第3話 女になった友達にブラを着ける
あさひが作ってくれた一汁三菜の完璧な朝ごはんを食べて、洗い物を済ませた後の話。
ソファに身体を預けて一息つきながら、これからのことについて膝を交える中で、俺はふと思い出した。
「そういえば、他に身体に異常はないのか?」
「異常?」
「女になった以外に、身体が痛いとか、重いとか、だるいとか、そういうことだよ」
もっと先に聞くべきだったよな、これ。
朝飯まで作らせてから何を聞いているんだと自分で自分に呆れ返る。
好みの顔の女がエプロンを付けて台所に立っている、という絵面に完全に脳が思考を停止させられていた。
見た目が変わっただけでほかが普段通り過ぎて失念していた、というのもあるが、それは何の言い訳にもならない。反省。
あー、とあさひは少し考えてから頷いた。
「うん、特にないな。体調はすこぶる良好。ぐっすり八時間眠ったあと、って感じ」
そう言うあさひの口調は平然としていて、確かに不調があるようには見えない。
「あ、でも……」
あさひは何か言いかけてから、口ごもった。
「なに、どした」
「いや、やっぱいいわ」
「は? 言えよ。気になるだろ。重大なことだったらどうするんだよ」
「ぜんぜん重大なことじゃないけど……」
歯切れが悪いな。
俺は眉を顰めて無言であさひを見つめる。
一夜にして性別が変わる、なんていう天地がひっくり返るが如き大きな変化が身体に起きているんだ。
どんな些細なことでも見逃せない。
俺は反省を活かす男。
「……ああもうわかった。言うよ。言やいいんだろ。ぜったい笑うなよ」
しばらく唇を引き結んでいたあさひだったが、観念したのか口を開いた。
「……あの、……が、いたい」
「は?」
なにが痛いって?
「だから、乳首が、服に擦れて、痛い」
あさひは俯きがちに両手を胸に当てて、そんなことを言った。
めちゃくちゃ恥ずかしそうだった。
俺はつい先ほどTシャツにくっきりはっきり胸の突起が浮き出ていたことを思い出して、なにも言えなくなった。
「……なんか言えよ」
「いや、うん。無理矢理聞いてごめんね?」
「ひねり潰すぞ」
すん……と静謐かつ獰猛な気配を感じてすかさずハンズアップ。
両手挙げるなら絶対服従覚悟はあるかい? 俺はある。
「待て待て落ち着け。実はな、そんなこともあろうかと、俺、持ってきたんだよ」
「なにを」
「ブラを」
「…………は?」
俺はソファの横に置いたリュックを膝の上に持ってきた。
ごそごそと漁って、中から取り出したるは一枚のひらひらした布地。
ブラジャーだった。しかも結構大人っぽいやつ。
「うっそだろおまえ……」
あさひの怒気はどん引きに変わった。
「ちなみに姉貴の」
「クソ気持ち悪いなおまえ……」
ごもっともだった。
俺も姉のブラジャーを友達の家に持ち出す弟はどうかと思う。
でも俺があさひのために出来ることを考えた結果、これなら出来るなと思いついてしまったのだ。
出来ることをやらないのは不義理だし怠慢だろ? だから俺は悪くない。許して姉ちゃん。
普段使いのショルダーバックではなく、リュックで来たのはこれが理由だった。
実はブラジャーだけでなく、女物の服を一セット持ってきていたのだ。
メンズでも特に問題なく着れていたため、ほとんどが無用の長物になったが。
「俺も持ってくるかどうかは迷ったよ。でも、あさひの家にはないだろ、これ」
「あるわけないだろ」
「うん、だからもってきた」
「はあ?」
だいぶ威圧的な「はあ?」だった。
俺は独り言のように淡々と語る。
「あさひの送ってきた自撮り写真を見て、俺は思ったんだ。胸でっかっ。この胸でノーブラで外に出るのやばくない? 捕まるんじゃないの? 俺が――と」
俺には大学生の姉がいる。
姉の胸の大きさはあさひに比べると大したことない。
本当に微々たるモノとすら言っていいのだが、それでも風呂上がりなどノーブラかつ薄着で家の中をうろちょろしていると、動くモノに意識がむく動物の習性として目が吸い込まれることがある。
それをめざとく察して意気揚々と咎めてくることがあったりするのだが、誰もお前の貧相な乳には興味ないから勝手に得意げにしとけと思う。
というようなことがあり、あさひをノーブラで野に放つのはリスクが大きいと感じ、姉のブラジャーを(勝手に)借り受けてきた次第だ。
実際この格好じゃ体勢によっては胸の形とか乳首まで丸わかりだし、服に擦れて痛いと言うなら尚更必要だろう。
「…………」
あさひは無言で俺の話を聞いていた。
「お前がキショいのはともかくとして……別に見られるのは構わないけど、それでどうこう思われるのは嫌だな……」
