第3話 出会い
自分の住んでいる地区を、自動車を運転しながら移動するようになって驚いたこと。それは、この界隈は本当に坂が多いということだ。急な坂、緩やかな坂。上って下りての繰り返し。でも、車通りはそれほど激しくないので、そこは安心だ。
私は、無事に
仕事の内容は、週に3回、16:00 〜 19:00 の間に決められたお宅にお花をお届けすること。近所の家ばかりなので、慣れてしまえば難しくない。何より、大好きな自動車(しかも、ハイエースのバンである。大きめの車体で心が弾んでしまう)を運転できて、その上、花々を積んだ車内は芳しくて、良いことづくしのバイトである。楽しい気分で働いているのがお客さまにも伝わるのか、配達人としての私の評判は悪くないようだ。嬉しい…!
バイトを始めてひと月ほど経った頃、頼子さんに折り入って話があると言われた。少し改まった様子だったので、ひょっとして辞めて欲しいと切り出されるのかと身構えた私だったが、そうではなかった。次回から、一軒、配達先を追加したいのだという。
「問題ないですよ。一軒くらいどうってことないです。喜んで」
「ちょっと複雑な方なので、今までは私がお届けしていたんだけれど。でも、ヒロコちゃんなら任せても大丈夫かと思って」
新たに加わる届け先は、
頼子さんは、私の目を真っ直ぐに見つめて、真剣な面持ちでこう言った。
「すぐお隣だけど、配達するのは1番最後にして下さい。つまりね、必ず、日が暮れた後に届けに行って欲しいの。そして、お花は、家の中の人に直接お渡ししてね。絶対よ」
薔薇の平屋に住んでいるのは、先代の住職のお知り合いの息子さんだということだ。翻訳を
頼子さんは、そんな私の気持ちを察したのだろう。最後にこう付け加えた。
「彼はね、重度の日光アレルギーなの。だから、太陽光には絶対に当たることができない」
初めて
他の配達を済ませた後、私は店先に立って、ずっと西の空を凝視していた。ここ最近、日が長くなって来たから気を付けなきゃ。もう、日没は過ぎたけど、まだまだ明るいなぁ…。もう少し暗くなってからお届けに上がることにしよう…。…うん。もう、大丈夫だと思う。
この家を間近に見るのは初めてだった。思ったよりもずっと密な薔薇の生垣が、平家の建物を完璧に隠している。花々が強く香っている。
私はインターホンを押した。配達先リストには『
「こんばんは。
返事がない。お留守じゃないと思うけどな。頼子さんには、くれぐれも本人に直接お渡しするように言われているから置いて帰る訳にもいかないし。私はもう一度押してみた。
「
「は〜い」
ちょっと間延びした返事があり、しづしづと誰かが近づいてくる足音がした。そして、玄関の扉が開いた。私は、反射的に初対面のお客さまに対してお辞儀をしていた。
「
「話は聞いていますよ。ドアを開けるのが遅くなってすみません。ヒロコちゃんですよね?」
いきなり『ヒロコちゃん』と呼ばれて、少し驚いた私は、素早く頭を上げた。すると、私の目に映ったのは、透き通るように白い肌をした、細身で長身の
すると、彼の方も、私の目をじっと見つめてきた。私たちは、しばらくの間、見つめ合っていたのだった。どうしよう…。顔が熱くなってきた。でも、目が離せない…。
「あ、あの…」
「あぁ、失礼しました。僕は、あなたのようなヒトに会うのは初めてだったので」
それって、どういう意味なんだろう。私、きっと赤面してるよね。恥ずかしい…。
「お、お花を…」
私は、彼に薔薇の花束を差し出した。彼は、にこやかにそれを受け取った。
「ありがとう。これからはヒロコちゃんが届けてくれるんですね。よろしくお願いします。あと、僕の名前なんですが『もり』ではありません」
「そ、それは、大変失礼いたしました。では、どのようにお呼びすれば…」
しまった。動揺し過ぎて言い間違えた。ここは『お呼び』じゃなくて『お読み』だよ。馴れ馴れしい変な奴だと思われたら最悪だ…。
それでも、彼は全く気にしていない様子で、爽やかにこう言ったのだった。
「僕のことは『しん』と呼んで下さい。『森』と書いて『しん』と読むのです。よく間違えられるんですよ。『森』は名字ではなく、下の名前です」
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