第9話 女になった友達と歩いているところを後輩に見られた


「――あれ? 先輩?」

「げ。那須」


 正面から歩いてきた女が、俺たちの正面で立ち止まった。


 高校に入ってから明るく染めたセミロングの髪。

 あざとくならないぎりぎりを狙ったようなベージュのワンピース。

 手には小さなトートバックを提げていた。


 バイトの話をしていたのがよくなかったのだろうか。

 そいつは、バイト先の店長の一人娘だった。


 那須真昼。


 俺とあさひの一個下の学年で、ついこの間高校デビューを果たしたばかりのぴかぴか一年生。


 実家が喫茶店をやっていて、家の手伝いとして店に出ていた那須とは、俺が去年バイトを始めた時からの付き合いだ。

 高校もバイトも同じなので、もちろんあさひのことも知っている。


 まずい時に、まずい奴と遭遇してしまった。

 何という間の悪さ。


「げってなんですか、げって。可愛い後輩に対して酷くありません?」

「可愛げがない後輩に対する反応としては妥当だと思うが」

「うっわサイテー」


 けらけら笑って、それから当然の成り行きとして、俺の隣にいたあさひを猫みたいな目が捉える。


 こてん、と首を傾げながら俺を見上げた。


「それで、そちらの超絶美人さんはどなたですか? まさか先輩に限って無いとは思いますが、浮気デートですか?」

「あ?」


 あさひのことをなんて説明しようかと思っていたら、なに?

 浮気? 何言ってんだこいつ。


「とぼけないでください。先輩の手荷物を見れば分かります、それは今まさにお買い物デートのさなかである証!」

「はあ」


 妙にヒートアップしている後輩に対し、おざなりな返事をする俺である。


「なんでそんなに反応薄いんですか!? 先輩には心に決めた人がいたはずですよね!?」

「居ないが?」


 誠に残念なことに。

 心に決めた人どころか、彼女と呼ばれる存在が居たことすらない。


 先輩に悲しいこと言わせるなよ。

 パワハラしちゃうぞ。学校で。

 職場でやったらクビになる模様。


「じゃ、じゃあ朝日奈さんのことは遊びだったって言うんですか!? 幻滅しましたよ先輩!」

「は?」


 何言ってんだこいつ(二回目)。


 出会い頭にハイテンションで捲し立てられて、思考能力が追いつかない。

 俺もあさひも完全に置き去りにされている。


……ああ、そうだった。

 そういえば、那須真昼のことを語る上で、もう一つ重要な情報が抜けていた。

 

 


 それだけ知っていれば十分だ。

 何を言い出したかと思えば、ただの腐女子の妄言だった。


「じゃあな」

「ああっ、嘘です嘘です! 先輩がわたしの知らない綺麗な女性と歩いてて生意気だったので、つい突っかかっちゃっただけですよ〜!」

「生意気なのはお前だクソ後輩」


 あさひの背中を押してその場を離れようとしたが、反対の腕を引っ張られた。


 だりいなこいつ。

 マジで厄介なのに絡まれた。


 げんなりする俺。

 巻き込まれた形はなるあさひはというと、借りてきた猫みたく固まってしまっている。


「な、那須さんって、こんな感じだったっけ?」

「ん? ああ、いつも大体こんな感じだが……」


 そういえば、あさひの前では猫を被ってるんだったっけか、こいつ。


 曰く、「イケメンを前にすると緊張しちゃうんですよねえ」とか何とか。


 俺は大丈夫って、普通に失礼じゃない?


