第15話 むすぶ

 しんさんのちりは、一部は、彼の残した空瓶からびんに納め、残りは、家の周りにある薔薇の生垣いけがきの根元に埋めた。そして私は、しんさんのちりの入った瓶を抱えて、住職の顕春けんしゅんさんが暮らす母屋を訪ねた。


「夜分に失礼いたします。生花店でアルバイトをしている早瀬はやせヒロコと申します。住職さんにお目にかかりたいのですが…」


「只今参ります」

と返事があり、間もなく顕春けんしゅんさんが現れた。もう、今日の仕事は終了したのだろう。袈裟を着ておらず普段着だった。


 顕春けんしゅんさんは、私の抱えた瓶を見るや否や、私が何も言わなくとも全てを察したようだった。私を見て、少し悲しそうにこう言った。


「それは、しんさんですね。早瀬さん、あなたが納めて下さったのですね」


 それから、顕春けんしゅんさんは袈裟に着替えて、しんさんのために本堂でお経を上げた。参列したのは、私と、顕春けんしゅんさんの奥さまと3人の子供たち、そして、頼子よりこさん…。私を含め、礼服を着ている人は誰もいなかったが、みんな数珠を持っていた。頼子さんは、私の分を用意してくれていた。


 お堂に響く読経の声…。静かで穏やかな夜だった。


 家に入る前に、私は「形式的なものだから」と顕春けんしゅんさんから手渡された清め塩を、自分に振りかけた。その時、ちょうど柊子とうこがバイトを終えて帰ってきた。彼女は、私がその塩を自分にかけているところを見てしまった。


「ヒロコ、どうしたの?…お葬式に行って来たの?」

「うん…。あのね…しんさんがね…亡くなったの」


 私の言葉を聞いた柊子は、とても驚いて言葉を失っていた。いつもの彼女からは想像出来ないことだったが、落ち着きを取り戻してからも、私を質問攻めにすることはなかった。咲子さきこと示し合わせて、私をそっとしておいてくれた。


 それが、金曜日の夜の出来事。


 次の日の土曜日、私は自分の部屋から一歩も外に出なかった。柊子と咲子が気を遣って、私の部屋の扉の前に食事を運んでくれたが、一口も食べられなかった。食欲が全く湧かなかったのだ。


 私は部屋にもって、ずっと泣いていた訳ではない。泣いたり、泣き止んだり…。でも、ほとんどの時間はぼんやりとしていた。しんさんのことを思い出したり、頭が真っ白になって何も考えられなくなっていたり…。そんなことの繰り返しだった。


 そんな中でも、私は強く思っていた。しんさんの最期を見届けることが出来て、本当に良かったと。しんさんと、もう会えないのは辛いけれど、彼が塵となっていくのを見守ることが出来たことは幸運だったと。そして、しんさんが蝶となり、夜の闇へ飛び立つのを見送ったことは一生忘れまいと心に誓った。


 しんさんの塵は薔薇の匂いがした。しんさんの化身の蝶は、私の涙を吸っていた。

私の心に深く刻みつけられた最後のお別れ。私にとっての『薔薇』と『蝶』は、しんさんとの思い出に生々しく直結するものとなった。


 魔界にも『薔薇』と『蝶』は存在している。だから、私はいつでも好きな時にしんさんのことを思い出せるだろう。良かった。


 では、柊子と咲子はどうなるのか…。


 今のままでは、私は彼女たちの記憶の中から完全に消えてしまうだろう。私が魔界へ帰った後は、私に関する記録と記憶は人間界から抹消されるのが決まりだ。だから、学生時代は従姉妹同士の2人で同居していたというのが、彼女たちの事実となるのだ。


 そんなの嫌だ。

 私がいなくなった後でも、柊子と咲子の心の中に私の痕跡が残ることを何かしておかなければ。

 たとえ、彼女たちが私のことを忘れてしまっても、彼女たちの無意識の中に残る何かを。


 そして、日曜日。私は朝から、台所で小麦粉と格闘していた。頭の中をすっきりとさせるためには、単純な手作業をするに限る。今日は、柊子も咲子も家で昼食を取ることになっているから、私は3人分の食事の支度をすることにした。


