第4話 女になった友達と初めての外出


 支度を終えて、出かける直前になってのこと。

 玄関であさひは鏡の中の自分とにらめっこをしていた。


「オレ、なんか変じゃない? だいじょうぶ?」

「大丈夫大丈夫。なんも変じゃないよ」

「ほんと? 慎也のそういうところ、いまいち信用できないんだよな」

「どういう意味だこら」


 大変に失礼な言い草だった。


 俺はもう既に靴を履いていて、外に出る準備は万端だった。

 が、あさひが鏡の前から動こうとしない。

 女になった自分が、他人から見て変じゃないか不安らしい。


「男なのにブラ着けてるヘンタイだって思われないかな」

「思われねえよ。見た目女だし、そもそもブラなんて見えねえ。鏡見りゃ分かるだろ」


 あさひはシャツの中に着ていた白Tを、黒色のものに着替えていた。

 白だと透け感があって、若干中が見えてしまうことに気を遣ってのことだった。

 ブラの上に肌着も着ているらしいので、いくら目を凝らしても下着が透けて見えることはない。


「そうなんだけどさ。何度確認しても不安というか、むしろ見れば見るほど自分じゃないように感じて違和感が強くなるというか……」

「…………」


 俺には適切な言葉が見つけられなかった。


 俺から――というか、客観的に見れば、いまのあさひはただの女の子だ。

 ボーイッシュな服装ではあるが、それは個性の範疇で、なにもヘンなところはない。

 ジェンダーレスの進む現代なら尚更だ。

 あいつ精神的には男なのに女性下着を着ているんだ――なんて、誰も思わないだろう。


 だが、俺がそう言葉で伝えたところで、あさひ本人の主観がどうしようもなく自分の姿に不和を感じてしまっている限り、俺にはその不安を払拭させてやることは出来ない。

 今はとにもかくにも外に出て、衆目に身をさらし、別になにもおかしなところはないと、身をもって体感させることが一番手っ取り早いように思えた。


……おかしなところがない、と思われることもまた、あさひにとっては苦痛なのかも知れないが。

 全ては俺の憶測で、何一つとして確かなことはない。


「ごめん、ダルいこと言った。待たせてるよな」

「んなことないけど……」


 考え込んでいたら、ごにょごにょとした返事になってしまった。

 そか、とあさひはさして気にした様子もなく鏡の前から身を退けて、靴を履いた。


「っと、靴もちょいデカく感じるな」

「小さいヤツないのか?」

「ない。まあ靴紐キツく縛れば脱げたりしないだろ」


 言葉通りきゅっと強く靴紐を結んで立ち上がる。


「さ、行くか」

「…………」


 俺には、あさひが平常を装っているように見えた。

 でも、だからといってこのまま家に引きこもっているわけにもいかない。

 時間経過で体が元に戻るわけじゃないのだ。

 遅かれ早かれ女の体で外には出ないといけないし、俺以外の人間と接せざるを得なくなる。

 時には勢いに任せるのも必要なことかもしれない。


 おうだかああだかこれまた曖昧な返事をして、俺は玄関のドアを開けて外に出た。


「ご近所さん居ない?」

「居ない」

「よし」


 中と外の境界に壁があるかのように、あさひは一瞬躊躇った。

 あくまで一瞬だ。

 俺が次に瞬きをして目を開いた時には、えいやとはねるように敷居を超えていた。


 実に感動的な光景だった。

 目が釘付けになる。


「はやく行こうぜ。ご近所さんとばったりしちまう」

「あ、ああ……」


 うわ、揺れ、すげ……。


 昨日まで男だった友達に実ったたわわが弾み揺れる瞬間を、俺はしばらく忘れられないだろう。

 



 病院は市内の大学病院を予約していた。

 症状が症状なだけに、出来るだけ設備の整っていそうなところで診てもらった方がいいだろう、という考えによる選択だ。

 何科にかかれば良いのかもよく分からないし、そこらへんの町医者にかかったところで大きな病院を紹介されて終わるのが目に見えている。

 だったら最初から、一通り揃っているところに行くのが効率的だ。RTA並感。


 郊外にある市内有数の大病院で、あさひの家から歩いて三十分弱といったところ。

 そこそこ距離はあるが、歩いて行けない距離ではない。

 駅から病院前行きのバスが出ているが、時間にはある程度余裕があるし、あさひも徒歩で行きたがったので、今日は利用しないことにした。


 病院への道中。


 学生が公共交通機関を使うのは甘え、若いうちから歩いていないと歳を取ってから困ることになる、歩けヤング、走れキッズ、などと老害じみた供述(誇張)をしていたあさひだったが、外に出てからというもの、ずっと落ち着かない様子でそわそわしていた。


 知らない道でもあるまいに、初めてお散歩をする子犬のようにきょろきょろと周りを伺ってはびくびくしている。


 だからだろうか。

 駅前に差し掛かり人通りが増えてきたところで、何を疑われているのか、周囲から俺への不審な視線が槍衾のごとく突き刺さるようになった。


 マジで何を疑われているんだ。

 誘拐? 脅迫? 

 どちらにしろ好意的な視線でないのは確かで、今度は俺の方が落ち着かなくなってくる。


 正義の青い人に『ちょっとお兄さん話聞かせてくれる?』なんて肩を叩かれたり、正義の皮を被った旧青い鳥廃人ツイカスにインプレッション数稼ぎのネタにされて級友ツイ廃に『ちょwwwお前有名人じゃんwww』なんて言われるのはごめんだ。

 はいはいクロスXクロスX。え? エックス?


