第12話 運命

 しんさんの生い立ちを聞いて驚いたこと。それはもう、たくさんある。まず、しんさんが吸血鬼であったこと。


 私は、魔界のキツネ族だ。人間界に留学中の身ではあるが、幼い頃は、頻繁に里帰りしたものだった(そのことが、双子の兄である孤太郎コタローの魔力の強さを証明するきっかけとなったのだが)。だから、キツネ以外の魔界の生き物たちにも詳しいし、会って話をしたことだってある。そんな私にとっても、人間界の吸血鬼は未知の領域であり「本当に存在していたのか…!」と度肝を抜かれた。


 しんさんの年齢にもびっくりした。1848年生まれって、信じられない。江戸時代だよ。生まれて170年越えてるんだよ。見た目は20代前半の美青年なのに。日光に当たらないから、透けるような白い肌をしていて。しんさんは、私よりも、ずっとずっと美肌の持ち主なのである。本当に、ヒトは見かけによらない。


 でも、嘘を吐いたり、作り話をして私をからかっているのではないことはわかった。何故なら、しんさんの側にいると薔薇の香りが漂ってくるからだ。それは、生垣いけがきから香ってくるものではない。部屋に飾られている薔薇からのものでもない。しんさん自身が発している匂いであることに、私は気付いていた。それはきっと、薔薇食ばらしょくを徹底している証拠なのだろう。


 それよりも何よりも、私を最も驚かせたのは、私自身だ。私は、しんさんに想い人がいると聞いた時、胸が締め付けられるように感じた。何故だか分からないが心臓が痛んだ。さらに、しんさんが私に興味を抱いたのは、私が魔界出身でということを知らされた時、私は…、心底がっかりした。


 思いがけず、気落ちした自分に戸惑った。私にとってしんさんは、定期的に薔薇をお届けするバイト先のお客さまである。時々、お茶をご馳走になったり、楽しくお喋りしたりしているから、顧客と言えども、限りなく友だちに近いという感覚もある。それだけで充分じゃないか?何故、落ち込む必要があるんだろう。


 いや、本当は分かっている。


 私は、しんさんにこう言ってもらいたかったのだ。


「初めて会った時、素敵な君から目が離せなくなりました」

「一緒の時間を過ごしていくうちに、ヒロコちゃんのことが大好きになってしまいました」


 恥ずかしい。

 自意識過剰もはなはだしい。

 穴があったら入りたい。


 好きになっていたのは、私の方だったのだ。私は、これまで恋愛感情を抱いたことなんて皆無だったから、全く気付かなかった。私が人間界で恋をするなんて、人間相手に恋愛するなんてことはあり得ないことのはず。魔界の者は、本能的に人間には惹かれないのだから。人間に対して、好感を持つことは多々ある。だから、友人関係は築ける。でも、恋愛は無理なのだ。それが道理だ。


 でも、しんさんは、人間ではなかった。吸血鬼だった。それを知らなかったから、それに気付けなかったから、私の心は無防備だった。そして、いつの間にか、しんさんに恋してしまった。無意識のうちに。どうしよう…。


「ヒロコ、どうしたの?何だか、ぼ〜っとしてるじゃない?」

 家に戻り、そんなことを考えながらリビングでぼんやりとしていたら、柊子とうこに声を掛けられた。

「あははっ。何だかね。自分で自分がわからなくなっちゃって…」

「2人して打ち明け話?いいなぁ。私も混ぜて〜」

 防音室で練習していたはずの咲子さきこも、リビングにやって来た。おしゃべりするなら…ということで、お茶とお菓子のセットを用意してくれた。何て気が利くの。


 私は、しんさんの話を聞いてからの自分の心の動きについて話した。彼が吸血鬼であることや、江戸時代に生まれた170歳越えの年齢であることは、もちろん伏せた。でも、自分でも後悔するんじゃないかと思うくらい、正直に、ありのままに、しんさんに対する想いを2人に打ち明けていた。


「ヒロコ、薔薇ばらきみに想い人がいたことを知って、彼に対する気持ちはもう冷めちゃったの?」

 咲子が、私の目を覗き込むようにして、そう尋ねた。

「う〜ん。そんなことないよ。自分の想いを自覚する前に振られてしまった形になっちゃって、何だか間抜けだなぁ…と思ってるだけ。しんさんに対する気持ちは、全然変わってない」


「運命なんやて!!」


 唐突に柊子が叫んだ。興奮しすぎて、方言丸出しになっている。この家の中では禁じられているのに(咲子だけ方言を話せないから)。咲子も私もびっくりして、彼女の方を見た。


「よく『運命の人』ってさ、最後まで添い遂げる人のことを言うやんか。でもね、私は『運命の人』は1人だけじゃないと思っとるんやて。たとえ、この先離れ離れになってまうとしても、思いが届かずすれ違ってまうにしても、出会って、お互いの心に何かが生まれたんやとしたら、それは、もう運命やて。だって、地球にはこんなにたくさんのヒトがおるんやんか。お互いを認識できるって、それだけでもすごいことやと思わん?」


 咲子と私は、柊子の勢いに圧倒されて何も言えないでいた。柊子は、私の方を見て、ゆったりとした優しい口調でこう言った。


「だからさ、ヒロコ。薔薇の君と過ごす時間を大切にしやあよ。いつかは、彼に会えへんくなる時が来るんやで。その時に悔いが残らんように、たくさん話したりしとかなあかんよ」


 私は、無言でうなずいた。何だか胸が一杯で、何も言えなくなってしまったのだ。


 しんさんは、人間として人生を終えるために日本に戻ってきた。もう何十年も血液を口にしていないから、確実に身体は弱っているのだろう。

 私も、人間界にいられるのは大学を卒業するまでと決められている。

 だから、ここにいられる時間はもう長くはない。しんさんも私も。


「じゃあさ、私たちも運命の同居人?」 と、咲子。

「当然やん。私が浪人しとらんかったら、ヒロコと友達になれたかわからんし。今の大学に通わんかったら、咲子と一緒に暮らしとらんよ。偶然に偶然が重なった結果やもんね」 と、柊子。

「ちょっとぉ、方言禁止!!」 ねる咲子。

「あ…。ごめん…」 小さくなる柊子。


 私は、目の前の2人、つまり『私の運命の同居人たち』が今ここに居てくれて本当に良かったと、心から感謝した。私1人だけだったら気持ちを整理出来ずに、限りある時間を無駄に過ごす羽目に陥っただろう。


 明日は、薔薇を配達する日ではない。

 でも、しんさんに会いたい。







 

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