「あれ? わたしのことご存知です? もしかして学校の方? すみません、わたしまだ入学したばかりで、なかなか人の顔を覚えきれず……」

「あ、いや……」


 申し訳なさげな顔をする那須。


 俺には慇懃無礼というか舐めた態度でクソ生意気後輩ムーブをかましてくるくせに、他の人にはそこそこまともな面を見せようとしやがる。

 もう手遅れだろ。


「ん? んん? でもよく見たら誰かに似ているような……」


 あさひは俺の体を盾にするみたいに、那須の視線から逃れようとする。

 ぎゅっと背中側の服の裾を握られた。

 なんか萌える。


……さて、どうしたものか。

 ここであさひのことを明かしていいものか。


 たぶんダメだよなあ、この感じ。

 心の準備は明日するって言っていたし。


 あさひが女になってしまったと知った時、那須がどんな反応をするのか分からないし、その反応に対してあさひが何を感じるかなんていうのは、もっと分からない。


 どのみちそのうち、学校で嫌でも会うことになるだろうが、今はとりあえず、適当に誤魔化すことにする。


「悪いな那須。こいつちょっと人見知りなんだ。お前みたいなぐいぐい系は苦手だから、半径4m以内には近づかないでくれ。斬られるぞ」

「居合の達人だったりしますそのひと?」


 まあ良いですけど、と一歩下がってくれる当たり、素直は素直なんだよなこいつ。


「あと五歩な」

「それじゃまともに会話も出来ませんけど!?」


 うるせえ奴だな。

 できるだけ今のあさひに近づけさせたくないんだよ、察しろ。


 半身になってあさひを身体の影に隠す俺である。


 那須が半目になって俺を見てくる。


「……なーんかめちゃくちゃ仲良さげじゃありません? 距離感が恋人のそれなんですけど。マジで彼女だったりします? 普通に爆散してください」

「ちげーよ。ただの友達。安心しろ」

「は? もしかして俺はお前以外の女とは付き合わないから安心しろってことですか? 自意識過剰過ぎて普通に気持ち悪いです。謝ってください」

「自意識過剰はお前なんだよなあ……」


 謝るのもお前だ。

 あさひくらい乳がデカくなってから出直してほしい。

 普通に気持ち悪い俺だった。


……というかこいつ、俺が本当に彼女を連れていたらどうするつもりだったんだ。


 あさひだから良かったものの、ほんまもんの女の子とデート中だったら確実にムードをぶち壊しにされている。

 古いドラマだったらあの女誰よと頬にもみじマークを付けられているところだ。

 俺になんか恨みでもあるのだろうか。


「で、お前は一人で何してたの? 徘徊?」

「JKなりたての後輩をボケ老人扱いするのやめてもらえません? 普通にお買い物ですよ、お買い物。お父さんにお使い頼まれちゃったので」

「ほーん。大変だな。じゃあ俺たちはこれで」


 最低限の会話でその場を脱出しようとした俺だったが、またもや腕を掴まれた。


「……離してくれない? 俺たちもう帰るところなんだけど」

「なーんか怪しいんですよね……。なにかわたしに隠そうとしてませんか?」


 無駄に勘の良い女だ。

 ここで消しておくべきか?


 扱いに困る後輩を秘密裏に排除する方法を考えていると、後ろに隠れていたあさひがすっと前に出て俺の横に立った。


「あの、那須さん」

「はい?」


 首を傾げる那須。

 あさひは年下に言って聞かせるような大人びた態度で、口を開いた。


「また今度ちゃんと話すから、今日のところは退いてもらえないかな」

「はあ。その機会があるのでしたら、わたしとしてはやぶさかではないのですが」


 那須からしたら誰かもわからない相手だ。

 なぜ自分の名前を知っているのかも、見当がついていないだろう。

 俺と一緒にいる女が、朝日奈あさひであるとはまるで思っていない様子だった。


 那須がどうしてこうも突っかかってくるのかは知らないが、大方、俺が自分の知らない女と歩いていることが気に入らないのだろうと思う。


 なんとなれば、奴はナマモノに手を出してしまった腐海の住民だからな。

 推しカプの片割れが女と居る状況に心中穏やかじゃ居られないのだろう。知らんけど。


 さらにいえば、「わたしより先に彼女作ったら一生呪いますからね、まあ出来ないと思いますが」なんて普段から俺を嘲ってくる生意気クソ後輩でもある。

 

