第15話 女になった友達と保健室でお着替え


 昼休みを挟んで、五時限目は体育の授業だった。


 男子は外でマラソン、女子は体育館で器械運動。

 食後にするには最悪の授業だ。

 時間割がクソすぎる。

 腹ごなし程度の運動で済む女子はともかく、腹に錘を抱えた状態で走らされる男子たちは口々に愚痴っていた。


 しかし高校生にもなると、社会には理不尽が溢れていることを理解している。

 どうにもならないことはどうにもならないので、未来の社会を担う青少年たちは文句を垂れながらも更衣室で体操着に着替えたのち、グラウンドに向かっていった。


 ちなみに俺とあさひは保健室で着替えを済ませた。


 運動着を持って保健室に行くと、担任から養護教諭に話が伝わっていたようで、ちょうど他に利用者がいないタイミングということもあって貸切状態にしてくれた。


 俺がついて来ている理由は、他に一緒に行動する人間が居ないからである。悲しい。

 一緒に行動する必要はないが、逆に言えば一緒に行動しない必要もない。

 更衣室も保健室も方向的には同じなので、ついでにあさひに付き合っていた。


「慎也もここでついでに着替えちゃえば? 更衣室まで行くのめんどくさいだろ」


 進行方向だから別に面倒ではないが、男子臭と制汗剤の臭いが染みついた狭苦しい更衣室で着替えるよりは、清潔感のある保健室でのびのびと着替える方がいい。


 養護教諭もしばらくは席を外すと言っていたし、一人追加で着替える時間くらいはあるだろう。


「そうだな。じゃああさひが着替え終わったら俺も借りようかな」

「え?」

「え?」


 顔を見合わせる。

 ややあって、


「……あ、うん。そうだよな。じゃあ先に着替えてくるわ……」


 若干気まずそうな顔をして、あさひは保健室に入っていった。


……やってしまった。

 いや、でも、これは仕方なくないか?

 流石に一緒に着替えるのは無しだろ。


 それとも、俺が変に意識しなければ一緒に着替えても問題ないのだろうか。


 あさひからしたら男子の裸(というか肌着姿)なんてのは見慣れたもので、気にするようなことではない。

 元は男で、体育の時はみんなと一緒に男子更衣室で着替えていたのだから、当然だ。

 わざわざ俺と別々に着替えるなんて、思いもよらないことだったのだろう。


 あさひには俺と着替えることに何も問題はない。

 問題があるのは俺の方だ。


 俺ばかりがあさひを異性として意識して、一緒の空間で着替えることを、無意識のうちに避けようとしていた。

 さらに公共の場で男女が一緒に着替えるのはまずいというくだらない社会通念に囚われ、勝手に一歩引いて、それを本人にも悟らせてしまっている。


 これではいけない、と俺は思った。

 友達って、そうじゃないよな。


 社会の常識なんてものは、大勢の他人が共有できるように作られた集合意識でしかない。

 仲良しこよしの友人関係に一般常識を持ち込むのは野暮というものだ。

 所詮は他人が作り出したルールに、どうして俺が従わないといけないのか(犯罪者の思考)。


 ましてやいま、この場にいるのは俺とあさひだけだ。誰も見ていない。

 であるならば、ここには既存のルールなんて必要ない。

 見ず知らずの他人ではなく、俺とあさひだけの共通ルールがあればいい。


 日差しの角度が変わったのか、雲が晴れたのか、影になっていた廊下が明るく照らされた。

 光明が差した気分だ。


 あさひに気まずい思いをさせてしまったことを、謝らないといけないな。

 

 俺は清々しい気分で保健室の扉に手をかけると、勢いよく開け放った。


「やっぱ俺も一緒に着替えるわ」

「――え」

 

 入り口から少し離れたところから、あさひが驚いた顔でこちらを見つめている。

 三つ並んだ寝台の一つに荷物を置いて、その横で着替えていたらしい。

 まさにいま、スラックスを足から抜き取って、完全に下着姿になったというところで、体の動きが止まっている。


 下着と言っても、俺が初日に持って行った姉貴の黒い下着ではない。

 あれはどちらかと言うと人に見せるためにあるというか、据え膳食われるための勝負下着で、クリスマスプレゼントのラッピングのようなものだった。

 対して、いまあさひが纏っている下着はどうか。

 

