第13話 女になった友達とお昼時間 1
一日の半分が終わった。
どこか浮き足立つような感覚を残しつつも、何事もなく、お昼の時間になってしまった。
あれから、あさひとは一度も話していない。
朝のように大人数があさひの元に押し寄せるようなことこそなかったが、それでも休み時間の度に少人数の集団が取り囲んでいたり、或いは先生方が話を聞きにきたりしていて、俺が入り込む余地がなかった。
というのはまあ、少々言い訳じみていると自分でも思うが、事実ではある。
もっと言えば、無理やり俺が割って入って、クラスの連中からまた何か良からぬことを言われるのも嫌だった。
小学生かよ。
さて、というわけでお昼休憩。
俺は普段、あさひと一緒に外で昼食を食べている。
教室や食堂で食べてもいいのだが、人の多いところは相性が悪いのが陰キャ根性。
入学当初、どっかいい場所はないもんかと彷徨い歩いていたところ、校舎の隅っこの方に暮らせそうな良い感じの穴場を見つけることが出来たので、去年から寒くない時期はそこでご飯を食べることにしていた。
もちろん今日もそうするつもりで、あさひには俺から声をかける腹づもりだった。
しかし、
「めし」
心なしか機嫌の悪そうな様子のあさひが、先んじて俺の方にやってきた。
「あ、おう」
早いな。
まだ授業終わったばっかだぞ。
お腹空いてるのかしらん。
弁当を取り出して、俺に声をかけてすぐに教室を出て行ってしまったあさひを追いかける。
もたもたして、またクラスメイトに話しかけられるのを嫌ったのかもしれない。
喧騒が広がっていく教室を小走りで後にした。
「っと、追いついた」
「ん」
横に並んで歩きながら、なんとはなしにあさひの顔色を伺う俺である。
「…………」
無表情に近いが、いつもより若干目尻が上がっていて、目つきが鋭い。
むすっとしている。
女のあさひの顔では初めて見る表情だ。
新鮮でついついそのまま眺めてしまう。
「……なんだよ」
「や、別になんでも」
「あ、そ」
声までつんけんしている。
うーん。
朝から色々あって疲れているのかもしれない。
ここは労いの言葉をかけて、少しでも心労を軽くしてやるのが、良い友達というものだろう。
「朝からずっと大変そうだったな。ご苦労さん」
「……誰かさんが“いつも通りに”話しかけに来てくれなかったからな」
「おっと?」
バッドコミュニケーション。
選択を誤ってしまったようだ。
Ctrl+Zで前に戻れない?
あ、無理? そう……。
「いつも通りにするって約束したのになあ」
確かにした。
忘れちゃいない。今朝の出来事だ。
……もしかして、それでちょっとご機嫌斜めだったのか?
「今だって、なんかいつもより距離あるし」
距離があるとは、並んで歩いている俺との間のことを言っているのだろうか。
言われてみれば確かに、拳一個分くらい、いつもよりあさひの体が遠い気がする。
友達と隣り合って歩く時の距離感なんて、普段から気にするようなことではない。
気にしないからこそ、以前は頻繁に腕と腕が当たったり、相手の足を踏みそうになることがあった。
しかし思い返せば、あさひが女になってからは不意の接触がなくなっていた。
俺が無意識のうちに距離を空けて歩いていたからだろう。
言われるまで全然気づかなかった。
友達じゃなくて、異性と歩いている時の距離感だ、これ。
俺は意識的に少しあさひとの距離を縮めて、それとは相反するように「気のせいだろ」とお茶を濁した。
「話しかけに行かなかったのは悪かった。でも俺が行ったらまた変な絡まれ方されそうだったろ」
「……それはまあ、割とあるかも」
「だろ?」
朝のことを思い出してか、あさひは苦い顔をした。
あれこそまさにだる絡みという奴だ。
本当に勘弁してほしい。
「結構女子から慎也のこと聞かれたし」
「は? なんで?」
さあ? と肩をすくめるあさひ。
あんまり考えたくねえな。
ろくな理由じゃなさそうだ。
というか、そういうことなら俺の方にも誰かしらが何かしら聞きに来そうなものだと思うのだが、誰も来なかったな……。
「面倒だったから想像に任せるって、適当にはぐらかしといたけど」
「それ逆にまずくない?」
「?」
天然を発揮するあさひだった。
……まあ気にしたって仕方ないし、いいか。
話を変える。
「でも良かったな。みんな普通に受け入れてくれて」
「まあ……うん」
俺もあさひも、一番心配していたのはそれだ。
果たして、今の『彼』とも『彼女』とも代名しづらいあさひのことを、みんなが受け入れてくれるのか。
今までそんなに話して来なかった奴らにも囲まれて絡まれて大変そうだったが、それは紛れもない歩み寄りの証左で、その点については安心してもよさそうだった。
「……なんか、ありがとな、いろいろ」
「なんだ急に」
いやだって、とあさひが言う。
「土曜日とか、昨日の夜も、色々と面倒かけちまったし。……慎也が居なかったら、たぶん、今日、学校来れてなかった」
「別に大したことしてねえけど」
本当に、大したことはしていない。
俺が自信を持ってしてやったりと思えるのは、あさひにブラを装備させることで、ノーブラデカパイ痴女に変態することを未然に防いでやったことくらいなものだ。
あれは実にハードなミッションだった……。
それ以外では概ねそこに居ただけの木偶の坊で、なんならむしろ俺がいたことで余計に面倒になったこともあった。
アレとかコレとかソレとか、足し引きしたらややマイナスくらいじゃないか?
