こんにちは。内藤ふでばこです。
今回は、私が書いた「狐につままれる」についてお話します。
この物語は、私が昔から気に入っている『狐につままれたようだ』という表現を軸にお話を作りたくて書きました。
この言葉を聞くと、狐が私をつまんでいる光景が思い浮かんできて、愉快な気分になれるのです。
ところで、この物語には裏のテーマがあります。
それは「崇徳院」です。
崇徳院は、複雑な理由から父親である鳥羽天皇から疎まれ、排斥されてきました。
そして、「保元の乱」に敗れて都を追われてしまいました。
(詳しく知りたい方は「崇徳天皇」「保元の乱」などで検索してみて下さいね)
都に戻りたい崇徳院は、反省して写経をし、それを京都の石清水八幡宮に奉納しようとしたのですが、拒まれ、これまでの怒りが大爆発します。
そして、自ら怨霊となることを宣言し、世の中に復讐することを誓います。
こうして、史上最強の祟り神としての崇徳院が誕生し、その凄まじい様子は「保元物語」「源平盛衰記」「太平記」に記されることとなりました。
さて、私は「狐につままれる」の中で、緋呂狐の父上を『白銀に輝く狐の棟梁』と表現しましたが、これは祟り神となった崇徳院の描写を拝借したものです。
「太平記」に『崇徳院は金の鵄の姿をしていた。天狗の巣窟である愛宕山で、黄金に輝く天狗の棟梁となっていた』と描かれていることを知った私は、「これ、重厚感があって良いなぁ」ということで使わせて頂きました。
実は、私は、昔から崇徳院のファンでした。
祟り神とは知らずに気に入っていました。
崇徳院は和歌の名手で、私は小倉百人一首の彼の歌が大好きだったのです。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あわむとぞ思ふ
何と美しい歌でしょう!
激しい川の流れが岩にぶつかる音が聞こえてきそうです。
別れてもまた会いましょう…とは、How romantic !
この歌から「早瀬ヒロコ」「滝川コタロー」と名付けました。
さらに、讃岐うどんを登場させたのは、崇徳院が流された先が讃岐だったからです。
大学生になったヒロコを描いた「蝶となりにき我が薔薇の君」では、さすがに崇徳院は出せないだろうと思っていましたが…。
登場させていました。無意識のうちに。
お寺の先代住職の名前を顕仁(けんじん)としましたが…。
崇徳院の名前が顕仁(あきひと)だったのです。
恐らく、崇徳院関連の本を読んでいて、頭の片隅に残っていた名前を使ったのだと思われますが、意図していなかっただけに気付いた時には震えました。嬉しくて。
私のキツネの物語たちは「崇徳院に支えられていた」という結論に至りました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
内藤ふでばこでした。
【参考図書】「神になった日本人」 小松和彦 著 中公新書ラクレ 2020年