「おはよう、ヒロコ。何を作ってるの?ひょっとして…パン?」

 寝起きの良い咲子は、朝からキラキラしている。花のような笑顔で私に尋ねた。


「おはよう、咲子。違うよ。私が作ろうとしているのは『きしめん』だよ」

「きしめん?…きしめんって何?」


「えぇっ!? 咲子、きしめんを知らんの?ショックやわぁ…」


 いつの間にか台所に来ていた柊子は、驚きのあまり方言丸出しで叫んでいた。

 だ・か・ら…方言は、この家では御法度だってば。


「きしめんはね、平べったいうどんだよ。私ね、うどんの中ではきしめんが1番好きなんだ」

「そうなんだ…。きしめんって、ヒロコの地元の食べ物なの?でも、私、おばあちゃんのお家で食べたことないよ」


「咲子、きしめんはね、お隣の県の名産品だよ。でもね、実家の近所のうどん屋さんでは、きしめんは必ずメニューにあったね。そういえば、東京には蕎麦屋が多くてびっくりしたねぇ…」


 そう言いながら、私はうどんの生地をこねる。私の馴れた手つきに、柊子は目が釘付けだった。

「ヒロコがうどんを手打ち出来るなんて知らん…知らなかった。すごい特技じゃない?」


 私は、作業を続けながら、これまでの手打ち歴を柊子と咲子に打ち明けた。


 実は、手打ちうどんを作るのは、今回で2回目であること。初めて作った時に、自分でも驚くほどの出来の良さで、自分の中に眠っていた『手打ちの才能』を発見したのだということ。その時は、食べてくれる人の好みに合わせて、コシの強い『讃岐うどん』作ったのだが、自分は、子供の頃から『うどんと言えばきしめん』だったので、どうしてもきしめんを打ちたくなったこと。


「じゃあ、私、これからスーパーマーケットに行って油揚げを買って来ようかな。せっかく手打ちきしめん食べるならさ、キツネにしたいじゃん」 と、柊子。


「私の分も買って来て。私も、キツネ大好き!」 咲子がウキウキして応えた。

「キツネ最高だよね」 柊子もワクワクが止まらないようだ。


 2人の会話を聞いて、私は手が止まってしまった。


「キツネ大好き」

「キツネ最高」


 彼女たちが「きしめん」の話をしているのはわかっている。頭では理解している。それでも、私は、2人の言葉に深く感動したのだ。胸がじ〜んとして、不覚にも目頭が熱くなってしまった。何だか、キツネ族の私をありのまま受け入れてくれているような、そんな雰囲気だったから。


 この2人は、やっぱり私にとって運命の同居人だ…。

 そう考えても良いよね。


「油揚げ、ヒロコの分も買ってくるね。行ってきま〜す」 柊子はスキップしながら家を出た。

「お出汁取って、おつゆを作るよ」 咲子がエプロンをかけてお手伝いに来てくれた。


 私が人間界で暮らせる期間は、あと2年余り。そんなに長い時間じゃない。

 柊子と咲子。せっかく仲良くなれたこの2人と離れるのは寂しい。

 

 私は、たった今、決意した。 

 私は、これからは月に1〜2回、手打ちきしめんを作って、彼女らと一緒に食べるのだ。きしめんを知らなかった咲子、きしめんに思い入れがなかった柊子。彼女たちに私の打った美味しいきしめんを食べてもらって、2人を『きしめんファン』にするのだ。そうすれば、大学を卒業して、私が人間界を去り、彼女たちの記憶の中から私の存在が消えてしまっても『きしめん』は残る。


「一緒に住んでいた大学時代に、よく一緒にきしめんを食べたよね」

「やっぱりキツネだよね。キツネ大好き」

「キツネ最高」

「また、きしめん食べようよ」


 こんな風に、ずっと楽しく『きしめん』を思い出し、美味しく食べ続けていて欲しい。そこに私がいなくても。私のことを忘れてしまっても。『きしめん』が、いつまでも柊子と咲子とヒロコを結び付けていてくれると思うから。私も、魔界できしめんを打ってみんなを思い出すよ。私はあなたたちを忘れない。


 ぜったいに。







【参考図書】

「不死蝶 岸田森」 小幡貴一・田辺友貴 編  ワイズ出版映画文庫13  2016年

「バラの世界」 大場秀章 著  講談社学術文庫  2023年

「詳説 総合音楽史年表 改訂版」 皆川達夫・倉田喜弘 監修  教育芸術社  2007年

「蝶の生活」 シュナック 著  岡田朝雄 訳  岩波文庫  1993年






 

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蝶となりにき我が薔薇の君 内藤ふでばこ @naito-fudeb

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