 どうにも下に見られている気がしてならないが、バイトに入った当初はこいつに色々教えてもらっていた過去がある。

 労働内ヒエラルキー的には俺の方が下で、後輩なんだよな。遺憾なことに。


 俺のことを「先輩」なんて呼び始めたのも最近、というかうちの高校に入学が決まってからだしな。

 バイトの時間に勉強を見させられたのは記憶に新しい。


「見たことないかもしれんが、こいつ俺の同級生なんだ。また時間がある時にでも紹介するよ。今日は急いでるんだ。悪いな」


 はあ、そうなんですか、と相槌を打つ那須。


「わたしが知りたいのはそういうことじゃないんですけどね……」


 それから何度か俺とあさひを交互に矯めつ眇めつして、ぼそっと何やら呟いてから、納得のいっていないような顔で、まあいいでしょうと頷いた。


「まあ別に? わたしとしては先輩がどこのどなたと二人で歩いていようがデートしていようがいちゃいちゃちゅっちゅしていようが関係のないところではありますが? それでもどうしても弁明もとい説明したいというのなら聞いてあげないこともないです。朝日奈さんへのご報告はそれから考えてあげましょう」

 

 では、また後ほどお会いしましょう。


 すらすらと長文を口にして頭を下げると、那須は足早に去っていった。

 ぴゅーと擬音がつきそうだ。

 嵐みたいなやつだった。


「行ったか……」


 ほっと息を吐く俺とあさひである。


 知り合いに遭遇する可能性は危惧していたが、まさしくそれが的中する形となってしまった。


 田舎は遊ぶ場所も買い物をする場所も少ないので、休日はどこに行っても知り合いと出くわす可能性が高い。

  リスクマネジメントが足りなかったな。


……また後ほど、ということは俺のシフトは完全に把握されているわけか。

 ストーカー?

 ちょっと怖いな……。


「また他の奴と出くわす前に帰るか」

「だな……」


 変なのに絡まれてちょっと疲れた。

 俺とあさひは横に並んで歩き出した。


「……慎也さ、実は那須さんと付き合ってたりする?」


 歩き出してすぐ、今度はあさひが変なことを言い出した。

 九分九厘が変な発言であるところの那須真昼という女に影響されてしまったのかもしれない。


「はあ? お前まで何言ってんだよ」

「いや、なんか仲良さげだったし」

「ナイナイ。バカにされてるだけだよ」


 そうかなあ、と得心のいかない様子で呟くあさひ。


「そもそも、俺に彼女がいないことはお前がよく知ってるだろ」

「まあ、そうだけどさ」


 放課後や土日のプライベートタイムに友達の家に入り浸るような男が、彼女持ちなはずがない。

 恋人がいればもっとそっちに時間を割いているはずだ。


 転じて、友達を家に入り浸らせるような人間も、また彼女持ちではない。

 家に女を連れ込んでいるどころか、俺以外の人間の痕跡をあさひの家に感じたことはなかった。


 そもそもあさひが彼女だ恋人だなどに頓着しているところを見たことがない。


 顔が良いから女からアプローチされることもしばしば見受けられたが、その度にのらりくらりと躱しているイメージがある。

 なんかちょっとムカつくな……。


「もしそうだったら、オレと二人でいるとこ見られるのよくないかなって思っただけ。ほら、今のオレってどう見ても女だし」

「余計なお世話だ」


 那須のせいで、あさひがいらん事を気にするようになってしまった。

 あいつがデートだとか、恋人の距離感だなんて言ったせいだ。


 俺やあさひからしたら男友達と一緒にいるだけでも、はたから見たらそういう風に見えるのか。

 思い返せば服屋の店員さんも俺とあさひのことを彼氏彼女と捉えていた。


……深く考えると気まずくなりそうなので、あまり気にしないことにする。


「……ま、慎也がいいならいいけどさ」


 あさひもこれ以上の深掘りをする気はないようで、「で」と話を変える。


「さっきからずっと気になってたんだけど、『オレというものがありながら』って、なに?」

「腐女子の妄言だ。気にするな」

「?」


 よくわかっていないようだった。

 知らなくていいことも世の中にはたくさんある。


 それも気まずくなるだけだからそのまま何も知らないでくれと思った。







 夕方。


「そういえばあの人、そこはかとなく朝日奈さんに似ていたような……やっぱり先輩の好みって……」


 などと言われのない疑惑をかけられた挙句、


「朝日奈さんは今日、突然の体調不良でお休み……これはきっと先輩と何かあってのことに違いありません。すれ違う二人の仲……先輩は心の隙間を埋めるように、朝日奈さんに似た人に手を出してしまう……それを知った朝日奈さんは……ふ、ふふふ」


 ストーリーテラー那須真昼によって、昼ドラ的BLの登場人物にされてしまった。


 腐女子きっっっつ。

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