第2話 女になった友達の家に乗り込む
高校生活二度目のGWを間近に控えた4月の土曜日。
幸い天気は良好で、気温も暑すぎず寒すぎず。
絶好の二度寝日和だ。
あさひのことがなければ、今ごろ惰眠を貪っていたことだろう。
普段ちょっとした外出用に使っているウエストポーチではなく、学校用のリュックを背負って、俺はあさひの家に向かっていた。
あさひの住むマンションは俺の家から徒歩十分程度のところにある。
家が近い上にあさひは一人暮らしなので、放課後や休日など、結構な頻度でお邪魔させていただいている。
入り浸っていると言ってもいい。
家族――というか姉貴――にちょっかいを掛けられない逃避先として、たいへん重宝していた。
通い慣れた道を足早に通り抜けて、見慣れたマンションにたどり着く。
慎也:『ついた』
あさひ:『うい』
チャイムを押して、あさひにエントランスの自動ドアを開けてもらう。
それから階段を上がって二階へ。
202号室。
あさひの家の前に着いた。
「…………」
やべえ、ちょっと緊張する。
写真と電話であさひの現状を知ってはいるし、理解も示した。
あさひが嘘を言っているとは思っていない。
むしろそれが真実だと確信しているからこそのためらい。
情けない話だが、正直に言うと、俺はあさひと会うのが少し怖かった。
昨日までずっと男だった友達に、俺はどんな顔して会えばいいのだろうか。
突然女になってしまった友達に、俺はどんな顔をしてしまうだろうか。
あさひは俺の日常に密接に関わりすぎている。
高校生になってからに限って言えば、たぶん家族よりも長い時間を共にしているだろう。
その日常が根本から崩れ去るような、そんな予感がして、身体が動かない。
……ああ、でも、逆に言えば。
ただ友達の性別が変わっただけだ。
俺はあさひが男だったから友達になったわけではない。
女になったところで俺とあさひが友達であることには変わりないし、俺が殊更に態度を変える必要もない。
当の本人ではない俺からすれば、友達に外見上の変化があっただけなのだから。
なんて。
いくら事を矮小化させたところで、そんな簡単には割り切れないけれども。
「……まあ、なるようになれだ」
いつまでも人様の家の前で固まっているわけにはいかない。
意を決して、俺はチャイムを鳴らした。
ぴんぽーん。
聞き慣れた音がして、扉は直ぐに開いた。
「……おっす」
「……うす」
はたして、俺を出迎えたのは、あの写真に写っていた女だった。
ふわふわと柔らかそうな黒髪。
ぱっちりとした大きな目が映える甘カワ系の顔立ち。
シミ一つない白い肌。
やばい、写真より実物の方がさらに可愛いんだけど。
かわEの上を行くかわいさ、かわFある。
俺が来るまでの間に着替えたのか、格好が写真とは違っている。
無地の白Tの上に長袖のシャツを羽織って、下はジーンズ。
見慣れた服装だ。あさひがよく着ていた組み合わせ。
メンズの服のはずだが、ぜんぜん違和感がない。
まあ最近はメンズとかレディースの垣根が乏しくなってきているから、そう不思議ではないのかも知れない。
……胸のあたりはだいぶキツそうに見えるが。
いやいや、そんなこと気にしてる場合じゃないぞ、俺。
「……とりあえず、上がってくれ。あんまご近所さんに見られたくない」
「あ、悪い。……お邪魔します」
扉を閉めて靴を脱いでいる間に、あさひと思われる女は俺に背を向けていた。
すごいいつもの感じだ。
何せ入り浸りしている仲だ、最初は案内というかあさひに着いていく感じで遠慮がちにお邪魔していたが、今ではもう特に気にせず、自宅に帰ってきたときのように我が物顔で家に上がり込むようになった。
あさひの対応もそれに伴い雑になり、家族が帰ってきたくらいの感覚で俺を出迎えるようになっていた。
玄関を上がるとそのまま各部屋に繋がる廊下になっていて、突き当たりにリビングルームがある。
普段はこの部屋でゲームをしたり本を読んだり勉強をしたりすることが多い。
背中を追って、リビングに入った。
「あさひ……でいいんだよな」
「少なくともオレはそう思ってるけど」
我思う故に我ありみたいなこと言ってるな。
かっけえ。
「身長はそんなに変わってないんだな」
「どうだろ。服はいつもより大きく感じるかも」
あさひ(男)の身長は160cmくらいだった。
男子高校生にしては小柄な部類で、身長自体はいまもそう変わらないように見える。
