04 織田信孝
あれから。
羽柴秀吉の躍進は
形式上、信孝を大将に
そして、あれよあれよという間に京を制し、清須会議を牛耳り、秀吉は、己の天下を築き上げつつあった。
信孝は、織田家の次期当主は自分にという目論見はものの見事に外れ、
「くそ。なんということだ」
この時、信孝は岐阜城にいたため、秀吉はまず美濃へと向かったが、そこへ勝家が近江長浜(秀吉が砦を築いていた)へ攻め入ったことを知る。
「ざまを見よ」
その信孝の哄笑は、かつてのような傲慢さは無かったが、卑屈さが混じっていた。
一方の秀吉は、わずか五時間で美濃大垣から近江木之本まで(約五十二キロ)を走破し、そのまま賤ケ岳で柴田勢を見事打ち破ってみせた。
世にいう、美濃大返しであり、賤ケ岳の戦いである。
*
それから。
信孝はよりによって、「愚鈍」と
これは、秀吉がその天下取りに忙しかったことと、何より、主家であった織田家の人間を、自ら討つことを嫌ったからである。
いずれにせよ、信雄の攻撃というよりは、勝家の敗北により、信孝は岐阜城から逃げ、たくさんいた家臣たちも散り散りとなり、今となっては二十七人ほどの
尾羽打ち枯らした信孝は、いつの間にやら尾張知多郡、野間大坊にまで落ち延びていた。
「ああ、おれは。何故……。太陽の音を忘れない。さすれば、
野間大坊内の、今日では安養院と呼ばれる寺院にひとり、ぼうっとしていたところを、信雄の「自害せよ」との書状が届き、この物語の最初の場面に戻る。
「待てよ」
信孝はふと、信雄の書状の宛名である「織田信孝」という文字を見た。
「何と、何と。おれは織田になっていた。そうだ、そうだ、神戸に戻りさえすれば」
太陽の音を忘れないの言い伝えは、神戸の家の当主の話。
なれば、神戸の名乗りに戻りさえすれば。
「……それは無理にございます」
「……何故だ」
信孝はついてきた扈従のひとりに聞いた。
彼が、今の発言の主だからだ。
そういえば、この扈従は、自分が神戸の家に入った時に、一番に扈従になった男だった。
「……お忘れになりましたか」
多分に語尾の上がる、伊勢言葉で扈従は答えた。
「御養父、
「おお……」
信孝は四国征伐に際し、空となった神戸城に彼を戻してやることにした。
そして本能寺の変後、織田の姓に復するにあたって、「神戸の名も、返す」とご丁寧に書状を送っていた。
「では、おれは……」
太陽の音を忘れないと思いつつ、その実、それを都合よく解釈して、太陽の音を忘れ、神戸の家の当主であることも忘れ去ろうとしていたのか。
「くっ……」
信孝の目に、無念の涙が湧いた。
だが、不思議なことがひとつ。
なぜ、あのとき。
そう、あの本能寺の変のとき。
「太陽の音を感じたのだ。あれは何だったのだ……」
そう疑念を感じつつも、信孝は潔く自害し、その波乱に満ちた生涯を閉じた。
信孝は知らない。
羽柴秀吉の幼名を、日吉丸といい、それは、秀吉の母が日輪がお腹の中に入った夢を見て、秀吉をその身に宿したと伝えられていることを。
……そしてそれが、伝説の中国大返しにより、摂津にまで迫って来たことを、もしかしたら、信孝は「自分に近づいた」「一体化した」と感じたのかもしれない。
【了】
太陽の音を忘れない ~神戸信孝一代記~ 四谷軒 @gyro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます