿だけなのに、男だった時とはまるで違う。
なんだろう、前までは特に意識することもなくあさひを視界に収めていたはずなのに、今はそこだけフィルターがかかったように強調されて、どうしても意識が持っていかれる。
こんなにうなじに視線が引き寄せられることもなかったはずだ。
思えばあさひが女になってからこれまで、正面や横からあさひを見ていることがほとんどで、後ろから俺が一方的に見ている、という状況はあまりなかった気がする。
……いや、ブラつける時とかまさにそんな状況だったな。
いかん、神聖な学舎で場違いなことを思い出してしまった。
余計に視線があさひに引っ張られる俺だった。
「……?」
俺の気持ち悪い視線を感じ取ったのか、あさひが振り向いてこっちを見てきたが、俺は何でもないふりをして目を逸らした。
他の奴らの視線は気にしていない風なくせに、なんで俺のは気にするんだよ……。
女子は邪な視線に敏感って聞いたことあるけど、あさひにもその能力が備わってしまったのだろうか。
今後より一層、目の置き場には気をつけることを誓った俺だった。
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