第8話 女になった友達とデパートデート


 女になった友達と病院に行って、飯を食べて一休みしたその後。

 何故か、俺たちはデパートの下着売り場前にいた。


 なんで???


「なんでって。必要だからに決まってるだろ。ずっとお前のお姉さんのやつ着けてるわけにも行かないし」


 なるほど。そういうことなら納得納得。

 とはならない。


「なんで俺が連行されているのかを聞きたいんだが……」

「ブラつけろって言ったの慎也だろ。オレ、一人でこんなとこ入る度胸ないし付き合ってくれよ。下着売り場 二人で入れば 怖くない」

「怖いわ! お前は女の見た目してるからいいかもしれないけども!」


 赤信号みたいに言うな。

 しかもそれダメなやつだし。


「えー。責任取るって言ったじゃん」

「言ってないわ。勝手に取らせようとしてるだけだろ」

「……そだっけ?」


 とぼけるあさひだった。

 ブラ着けろなんて俺から言うんじゃなかった。

 ことあるごとにこのネタで強請られそうだ。


「勘弁してくれ。捕まる自信しかない」

「ちぇー。じゃあネットで買うか。そもそも二人でも入る勇気なんてないけど」

「最初からそうしろや」


 この野郎遊んでやがる。

 俺が普通に入って行ったらどうするつもりだったんだ、こいつ。


 まあ午前中は大変だったし、人の目を気にしないようになって肩の力が抜けたのだろう。

 何も解決はしちゃいないが、心の持ちようだけでこうも変わるとは。

 完全に普段通りのあさひだ。

 

「下着買うは冗談にしても、色々買わないといけないものはあると思うんだよな。服とか靴とか。若干サイズ合ってなくさ」

「まあ、そのくらいだったら付き合うけど」

「さんきゅ。まずは靴かなー。緩くて歩きづらいから、新しいの買ってそのまま履いて帰りたい」

「りょうかい」


 そういうわけで、下着売り場からは離れて靴屋に向かう。


 まさか本気で言っているとは思っていなかったが、下着売り場に入らされなくて良かった……いやマジで。


 にしても。


「もう一人で歩くのも慣れた感じだな」


 隣を歩くあさひは、もう俺の服を掴んでいない。


 一応俺としてはいつ体勢を崩しても支えられるように備えてはいるが、あさひの歩く姿は行きの時と比べたら随分と安定したように見える。


「ん? ああ、まあな。コツは出来るだけ上体を揺らさないようにすること。そうすれば胸に振り回されることもない――って、巨乳の看護師さんが教えてくれた」

「何その話詳しく」

「うわ……」


 興味ありすぎて思わず前のめりに聞いてしまった。

 若干引き気味のあさひである。


 急に巨乳看護師とかいう魅力的ワードを出すんだもん、しょうがないだろ。


「これから困ることとかあるだろうからって、検査してくれた女の人が女性の体のこと色々と教えてくれたんだよ。お前が期待するようなことは何もないぞ」


 それが十分俺の妄想を掻き立てることになぜ気付かない。

 お前も男だったはずだろ。


「たとえばどんなこと教えてもらったんだ?」

「……慎也には言いたくないな」

「は? なんでだよ」

「なんでも」


 納得いたしかねる俺だった。

 それじゃ何もわからないんですけど……。


 いったい巨乳看護師のお姉さんに女の子の何を教えてもらったのか。

 内緒にされると尚更気になってくる。

 秘密は甘いものだ。


 俺がそればかり考えているうちに靴マートについていて、あさひは手早く白いスニーカーを選んで購入していた。

 決断が早い。

 

 さっき言っていた通りそのまま履いて帰るらしく、今まで履いていた靴の方を箱にしまっていた。


 転ばれても困るので、箱は俺が持つことにする。


「あ、ありがと」

「ん。次は服だっけ?」

「うん。上は持ち合わせでなんとかなりそうだけど、下はみんなベルトしないと緩かったんだよな。レディースのパンツが欲しい」

「まあ、骨格から違うからな。しゃあない」


……なんか、ちょっとデートみたいだな。


 普段あさひと出歩いている時には感じなかった感想だ。

 これはいかんぞ、と気を引き締める。

 男友達を女として意識するのはダメだ。

 見た目が女ならなんでもいいのか?