そうだろうそうだろう。
隣を歩く男友達と通りすがりのおっさんに視姦されたくはあるまい。
もちろん、そんなことをする不届ものはこの世に存在しないだろうが。
……あと、俺がキショいは余計な一言だと思います。
「でもこれ、お姉さんのなんだろ? それを男のオレが着けるっていうのは……」
「ああ大丈夫大丈夫。これ、姉貴は着けられないヤツだから」
なんとなればサイズが大きすぎる。
自分のカップよりも■カップも大きなサイズの下着を持っていた――どころか、後生大事にショーケースに入れて保管していた理由は、考えないようにしておこう。
弟には姉の尊厳を守る義務があるんだ。
「いや、でもな……」
ヤケに抵抗するな。もしかして。
「着けるのに抵抗があるのか?」
「……そりゃそうだろ。男だぞ、オレは」
この反応は自然なことで、俺としても予期していたところだった。
いくら女体への好奇心が旺盛な習性を持つ男子高校生といえど、自分で女性用下着を身に着けることは如何にもレベルが高い。
俺も一度しかない経験だ。(姉のを一度胸に当ててみたことがある)
「大丈夫だ。いまのあさひなら似合う」
「……そういう問題じゃないし。そもそも見られるもんじゃないだろ」
「見られないならいいじゃないか。着けることでいまよりは乳首の擦れも抑制されるだろうし、いいことしかなくないか?」
姉貴曰く、ブラを着けることで乳の形も保ってくれて、垂れ予防にもなるらしい。
ブラジャー、つけるメリットしか無いじゃん。
男も着けるべきだと思う。
「……いや、要らない。大丈夫。手で押さえてれば揺れないし擦れない」
まさかの野外手ブラ宣言。
痴女かな?
「外でずっと胸抑えてるつもりか? それこそ人目引くわ」
「う……」
「乳首擦れて痛いんだろ? 腫れたりしたらどうするんだよ。大人しく着けろって。せっかく持ってきたんだから」
「うぅぅ……」
姉貴のブラをあさひに押しつける。
先ほどの無理矢理口を割らせたやり取りからも分かるとおり、あさひは押しに弱い所がある。
一見頑なな態度を取っているように見えても、そこから少し押すと簡単に崩れる。
しばらく唸りながら葛藤したのち、不承不承、おっかなびっくり、危険物に触るように姉のブラを受け取った。
「……わかった。着けるよ、着けます。着ければいいんだろ」
「ヨシ」
姉貴にバレないように持ち出したが、帰る頃には気づかれているだろう。
ぜったい癇癪を起こして、しばらくこれを出汁に俺は姉貴に服従させられる。
蛮勇とも言える行動が無駄にならずに済んでほっとする俺である。
「でもオレ、ブラの付け方なんて分からないし、自分からこれ着ける勇気ないぞ……慎也が着けてくれない?」
「えっ」
「お前が着けろって言ったんだから。……責任、取ってくれよ」
脳が震えた。
え? 俺が? 着ける? あさひにブラジャーを?
「いやいやいやいやいや」
今日一動揺しているかも知れない。
「無理。無理だろ。無理だよな? 自分の言ってること分かってます???」
「じゃあ着けない。着けないで病院行く」
脅しだった。
あさひは確かに押しに弱いところがあるが、押しは強い。某英霊召喚ゲームで言うところのバーサーカーみたいなヤツだった。
今度は俺があさひの言うことを飲む番だった。
俺は生唾を飲んだ。
「……分かった。俺が着けるよ」
あさひに押しつけた姉貴のブラを受け取る。
大きくなったら(胸的にも年齢的にも)着けることを想定していたのか、かなり大人っぽいブラだ。
広告なんかで見かける勝負下着って感じの見た目をしている。なんかレースとかついてるし。ひらひらだし。
これを今から俺があさひに着けるのか……。
絵面を想像しただけでデンジャラスな予感がぷんぷんする。
犯罪にならないかなこれ。
「……とりあえず、脱がないと、だよな?」
「……ああ、そりゃ、もちろん……」
「ん、分かった」
あさひは俺に背中を向けるやいなや、羽織っていた上着を脱いだ。
それから僅かに躊躇いを見せてから、中のTシャツの裾を捲る。
「…………」
普段は意識しない衣擦れの音がヤケに大きく聞こえる。
やおら舞台の幕が上がるように白い肌が現れて、まず、上半身の下の部分、緩やかな曲線を描く背骨と、女性的な腰のくびれに目を奪われる。
そのままシャツの裾が二つの山を乗り越えてあさひが万歳をすると、腕と胴体の付け根――脇の下のくぼみが露わになる。無毛の綺麗な三角形だった。
それから服が髪を一緒にまくり上げて、細っこい首筋が覗くと、うなじがしっとりと濡れていることに気がついた。
でも、そんなことより。
横乳! 横乳が見えます姉貴!
