第11話 回想 ⑦帰国

 1999年11月3日水曜日の18時に、僕の乗った飛行機は成田空港に到着しました。生まれ育った国なのに、初めて訪れる場所のように感じました。当然ですよね。100年以上も日本を離れていたのです。生活様式も何もかも、僕の時代とは全く違っていました。心細かったですよ。


 少し怯えながら入国審査を済ませ、空港の出口に向かいました。通路を渡った所に、僕がこれからお世話になる佐倉さくらさんが迎えに来てくれることになっていました。本当に迎えに来てくれているのか、ちゃんと会うことが出来るのか、僕は不安で胸が一杯でした。


 自動ドアを抜けて、緩やかなスロープに差し掛かった時、僕の目に飛び込んで来たのは筆で書かれた達筆なプラカードでした。それには、こう書かれてありました。


佐倉森さくらしんさま、お帰りなさい!!】


 そのカードを持っていたのは、頭を丸めた中年男性でした。満面の笑みを浮かべていました。その隣には彼の息子らしき青年が、少し緊張したような、ちょっぴり固い笑顔で立っていました。あの人たちが、これから僕がお世話になる方々なんだ…。とても分かりやすく示してくれていて、安心しました。笑顔で出迎えてくれて嬉しかった。


「佐倉さん、初めまして。しんです。お迎えありがとうございます。これからお世話になります。不束者ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いします」


「あなたがしんさんですか。初めまして。住職の佐倉顕仁さくらけんじんです。こちらは息子の顕春けんしゅんです。大学の仏教学科の1年生です。寺の跡取あととりなんですよ」

顕春けんしゅんです。よろしくお願いします」


 僕たちは、顕仁けんじんさんの運転する車に乗って、帰路につきました。顕仁さんがお勤めするお寺に向かったのです。そして、そこには僕がこれから生活する家があるのでした。


しんさん、あなたの暮らす家は、私の祖父が趣味の部屋を持ちたいということで建てたものです。木彫りが好きだったようです。隠居したらそこに完全に引っ越すつもりでいたので、快適に暮らせるような間取りにしたと聞いています。水回りにもこだわったらしいですよ。まぁ、実際には生涯現役でしたがね。でも、家はとても気に入って大切にしていたので『いたんだらすぐに修繕すること』というのが家訓です。面白いでしょう?」


 2時間ほど車で移動しました。僕は初めての飛行機移動で疲れていましたが、窓から見えるもの全てが珍しく、目が釘付けになって一睡もできませんでした。


 そして、とうとうお寺に着きました。門をくぐり境内に入ると、想像していたよりもずっと大きな寺であることがわかりました。敷地が広く、鐘もありました。本堂から少し離れた場所に、生垣が見えました。


しんさん、生垣が見えるでしょう?家はあの向こうにあります。暗くてよく分からないでしょうけど、あの生垣は薔薇ばらなんですよ」


 暗くてもよく見えました。僕は吸血鬼で夜目が利くのです。血液への渇望を抑える効果があり、僕にとって欠かせない植物『薔薇』に囲まれて生活出来るとは心強いと思いました。住みやすそうな平屋の屋根が見えました。顕仁けんじんさんが扉を開けると、畳の匂いがしました。懐かしくて胸がじんとしました。


 顕仁けんじんさんに家の中を案内され、色々な物の使い方を教えてもらいました。ヨーロッパの物と大差はなかったので問題はないと思いました。でも、お風呂の使い方は少しだけ難しかったです。シャワーさえ使えれば良いとも考えましたが、せっかく日本に帰って来たのだから湯船に浸かりたかったのです。とはいえ…。外国暮らしがとても長かった僕には「お湯張り」とか「追い焚き」とかいう言葉がよく分からなくて、困りました。大昔、僕が日本で暮らしていた頃は、お風呂といえば薪を使いましたからね。


「生活に必要な物は、当面は私か顕春けんしゅんが届けますからね。何でも言って下さいね。あと、気を悪くしたら申し訳ないけれど…。私たち家族が君に会う時は、十字架を身に着けています。仏教の家なのに変でしょう。でも、私たちも吸血鬼と接するのは初めてだから」


 顕仁けんじんさんは、心の底から申し訳なさそうに僕を見つめました。顕春けんしゅん君は、少し緊張した面持ちで、でも穏やかな様子で僕を見ていました。


「お気遣いありがとうございます。皆さんが十字架を着けている方が、僕も安心していられます。もう血液は口にしない覚悟でいますが、何が起こるか分かりませんから」


 こうして、僕の日本での生活が始まりました。僕にとって必要不可欠な薔薇の花は、顕仁けんじんさんの奥さんである、いつ子さんが栽培してくれました。いつ子さんは、これまでも園芸を趣味としていたらしいのですが、僕のために、無農薬で薔薇を作るようになったとのことです。顕春けんしゅんさんの妹の頼子よりこちゃんは、まだ6歳でしたが、お母さんの薔薇作りをお手伝いしていたそうです。僕は、佐倉家全員に支えられていました。心強かったです。


 当初は、特に何もせずのんびりと暮らしていました。でも、次第に、何か仕事をして佐倉家に少しでも下宿代を納めたいと思うようになりました。ルイが既に幾らかお渡ししていたらしいのですが、お世話になりっぱなしでは心苦しいと感じましたから。


 ある夜、「僕が得意なフランス語を生かして、翻訳の仕事は出来ないでしょうか」と、顕仁けんじんさんに相談してみました。


「それは良いことですね。しんさん、君も自由になるお金を持った方が気が楽でしょうし、少しは社会と接点がある方が寂しくないと思います。承知しました。知り合いを当たってみましょう。君に、新しい辞書をプレゼントしなくては」


 住職さんというのは、本当に顔が広いのです。顕仁けんじんさんは、すぐに翻訳の仕事を見つけてくれました。始めは、短めのビジネス関連の書面でしたが、僕の翻訳は評判が良かったらしく、次第に書籍の翻訳の仕事が入ってくるようになりました。僕は重度の日光アレルギーを患っているという触れ込みでしたから、仕事の仲介は顕仁けんじんさんに(後に顕春けんしゅんさんに)全てお任せすることにしました。編集担当の方には、誰にも会ったことはありません。


 僕は、日本に戻ってから、お寺の境内の中の居心地の良いこの家の中で、薔薇を食し、翻訳をし、時には佐倉さくら家の人たちとお茶を飲んだり、夜中に散歩に出掛けたりして暮らしてきました。その間、血液を口にしたいと思ったことは1度もありません。薔薇食ばらしょくを徹底してきた成果だと思います。僕の身体から薔薇の匂いが強くかおるようになるにつれて、僕は人間に戻りつつあるのだ…という気持ちになりました。錯覚ですけどね。


 そんな時、僕の目の前にヒロコちゃんが現れたのです。


 ヒロコちゃんが魔界のヒトだということは、ひと目で分かりました。驚きましたよ。吸血鬼の仲間に出会うよりも、もっと、ずっとびっくりしたと思います。本当に魔界なんてあるんだ…ってね。でも、とても嬉しかったです。僕は、たとえ血液を口にしなくなっても、吸血鬼であることに変わりはありません。でも、周りにいるのは正真正銘の人間ばかり。寂しさを全く感じないと言えば、嘘になります。ヒロコちゃんとの出会いは、僕の孤独を和らげてくれました。


「だから、また一緒にお茶を飲んだり、お喋りしたりしましょうね。ヒロコちゃん」


 しんさんは、にっこりと笑ってそう言った。涼し気な目元が麗しい…。


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