 これだから童貞は。


 自分を戒めつつ、あさひに従って手近で目についたアパレル店に入る。


 下着売り場に入店させられそうになったことを思えば、女性服売り場くらいどうということもない。

 姉貴に連れて行かれることもしばしばある。

 見た目は女の同伴者がいることを思えば、そこまで抵抗感はなかった。


 逆にあさひの方が女物の服に手を伸ばしていいものか、若干気後れしている様子で、それを見かねてか、すすすっと歴戦の忍びのごとく店員さんが寄ってきた。


「いらっしゃいませ〜。何をお探しですか〜?」

「あ、ええっと、レディースのパンツを」

「どのようなものがお好みですか? お客さん脚長いからスキニーとか似合うと思うんですけど〜」

 

 こちらちょうど今からの季節にぴったりで〜今なら期間限定20%オフで〜――などと営業されているあさひの様子を、俺は後方保護者ヅラで腕を組んで見守る。


 さすがアパレル店員、距離感の詰めかたがえぐい。


 俺としては、こっちに水が向かない分、紳士服を見ているより気楽かもしれない。

 生物学上女のあさひと程よい距離感に居れば、他の女性客から奇異の眼差しを向けられることもなかった。


「彼氏さんはどう思いますかー? 似合うと思いますよねー?」


 完全に気を抜いてあさひを眺めていると、急に店員さんがこちらを向いて話しかけてきた。

 え? 彼氏さんって俺のこと?


「あ、はい。似合うと思います」


 わざわざ否定するのもめんどくさいので、とりあえず全肯定マシーンになる俺である。


「彼氏さんもそう言ってますし、ぜひよろしければご試着もできますので〜」

「あ、はい」


 あさひも完全に押されている。

 押しに弱い……ッ。


 気づけばあさひの手には、目的であったパンツだけではなく、レディースのトップスどころかスカートまで持たされていた。


 この店員、やるな。


 店員さんはその勢いのままにあさひの背中を押して試着室まで追いやって、後方彼氏ヅラをしている俺の方にやってきた。


「いやー、めっっっちゃ可愛い彼女さんですね〜!」

「は、はあ。どうも」


 この店員、強化系か?

 水見式したら絶対水嵩が増えるタイプだ。


「化粧してる感じないのに肌白すぎだし目くりっくりだしまつ毛長いし〜、おまけにスタイルやばすぎです〜。もしかしてモデルさんだったりします〜?」


 いやーどうですかねーやってたらやばいっすねー、と俺まで間延びした話し方になってしまう。

 やってたらやばいっすねーってなんだ。

 普通にやってねえよ。


「でもでも〜。あんなに可愛いと〜、彼氏さんとしては心配になったりしませんか〜?」


 なんの話?

 よく分からないが、今の俺は全肯定マシーンだ。

 とりあえず適当に頷いておく。


「そうっすね、心配っすね。でもまあその分ちゃんと見てるようにしてるんで」


 現状、身近であさひの性転換を知っているのは俺だけだ。

 今のあさひは心身ともに危うくて、特にこんなに人の多いところじゃあ、とてもじゃないが目が離せない。


 きゃ〜! と店員さんが急に黄色い悲鳴をあげた。


 うわ、びっくりした。


「あつあつですね〜! 聞いてましたか〜彼女さん! ちゃんと見てる、ですって! 素敵な彼氏さんですね!」


 店員さんが手でメガホンを作って声をかけると、しゃーっと試着室のカーテンが開いて、フェミニンな格好の超絶美少女が出てきた。


 また店員さんが悲鳴をあげる。

 さっきより一段と声が高い。


 のど枯れちゃいますよ、お仕事大丈夫ですか?

 などと、人のことを気遣っていられるほど、俺には余裕がなかった。


 可愛い。

 あまりにも可愛すぎる。


 真っ白なカーディガンに、ベージュに近い淡いピンクのフレアスカート。

 普段通りのメンズの格好も悪くない、どころかよく似合っていてカッコ可愛かったが、可愛さに全振りした今の格好は、あさひの透明度を限りなく高めていて、無敵で究極で最強と言わざるを得ない。


 見惚れる、なんてどころじゃない。

 完全に俺は好きになってしまっていた。

 好き。結婚しよ。

 

「あの、彼氏とかじゃないですから……慎也?」


 スカートを摘んで、落ち着かない様子で俺を見上げるあさひ。

 女性的な格好が恥ずかしいのか頬に朱が差している。

 顔面の作画が良すぎる、京都アニメーションか?