 白だ。

 清純なる白。

 装飾も何もない、ただ支えて包む、それだけの機能のためにある布。日常生活で使用する消耗品。クリスマスのラッピングに比べればエコバックみたいなもんだ。


 であるからこそ、そこには人生が詰まっている。


 おそらく自分で無難なモノを購入したのだろう。

 姉貴の薄いブラとは違い生地がしっかりしていて、二つの豊潤な果実を溢すことなく支えている。

 胸だけを覆うというよりは、それより下の肋のあたり、くびれにかかるかかからないかというところまで生地が伸びていて、韓国アイドルの衣装くらいの露出感だ。

 余分な贅肉のないお腹も、小さなおへそも、すらりと伸びる長い脚も、余すとこなく露わになってしまっている。


「――――」


 ばっ! と。

 機敏な動きで、あさひは自分の体を隠すようにベッド脇のカーテンを広げた。


「な、なんで入ってくるんだよ!」

「いや、一緒に着替えようと思って」

「なんで!?」

「一緒に着替えたそうにしてたから」

「してないけど!?」


 そうか、してなかったのか。

 というか。


「なに慌ててんだよ。最初は一緒に着替えるつもりだったはずだろ?」

「いや、それはそうなんだけど……!」


 語気に対して声が細い。尻すぼみだ。

 ちょこんとカーテンから顔を覗かせて、そろそろと俺の顔を伺う。


「……いざ見られると、なんか、ちょっと、思ったより恥ずかしかったというか、その……」

「…………」


 歯切れの悪い口調で言うあさひの顔には、その言葉が真実だと物語るように朱が差している。

 ちょっとどころか、かなり恥ずかしそうだ。


 その姿はまさしく俺がイメージする“裸を見られて恥ずかしがる女子”そのもので、ともすれば現実の女子よりも女子女子しい。

 今日日アニメのヒロインだって控えるような初々しい反応だった。


「お前がじろじろ見てくるからだぞ……」


 恨みがましげな目で見つめてくるあさひ。


 俺はここに至ってようやく、目を逸らした。


……確かに、同性相手でも着替えているところをガン見されたら恥ずかしいよな。

 俺でも「なんだこいつキモ……」ってなるもん。

 不躾に見つめてしまった俺が完全にキモくて悪い。略して気持ち悪い。


「悪かった。もうちょっと外出てるわ」

「いいよ別に。もうあと着るだけだし」

「あ、おう……」


 曖昧な境界線のように揺らぐカーテン越しに、衣擦れの音が聞こえてくる。


 脱いでいるわけではなく着込んでいる最中だと分かっていても、耳の意識がそちらに向いてしまう。


 こうなれば、俺もさっさと着替えてしまおう。


 あさひは一番奥の寝台を使っていた。

 俺は一つ挟んで一番手前の寝台に荷物を載せると、ぱぱっと手早くジャージに着替えた。


「お待たせ」


 脱いだ制服を畳んでいると、しゃーっとカーテンを開けて、ジャージ姿のあさひが出てくる。


 うちの学校の体操着は代々、長袖は濃い緑色で半袖は白色だ。

 胸元には校章と生徒の名前が金の刺繍で書かれていて、まあダサいと男子からも女子からも不評である。


 しかしあさひが着るとこれも全然悪くないと思えるのが不思議だ。

 半袖の上に緩く長袖のジャージを羽織って萌え袖にしているあさひはどこか小動物じみていて、庇護欲を誘われる。有り体に言って可愛い。


 可愛いのだが……これはまあ、俺しかいない間に伝えておくべきだろうな。


「……上着ちゃんと前閉めたほうがいいぞ」

「へ? なんで?」


 俺は自分の胸を指さした。

 人を指差しちゃいけないって、ママに教わったからね。


「たぶん、めっちゃ揺れる」

「…………」


 あさひは無言で、軽くその場でジャンプをした。


「めっちゃ揺れた」

「……なるほど」


 頷いて、ジャージのファスナーを上げてから、


「お前ほんときしょいな。いいからはよいくぞ」


 俺の背中を保健室の外に押し出した。


――と、そんなこんなで着替えを済ませつつ、始業のチャイムに間に合うようにグラウンドに向かった。

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