姉の裸からはついぞ見られないものであった。
「……脱いだけど」
「あっ、おう」
俺は自分が、あさひが脱衣するところを食い入るように見つめていたことに気がついた。
凝視しすぎ。目反らせよぼけ。女体ならなんでもいいの? ザコ童貞♡ ばーかばーか♡
改めて自分のキモさに辟易する。途中からメスガキになってるなこれ。
とにかく、このままあさひを上裸でいさせるのはマズい。
はやくブラ着けて服着させないと……。
幸い、俺はブラの付け方を実体験として知っている。
まさか役に立つときが来るとは、あの時の俺は思わなかったに違いない。グッジョブ俺。キモいぞ俺。
だがよくよく考えてみると、俺がブラを着けたときにしたことをやるということは、自然と後ろからあさひを抱きすくめるような形になってしまう。
マズくない? マズくないか。責任取ればいいんだもんね(錯乱)。
「じゃあ、着けるぞ。腕上げてくれ」
「うん……」
仕事の時間だ、081。
俺は覚悟を決めて、ブラジャーを持ったまま両手をあさひの身体の前に回した。
あさひの体温の余波を強く感じる。
人間の平熱が36℃前後なんてぜったい嘘だ、と思った。
柔軟剤の残り香だろうか、体臭とは違う甘い匂いがふわっと香ってから、その奥でほのかな汗の匂いがした。
気づくと、すぐ目の前にあさひの後頭部があった。
少し目線を下げたら前が覗きこめてしまいそうだ。
俺の息がうなじにかかってしまうんじゃないかと、なんだか息を吐くことすら憚られて、吸い込んだままに息を止めた。
「…………」
まず、ブラの細い紐――ストラップの部分をあさひのつるつるすべすべな肩に掛ける。
若干右側に偏ったような気もするが、調整してやる余裕は俺にはない。
それから、後頭部の一点を見つめたまま、感覚を頼りにパットの部分を乳に当てる。
完全に後ろから乳を揉んでる人間の体勢だった。
「んっ」
この状況で手が当たったりかすったりするのは、さすがに不可抗力だろう。
やわ! わややわいわ!
そんな感想はおくびにも出さず、俺は息を殺して仕事を進める。
「胸の下、自分で支えてくれ」
「ん……」
あさひがブラと胸を押さえたことを腕の動きで確認して、手を後ろに戻す。
「後ろ留めるぞ」
「うん……ひゃっ」
ホックを留めようとして、指先が背筋をかすめた。
あさひの身体がびくんと反応して、ヘンな声を上げる。
無心無心無心無心無心。
「悪い。くすぐったかったか?」
「……や、だいじょう。続けて」
今度こそ背中に触れないよう、慎重にブラのホックを留めた。
身を引いて、深く息を吐き出した。
なんかどっと疲れた。
「出来たぞ。あとは自分で調整してくれ」
「うん、さんきゅ。……ちょっと向こう行って見てくる」
「おう」
あさひは服を持って、こちらに背中を見せたまま脱衣所兼洗面所に向かっていった。
俺はもう一度深く息を吐いて、身体をソファに沈ませる。
あさひの体温を丸ごと取り込んでしまったみたいに身体に熱がこもっていた。
「さすがに刺激が強すぎるって、これは……」
まさかブラを持ち出したときには、こんなことになるとは夢にも思わなかった。
俺が着けてやる意味、絶対なかったと思うんだけど。
むしろ余計に恥ずかしかっただけだろ。俺もあさひも。
それから五分ほどして、ようやく体の熱が引いた頃、服を着込んだあさひは何食わぬ顔でリビングに戻ってきた。
「たしかにぜんぜん擦れないわ。すごいなブラジャー」
「だろ? 持ってきた俺の英断を褒め称えよ」
「すけべ。へんたい。エロ魔神」
「最高の賛美だな――」
「きっしょ……」
くだらないやり取りをして、俺たちは笑った。
我ながらうまく笑えていなかった気がする。
――俺の心臓がバクバク言ってたの、気づかれてないよな……?
男友達が自分の身体にドキドキしている……という、気持ち悪いとしか思えないであろう認識を、あさひに抱かせたくない俺なのだった。
あとはまあ、俺の尊厳的にも、ね?
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