いらねえじゃん俺。
将来は会社と社会のお荷物の予定。
「慎也からすれば、そうかもしれないけど。オレは、その、すごく助かったから」
「……ん」
だからありがとうと、たどたどしく礼を重ねるあさひ。
口元がもにょもにょしている。
気恥ずかしいなら、改まって礼なんて言わなけりゃいいのに。
こういうところが律儀というか、真面目というか。
「……まあ普段から迷惑かけてるのは俺の方だし、たまには感謝されとくのも悪くないな」
「わかる」
「わかるな」
あさひの隠しきれていない照れが照り返して照れ照れしてしまう前に、別の話題に行かないといけない。
何か新しい話題を、とそう考えたその時。
廊下前方に見知った後ろ姿を見つけた。
明るく染めたセミロングと、あの細っこい背中。
少し距離はあるが、見間違えではないだろう。
俺の狭い交友関係の中で、唯一付き合いがある高校の後輩だ。
つまりはナンバーワンにしてワーストワンにしてオンリーワンダー。
那須真昼だった。
「うわ、那須だ」
おっと。
別に話しかける気はなかったのに、ついつい声が漏れてしまった。
自分の部屋で虫を見つけてしまった時と同じ声の出方。
うわ、虫だ。
面倒なことに、前方を歩いていた当人にも聞こえてしまったようで、見返り美人よろしくふぁさっと髪を靡かせて、那須は俺たちを目にとらえた。
真昼に真昼とエンカウント。
立ち止まっていた那須は、俺たちが追いついてくるのを見計らって、準備していたように口を開いた。
「うわってなんですかうわって。わたしいま歩いてただけなんですが。普通に失礼すぎません?」
「すまん、うっかり」
「いいえ、わざとです。全くもう、そんなにわたしと話したかったんですかあ? 正直に声をかけてくれればいいのに、せんぱいったら恥ずかしがりやさんなんですから」
わざとという見立ては当たっている。
が、何故か得意げな顔をしていて腹が立ったので、すぐにこの場を立ち去ることにした。
「じゃあな」
「ああっ、待ってください待ってください――って、このやりとりこの前もしませんでした???」
した気がする。
なんなら会話の冒頭からすでに同じような感じだった気がする。
それもこれも、“あさひといる時に会いたくない女リスト”の永世女王に輝いている那須が悪い。
俺があさひとセットで居ると、何かにつけてぐへぐへ涎垂らしてて気持ち悪いんだよな、こいつ……。
俺には隠さないくせにあさひには被った猫の皮を見せているあたり、余計にタチが悪い。
「で、そちらにおられる男子制服のめちゃかわ美少女さんは、せんぱいの同級生さんなんですよね?」
「……ああ、そうそう。俺の同級生」
こんにちわ、と後輩を前に完璧なスマイルを見せる朝日奈パイセンのことを、この前はなんと説明したのだったか。
有耶無耶に誤魔化したような記憶しかない。
あさひとアイコンタクトを取る。
「もうどうせそのうち伝言ゲームで伝わることになるし、話しちゃってもいいんじゃないか?」
「……うん。今度ちゃんと説明するって、言っちゃったしな」
「?」
俺とあさひの意味深な会話にはてなと首を傾げる那須。
「廊下で立ち話するようなことでもないし、とりあえずいつもの場所行くか」
「だな。……那須さん、一緒にご飯食べれる?」
「あ、はい。邪魔じゃなければ、ご一緒させていただきます……」
あさひ……というか、よく知らない相手に対しては腰が低い後輩だった。
派手よりな見た目のくせに割と人見知りだよな、こいつ。
「一緒に食べる相手いなさそうだもんな、お前」
「はっ? ぜんぜんぜんせからそんなことありませんが?? ありとあらゆるグループから引っ張りだこさんなわたしですが???」
じゃあなんでお昼休みに一人で人気のない方に向かっていたのか。
心が痛くなりそうなので、聞かない方がよさそうだ。
「いやほんとに、みんなから構われすぎて疲れちゃったので、ちょぉっと一人になりたかっただけですからね? そちらの先輩に誤解を生むような発言はやめてくれませんか?」
「そうだよな……人間誰しも、一人になりたい時も、あるよな……」
「いや、そんなシリアスになるのもちょっと。ほんとにわたしがクラスで上手くやれてないみたいになっちゃうので……」
上手くやる、なんていう言葉はそもそも馴染むために気を遣っている人間からしか出てこないような気もするが。
まあ、常習的にぼっち飯をするようになったら、昼くらいは一緒に食べてやってもいいか。
もう俺とあさひが薔薇的なネタにされることもないだろうしな。
そんなことを考えながら、神妙かつ微妙なみょうちきりんな顔をしている後輩を引き連れて、俺たちはランチプレイスへと向かった。
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