 これまで、出来るだけプレッシャーをかけないようにと関係のない話をしながら歩いていたが、俺に訪れ得る暗い未来を想像すると流石にこのまま歩いているわけにもいかず、俺はあからさまに気遣っているような顔をしてあさひに寄り添った。


「やっぱり落ち着かないか?」

「……ブラ着けて外出てる抵抗感が、ヤバい」


 まあそうだろうなと思う。


 例えば、ブラを着けて外に出るか、ノーパンで外に出るかの究極の二択を迫られたら、どちらを選ぶだろうか。

 俺なら迷いなくノーパンの方を選ぶ。

 男がブラをつけて公共の場に出るのは、そのくらい心理的なハードルが高い。


 心なしかあさひの血色のいい顔が青ざめているように感じた。


「あとなんか胸に視線感じる」

「……気のせいだろ」


 その視線は九分九厘が男からのものだろうなと思ったが、余計なことは言わぬが吉。

 心にも思っていないことを言って、俺はちらちらと胸を見ていた自分を戒めた。

 しょうがないじゃん……顔見ようとすると視界に入ってくるんだもん……。


「少なくとも、男がブラつけてるw w wとは絶対に思われてないから安心しろ」

「……だといいけど」


 そう簡単には割り切れなさそうなあさひだった。

 だが、ノーブラで外に出ていたら視線のレーザーサイトがもっと胸に集中していたことは間違いない。

 女性として見られるか痴女として見られるか、どちらの方が男としてダメージが少ないか。

 どう考えても前者だ。

 ブラを着用して出歩くことについては我慢してくれとしか言いようがない。


 あさひは胸元のシャツを摘まんで引っ張って嘆息した。


「よくもまあ女の人はこんなのぶら下げてて普通に歩けるよな。すっげえ重たいしめちゃくちゃバランス取りづらいんだけど」

「人体の神秘だな」


 確かにたいへん重たそうだった。

 小ぶりのメロンを二つ吊して歩いているようなもんだもんな。

 家を出てからたまにふらついていることがあり心配していたが、理由が分かって安心&納得する。


 昨日までとは体の構造がまるで違うんだ、そりゃ上手く制御できないに決まっている。

 むしろこれまでよく平然と歩いてこれたもんだ。

 家の中では動けるスペースが少ないからか、ほとんど違和感を感じなかった。


……いや、今更ながらに思い返せば、料理中は普段のあさひらしくなく手間取っていたような気もする。

 “キッチンに立つ可愛い女の子のエプロン姿”を友達のリビングから眺めることになり完全に脳が死んでいた俺には、情けないことに、それを問題視する余裕がなかった。


「あと靴が緩いのもある。すげえ歩きづらい」

「やっぱりバスで行くか? 転んでも危ないし」

「いや……出来れば、慎也がいる今のうちに馴れときたい。いざとなれば肩くらい貸してくれるだろ?」

「肩と言わず全身でお馬さんになってやろう」

「それはキショいからやめてくれ……っと、とと」


 などと話していた矢先のことだった。


 あさひがバランスを崩して俺の方に寄りかかってきた。

 むぎゅぅ♡と柔らかな乳肉が俺の腕に押しつけられる。

 あっあっあたっあたたっ。


 あさひは俺の腕をにぎったまま、ばつの悪そうな顔で俺を見上げた。


「……悪い」

「俺はぜんぜん大丈夫だけど、やっぱバスの方がいいんじゃ」

「そうかも……」


 しゅんとした様子にどういうわけか胸が締め付けられる。


 出来るだけ、バスで行くという選択肢は取りたくなさそうだ。

 歩く練習がしたい、というのはもちろんあるだろうが、それ以上に人が密集する、人口密度の高いところに居たくないのだろう。

 さっきからずっと人目を気にしている様子だったし、そのくらいの想像はできる。


「…………」


 俺は少し迷ってから、覚悟を固めた。

 出来ることをするって、決めてたからな。


「……やっぱ、このまま歩くか」

「え?」

「俺を手すり代わりにしていいから。そうすりゃ歩く練習も出来るし、そうそう転ばないだろ。もし転びそうになっても俺が支える」

「……いいのか?」

「おん」


 平静を装おうとするあまり、ぶっきらぼうな返事になってしまった気がする。

 でもあさひはそんなこと気にした様子はなく莞爾と笑って、ぎゅっと俺の腕をにぎった。

 まるで公衆の面前でイチャイチャするラブラブカップルのようだ、と俺は思った。


「すっげえ助かる。ありがとう慎也」

「おう」


 あさひは歩いて行けて嬉しい。

 俺はおっぱいに包まれて幸せ。

 Win-Winってやつじゃあないのかね、これが。


「って、流石にこれは慎也に負担かけすぎだな。やっぱ服掴ませてもらうくらいで大丈夫だ。……なんか、ちょっと恥ずいし……」

「あっ」


 胸の感触が離れて行く。

 代わりにちょこんと控えめに服の裾を摘まれた。


 俺は悲しいような、寂しいような、切ないような、残念なような、そんな複雑な気持ちでその様子を見守っていた。

 ただ単に名残惜しんでるだけだなこれ。


「まあそれでいいなら。転けそうになったらちゃんと体掴めよ。服が伸びちまうからな」

「そこは気を付けます」


……これはこれで、付き合いたての初々しいカップルみたいだな。


 そんな感想を抱きながら病院に向かったことは、あさひには絶対に言えなかった。




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