ただ、それ以外の部分――特に肩幅や胴回りなどが、昨日と比べると明らかに細く頼りない。
線が細くなった、とでも言うのか。
もともとから細かったが、それに比べても一回り以上、華奢になってしまっているように感じた。
俺は背中の荷物を下ろしてから、テレビの前の二人がけのソファに腰掛けた。
いつもの定位置だ。あさひの家に来ると自然とここに座ってしまう。
あさひは立ったまま、全身を見せるように手を広げた。
「改めて、やっぱオレ、どう見ても女だよな」
「どう見ても女だな」
「だよな……」
顔も、声も、身体も。
面影こそあるものの、俺の知っているあさひとは根本から違う。
外から分かる情報の全てが、目の前の人間が女であることを示している。
しかしその事実とは関係なく、俺は彼女が紛れもなく俺の知っているあさひだと感じていた。
「ていうか、今更だけどあっさり信じてくれるんだな。オレがオレ……朝比奈あさひだって」
「だってさっき確認したじゃん」
「そうだけど。え、それだけ?」
「まあ、俺ちょろいから」
「なんだそれ……」
ぼく最強だからのイントネーションで言ったら、ちょっと呆れられた。
俺が冗談を言って、あさひが呆れる。
いつもの感じだ、本当に。
「……正直、信じて貰えるか結構不安だった」
あさひはどこか一点を見つめながら、口を開いた。
どうやら真面目な話のようだった。
俺は背筋を伸ばして、聞く姿勢をとった。
「さっき、お前が来る前にさ」
「うん」
「尿意催してトイレに行ったんだ」
「うん?」
「女の人って、あんなとこから出るんだな……。男のときとはぜんぜん感覚が違ってさ」
オレ、あれでほんとに女になっちまったんだって実感したよ。
しみじみと、大きく溜め息を吐きながら言うあさひ。
一瞬、何いってんだこいつ……と鼻白みそうになった。
でも、よくよく考えてみれば、それもそうだよなと納得する。
男女の最大の違いは何か。
性器だ。
他にも性差は数あれど、性器ほど大きな差異は他にない。
あるはずのものがない。ないはずのものがある。
用を足すという行為は、なるほど確かに如実に性差を感じさせる行為だっただろう。
あさひは言葉を続ける。
「服を着替えるときもさ、鏡の前に立ってみたら、マジで“女”って感じで。……自分の身体じゃ、ないみたいで。オレはオレだから、どうしようもなくこれがオレだってわかるけど、オレじゃない人から見たら、どう見ても昨日までのオレとは別人だろ? それで、お前と会うのが、すごい怖くなった」
「あさひ……」
人は変化する生き物だ。
俺だって、生まれたときの姿と今の姿はまるで違うし、今と十年後の姿も、きっと違う。
だけどその姿はぜんぶ、一本の道の延長線上にあって確かに繋がっているんだ。
あさひに起こった変化は、そうではない。
断崖を転げ落ちて、まるっきり新しい二本目の道に放り出されるような、それまでの繋がりが断絶するほどの急激な変化。
他者から自分が自分として認識されないかも知れないという不安――それはいったい、どれほどの恐怖なんだろう。
「だからさ」
俺が思いを巡らせて俯きそうになったとき、それを拾い上げるようにあさひは目線を俺に合わせた。
「お前が――慎也が、オレをあさひだって認めてくれて、なんか、すごいほっとした」
あさひはそう言って微笑んだ。
暖かな日だまりを思い起こす笑顔だった。
どういうわけか顔が熱くなって、思わず目を反らす。
うわっ、目がっ、目が灼かれるっ。
「まあ俺ちょろいし? なんでも信じちゃうし? 自慢じゃないけど中学の頃女子に嘘コクされてOKしたら秒で振られたことある」
「ほんとに自慢じゃないな……」
うわっ、脳がっ、脳が灼かれるっ。
思い出してはいけないパンドラの箱を開くことで、ぜったいに開いてはいけない何らかの扉を閉じる俺だった。
あさひは緊張がほぐれたように緩く背伸びをしてから、すたすたと俺の横にやってきて、倒れるようにソファに背中を預けた。
普段はあまり気にしていなかったが、二人がけのソファって結構狭いんだな……。
むしろあさひの体が小さくなっているのなら広く感じるはずなのに。
直ぐ隣に女体があるだけで落ち着かなくなる俺、あまりにも情けない。
ちなみに伸びをした際に二つの突起がTシャツに浮かび上がってくっきりとシルエットが見えてしまったことは、ここだけの秘密としておく。