「クソ似合ってる。完璧。一生一緒にいよう」

「は、はあ? 何言ってんのお前」


 何言ってるんだろうね。

 自分でもよくわかんねえや。


「わ〜! 超お似合いですよ〜! 可愛すぎます〜!」

「ど、どうも……」


 店員さんもハイテンションだ。

 対してあさひはたじたじな様子。

 だがそれがまたイイ。


 俺はなんだかよくわからないまま、財布を取り出した。


「これ買います。このまま着てって大丈夫ですか?」

「もちろんです〜! タグだけ取っちゃいますね!」

「お願いします」

「は? え? ちょ」


 懐からハサミを取り出した店員さんが、超速であさひの服についたタグを切っていく。

 その間に俺はあさひが今まで着ていた服を回収した。

 別の店員さんから商品用の袋をもらい、そこに入れる。


 強化系の店員さんは取り外したタグを持ってレジでスタンバイしていて、俺はデビットカードを一枚ドロウ。

 数日分のバイト代を墓地に送り、ターンエンドだ。


 普通に五桁行ってたけど、働けばまた稼げる額だ。

 大したことない。


「ありがとうございました〜! ぜひまたお越しください〜!」


 俺は靴と服を片手に抱え直して、唖然としているあさひの手を引いて店を出る。


「よし、帰るか」

「……は?」

「ん?」


 店を出て少ししたところで、あさひが足を止めた。


「いや、いやいや。何勝手に買ってんの。試着しただけで買うなんて言ってないし。というか着て帰らないし。くそ恥ずかしいんだけど」

「大丈夫だ。似合ってるから」

「そういう問題じゃないんだよなあ」


 あさひがどうしようもないものを見る目で俺を見ている。

 ひらひらした春らしいスカートを手で摘んで、首を傾げながら言った。


「……というか、なに。お前、オレにこういうの着て欲しいワケ?」


 あさひのしらっとした視線に晒されて、ようやく俺は我に帰った。

 慌ててあさひの手を離す。


……やばい。完全に理性を失っていた。


 あさひを女として意識しない、してしまったとしてもあさひには悟らせない。


 病院でそう決意したはずなのに、早速やらかした。

 

 それだけあさひの甘カワ清楚系コーデの破壊力がコズミック級だったということではあるのだが、それにしたって意志薄弱すぎる。


 男友達に自分好みの服装を買って着させて帰らせる男、あまりにも気持ち悪い。


「い、いや。それはあの、ほら、店員さんに釣られたというか、ね?」

「ふぅん?」


 疑いの眼差し。


 あの店員、強化系じゃなくて操作系だったかもしれねえ。

 などと、釣られたのは間違いないが、それにしても俺の意思が表出しすぎていた。

 下心丸出しだった。

 こんなあからさまな言い訳じゃあ誤魔化せないだろう。

 が。


「……まあ、いいけど。一回出といて戻って着替えるのもアレだな……返品もしづらいし。このまま着て帰るしかないか。超恥ずかしいけど」


 幸い、あさひはそう言って引き下がってくれた。


 言葉尻こそ嫌味っぽかったが、俺に対する嫌悪感はそこまで感じない。

 女として見られることに対する抵抗感も、俺が考えていたほど大きくないようだった。

 本当にただ恥ずかしいだけ、という感じだ。

 

 額の冷や汗を拭う。

 あさひがショックを受けていない様子でよかった。

 危うく自己嫌悪で死にたくなるところだった。

 今回は良かったけど、マジで気をつけないとな……。

 今後が不安すぎる。


「これ全部で幾らだった? 払うぞ」

「いや、要らないっす。俺が勝手に買っただけなんで、はい」

「でもオレが着る服だし……」


 あさひなら絶対に買わなかっただろう服だ。

 今後着ることがあるかも分からない。

 さすがに払わせるわけにはいかなかった。


「じゃあ、プレゼントってことにさせてくれ。この前誕生日だったろ」

「……それは別で祝ってもらってるしもう一ヶ月近く経ってるけど。まあ、そこまで言うなら、分かった。今着てる分はありがたく頂いとく。でもせめてパンツの方くらいは払わせてくれ。元々買うつもりだったし」


 律儀な奴だ。

 俺ならそのまま全部奢ってもらっている。


「ま、着なかったら売ってくれればいいから」

「……ん」


 ともかく、なんとか丸く収まったことに安堵した。

 

 ……元男の友達に女物の服をプレゼントする男の気持ち悪さには、目を瞑ってくれ。


「買おうと思ってたもん買えたし、そろそろ帰るか。この格好で出歩くのも恥ずいし」

「だな。俺夕方からバイト入ってたのすっかり忘れてた」

「あ、オレもだ。今日はさすがに行く勇気ないし、誰かに代わってもらおうかな……」

「店長には俺から言っておくわ。体調不良でいいよな?」

「うん、助かる」


 なんて。

 完全にお開きムードになって、家路に着こうとしていた、その時だった。



「――あれ? 先輩?」


 聞き覚えのある声がした。

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