第2話 シェアハウス
私と
これ程までに忙しくても、咲子はバイトをしている。近所のバレエ教室のレッスンピアニストとして重宝がられているとのことだ。バイトの時までピアノを弾くのか…と私は驚愕した。そして、そんなにしてまで練習したいのか、と胸が締め付けられる思いがした。でも、実際は、もっと軽い気持ちで働いているとのこと。実は、彼女はとってもバレエが好きで、至近距離でお団子ヘアのバレリーナたちを見るのが楽しくて堪らないらしい。ピアノも、普段の練習とは違って、ストレッチのような弾き方をしているから疲れないんだとか。私には未知の感覚だ。教えてくれてありがとう、咲子。
柊子も家の近くで新しいバイト先を見つけた。家から遠くない場所にある、お洒落な雰囲気のカフェの店員として雇ってもらえたと喜んでいた。毎日、勉学に励んでいる彼女は「バイトくらい毛色の違うことをしないと気が滅入ってしまう」というのが口癖である。だから、シンプルな白シャツに黒のパンツ&黒エプロンに身を包み、落ち着いた雰囲気の大人のお客さまにお給仕をするこの職場は、彼女にとって最高の場所であるらしい。バイト仲間は、明るくさっぱりとした性格の子が多いとのことで、とても居心地が良いのだと言っていた。生き生きとしている柊子。いいなぁ…。
私も、そろそろバイトしなくちゃ。
そして、ある日。私は1枚の張り紙を見つけた。
【 バイト募集中! 花の定期便の配達ドライバー 普通免許で OK 学生さん大歓迎 】
募集を掛けていたのは、近所にあるお寺の隣にある花屋だった。経営しているのは、そのお寺のご住職の妹さんらしい。
東京都心には意外なほど多くの寺がある。驚くほどである。そんな中、花屋の隣にあるその寺には、ある特徴があって、この界隈では少しばかり有名だ。
寺の敷地内に薔薇の生垣に《いけがき》囲まれた
私には『人間界で暮らしている間に絶対に経験しておかなければならないこと』リストがある。『大学生になること』『寮生活をすること(これにはもう懲りたが)』の他に、常に上位に君臨しているのは『自動車を運転すること』だ。
魔界には自動車がない。移動をする際は、ヒト型の状態の時は二足歩行をする。急いでいる時は、キツネの姿になって4本足で駆ける。遠くへ行く時は、魔の力で飛んでいく。だから、私は自動車を運転することに強い憧れを抱いてきた(自分が魔界出身のキツネ族であることを思い出した後のことだが。私は一時期、過去の記憶がまだらになっていたので)。だから、大学に合格したことがわかるや否や、私は自動車学校に通い始め、上京する前に免許を取ってしまった。ギラギラとやる気に満ちていたので、教官から面白がられた。
雇ってもらえるかどうかはわからない。でも、何もしないではいられない。運転したい…!
意を決して、私はバイト募集中の『
「こんにちは。あの、バイト募集の張り紙を見てお伺いしたのですが…」
店主と思しき女性が、作業中の手を止めて振り向いた。にこやかで、穏やかそうで、可愛らしくて。お花屋さんにぴったりの雰囲気を持った人だった。すごく若く見える。でも、大学生ってことはないだろうから年上だよね、きっと。
「そうですか。学生さん?」
「はい。大学2年生です」
私は店主さんに履歴書を渡した。念のため、学生証も見せた。
「
「はい。そこに書いてある通りです。お花が好きなことはもちろんですが、自動車を運転したいのです」
私がそう言うと、店主さんは一瞬目を大きく見開き、ケラケラと笑い始めた。わ…私、何か変なことを言ったでしょうか?あんなに笑われるなんて、ひょっとして、不採用?
「あぁ、ごめんなさい。『運転したい』っていう率直な言い方が、何だか面白かったの。でも、そうよね。配達ドライバーの募集なんだから、間違ってないわよね」
良かった。不愉快な思いをさせたのではなかった。明るくて感じの良い人だなぁ。
「採用するかどうかは、実際に、あなたに運転してもらってから決めようと思うの。今日は免許証をお持ちですか?もし時間に余裕があるようだったら、これから一緒に配達してみましょうか」
運転免許証を持ち歩いていて良かった。都心を自分で運転する車で移動するのは初めてだ。しかも、これって採用試験よね。気を引き締めて頑張らなくては。安全運転で!
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