別に男の時には上半身なんて普通に見たことあるし、なにも動揺することなんてないはずなんだけど、なぜかいけないものを見てしまった気分になる。
「とは言えなー。オレがこの身体で急にあさひですって言っても、普通わからないよな」
「まあ、明らかに別人だからな。でもあさひが女になったらこんな感じだろうな、っていう見た目ではある」
「そう?」
「うん」
胸以外はな、とは口には出さなかった。
腹立たしいことに元々が中性的な顔立ちのイケメン野郎だったから、目が覚めるような美少女になっていることに対してはあまり違和感は感じない。
もし仮に俺にもあさひと同じ現象が起こったとしたら、おそらくめちゃくちゃ気の強そうな目つきの悪い女が出来上がることだろう。あとたぶん貧乳。ソースは姉。
「学校とか、なにも言わずに自分の席に座ってればバレないかな?」
「それは無理だ、流石に」
「無理か……」
サラシを巻いて男装してマスクでもかければわんちゃんあるかもしれないが、ボロが出るのは明々白々桃白白。
何も繕わず何事もなかったかのように何食わぬ顔で登校してみても、先週までナニがあったクラスメイトの席に明らかにナニが付いていないだろう女が座っていれば、誰だってなにもんなんじゃナンジャモンジャと思うし、教師に見つかれば問題になるだろう。
「担任くらいにはちゃんと事情を説明するしかないと思うぞ」
「まあそうだよなー。……こうなってることが先生から家族に伝わりそうで怖いんだよな」
あーね、と俺は何気なく見えるように頷いた。
それは電話の時点から察していたことだった。
もしも俺が朝起きて女になっていたとしたら、同居しているいないに関わらず、先ず始めに家族を頼る。
もちろんそこには思春期的感情の発露として抵抗感だったり羞恥心のようなものを抱くこともあるだろうが、それでも自分の身体に起きた異常事態を相談するだろう。
その後親しい友人に相談するということはあるかもしれないが、真っ先に友達に相談するという手は取らない。
だが、あさひはそうではなかった。
家族を頼らず、真っ先に俺に連絡した。
そこにはきっとあさひの――朝比奈家の事情がある。
あまり俺から触れていいこととは思わなかったから、聞かなかったけれど。
「その辺りはまあ、うまくやるしかないんじゃないか。ちゃんと自分の身に起こったことを把握して、これからどうするか説明出来れば、保護者まで話は行かないかもしれないし。むしろ何も言わなかったり、保護者には連絡しないでくださいって言う方が、連絡される気がする」
一応うちは市内じゃそこそこ有名な進学校だ。
教師にも責任があるし、何もしないという選択は取れないだろう。
確かに、とあさひが頷いたのを見て、俺は話を変える。
「今後のことはまた後で考えるとして、とりあえずは病院だろ。ちゃんとお医者さんに診てもらった方がいい」
「う……イタズラだって思われないかな」
「大丈夫だろ。前例がない症状ってわけでもないんだし」
「だといいけど……」
なおも不安そうなあさひに俺は言い募る。
「もし信じてもらえなかったら別の病院行きゃいいんだよ。ヤブ医者にかかるよりよかったと思えばいい」
「クソポジティブシンク……」
土曜日は午前中しかやっていない病院も多い。
まだ九時にもなっていないが、混雑を見越して早めに行動をするべきだろう。
「分かったよ。行きますよ、病院。……付き合ってくれるんだよな?」
「ま、暇なんでね」
俺は頷いた。
いまのあさひを一人で病院行ってこいと外に放り出せるほど、俺の心は剛じゃない。
俺に出来ることはといえば付いていくくらいのものだから、さして役には立たないだろうけど。
それでも道中の話し相手くらいにはなる。
「とりま病院予約したら、なんか適当に作ってくれや。朝食わないで出てきたから腹減ったわ」
「はいはい……」
あさひは一人暮らしをしているだけあって料理ができる。
それもチャーハンとか丼モノに代表される焼くだけの男料理じゃない。
きちんと栄養バランスを考えた健康的かつ家庭的な料理を作ってくれる、主夫力の高い男だった。
顔ヨシ家事ヨシ体ヨシ。
いまなら最高のお嫁さんになれるだろうな――などと男友達に対して一瞬でも考えてしまったことは、墓場まで持っていくことを誓う俺だった。
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