第6話 女になった友達の診断結果
ぽろん、とスマホが鳴った。
あさひ:『ごめん、いま終わった』
慎也:『了解。病院の前で合流な』
謝罪のスタンプの後に、OKのスタンプが送られてくる。
あさひと別れてから、実に二時間以上が経過していた。
すでに太陽は天頂を回っていて、まさしく春の陽気というような暖かな日差しを分け隔てなく降り注いでくれている。
姉貴にキレられたり謝ったり状況の説明をしたりキレられたり、でもどうせあのブラサイズ合わねえじゃんとレスバしたりしながらぽかぽか院外を散歩していたら、意外とあっという間だった。
休日の朝から弟と長電話とか暇かよ大学生。
羨ましい限りだな。
病院前のベンチに座ってぽけーっと前を眺めていると、めちゃくちゃ可愛い女の子が病院から出てきた。
なんだあの美少女、と思ったら俺の友達だった。
あさひだった。
「ごめん、超待たせた」
「いや、全然。今来たところ」
「……その返しはおかしくないか?」
「そうか?」
実際ここには今来たところだったし。
姉貴と話していたからか、あんまり待たされたという気もしない。
「めちゃくちゃ検査に時間かかったわ。ほんとごめん」
「いいよ、んなこと」
申し訳なさげなあさひだった。
時間がかかることなんて最初から分かり切っていた。
このくらい織り込み済みである。
そんなことよりも。
「で、どうだった」
我ながら抽象的な質問をしてしまった。
気が逸っているのかもしれない。
仕方ないだろ、友達の一大事なんだから。
俺の曖昧な問いかけでも、あさひにはきちんと伝わったようで、うんと頷いてから何気なく言った。
「典型的な突発性性転換症だって。治ることはないだろう――って、はっきり言われた」
「そうか……」
まあ分かっていたことだけど、と付け足すあさひ。
性転換症。
治ることはない。
分かっていたこと。
確かにその通りだ。
だが、それを本人の口から聞かされるのは、俺に少なからぬショックを与えていた。
「……大丈夫なのか?」
「ん? ああ、体のこと? そっちは特に異常ないってさ。精密検査の結果待ちではあるけど、診た感じ大丈夫そうだって。こんなに変化してるのに何の問題もないって、変な病気だよな、ほんと」
「……ああ、全くだな」
医者から診ても異常なしってことなら安心だ。
そこは素直にほっとする。
でも、俺が大丈夫かと聞いたのはそう言うことでは無くて。
「なんか、思ったより元気そうだな」
「? 別に元気だけど?」
「いや、てっきりもっと落ち込んで出てくるかと思ってたから」
「……あんま重く考えるなって言ったの、慎也じゃなかったか?」
そうだけども。
治らないと通告されたあさひのメンタルを俺は心配していたのだが……思ったより平然としているように見える。
気に病んでいない訳ではないのだろうが、想定していたよりも明るいというか。
本人的には極めて重大なことを言っているはずなのに、声音に悲壮感が感じられない。
朝の時みたいな空元気だろうか。
それとも、この二時間の間に諦めて受け入れた?
今いち感情が読み取れない。
あさひは俺を見て不思議そうな顔をしてから「あー」と青天井を見上げ、少し考えた様子で訥々と語る。
「お医者さんに治らないって言われた時は、そりゃ落ち込んだけど。これからどうしようとか。親になんて言おうとか。でも、診察の前に慎也が言ってただろ。オレはオレで、慎也は何も変わらないって。なら、とりあえず今はそれでいいかなって。考えるのめんどくさくなって単純に思考放棄した。どうしようもないし」
「ええ……」
むしろ治らないと言われたことで、逆に吹っ切れてしまったようだった。
いいのかそれで。
あさひらしいと言えばらしいけど。
「治らないっていうならもう、受け入れるしかないだろ。手術で男に戻るっていう選択肢はあるみたいだけど、そう簡単に決められることじゃないし」
「……そうだな」
その通りだった。
どうしようもないことを悔やんで思い悩むよりは、諦めて受け入れてしまう方がストレスが少ない。
その分の脳のリソースを、今後について考えることに使う方がよっぽど建設的だ。
でも、それってただの理想論だよな。
過去の自分って、そんなに簡単に捨てられるものなのか?
俺にはあさひが、変わってしまった自分を、無理やり受け入れているような。
男である自分への未練を、努めて捨てようとしているような。
そんな印象を拭い去ることが、どうしてもできなかった。
……まさか、男でなくなったことに対して未練がない訳ではないだろうし。
「それにさ、慎也と別れて待合室で待ってる時、誰もオレのことを変な目で見てなかったんだ。普通だった。オレがオレに違和感を感じてるだけで、元のオレを知らない人から見たら別に何もおかしなところはないんだなって、分かったから」
それで少し心が軽くなった、とあさひは締める。
「それ、俺も家出る時からずっと言ってましたけどね?」
「慎也はほら、友達バイアスかかってるから。今いち信用がね?」
「ひどい」
あさひは自分がどう見られるかをずっと気にしている様子だったが、何も知らない人から見れば“ただの可愛らしい女の子”だ。
道中こそ恵まれた容姿と、落ち着きのない様子のせいで一部の通行人から注目を浴びてしまっていたが、病院じゃ誰も他人のことなんて気にしていない。そんな余裕がないから。
落ち着きがないというのも、むしろ病院内じゃ逆に自然だ。
俯いて貧乏揺すりしているような人もたまに見かけるしな。
それに高齢層が多いから、不躾な目で見られることも少なかっただろう。
病院という“誰もが自分のことに集中する環境”が、あさひに良い影響を与えてくれたようだった。
「検査してくれた看護師さんも言ってたしな」
「なんて?」
「有象無象の視線は気にするな、って」
「思想強めの看護師さんだな……」
あさひが変な啓蒙を受けていないことを願うばかりである。
ともあれ、俺の預かり知らぬところで、あさひは人目に触れる恐怖を払拭したようだった。
よかったよかった。
これで俺が不審な目で見られることも無くなったな。
割と死活問題だったので素直に安心する。
「今後のことは色々考えないといけないし、知り合いと会うのはまだ心の準備が出来てないけど、それは明日のうちになんとかする」
「俺も一緒に考えるよ。心の準備は手伝えないけど」
「うん、ありがと」
不幸中の幸い、今日は土曜日だ。
明日一日、丸々お休みがある。
学校をどうするか考える時間は最低限ありそうだ。
それに来週からはゴールデンウィークが始まるので、一週間くらいなら休んでしまうという手もなくはない。
ほとんど欠席していない真面目ちゃんなあさひなら、出席日数も十分足りているだろうしな。
はー、とあさひは深く息を吐き出した。
「採血したり検査したりでもう疲れたわ。とりあえず飯食いに行かない? オレ腹減っちゃった。付き合ってもらったし奢るぞ」
「だな。俺も腹減ったわ。奢りあざす」
人目を気にしてバスに乗ることすら嫌がった人とは思えない言動だが、それはもう解決したということで、そういうことなら今日のところは大人しく奢られることにしよう。
男が女に奢られる絵面って前時代的にいうとアウトだけど、俺はあさひに普段通り接すると決めた男。そんな些細なことは気にしない。
それに今は最新令和の時代。
男が奢る奢らない論争には男女平等ジェンダーレスという名のルーラーによって決着がついた。
下心と奢る度量がある人が奢ればいいと思います。
女に奢られる俺が白い目で見られる謂われはないわけである。
何食べたい?
寿司かな。
は? ラーメンだろ。
じゃあ聞くなよ。
などと言い合いながら、俺たちは病院を後にした。
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