第4話 恋?

 自分自身について驚いたこと。それは、あの日、初めてしんさんに出会って以来、気が付いたら彼のことばかり考えているということだ。初めて出会った日に見つめ合ってしまったことを、思い出しては浸っている。何度も何度も。こんなこと、今まで経験したことなかった。何だか…何だかすごく恥ずかしい。思わず、頭を掻きむしっちゃうぅぅ…。妙な感じ。


「ヒロコ、最近ちょっとヘンだと思わない?」


 ある晩、久しぶりに3人が揃って食卓を囲んでいた時に、柊子とうこがお味噌汁を一口啜ってからそう言った。柊子は、人の様子の変化に敏感なので、私はギクリとしたが、何とか平静を装った。しんさんのことは、まだ誰にも言ってない。


「ヘン…かなぁ?自分ではよくわからないけど。それよりさ、咲子さきこって、本当にお料理上手よね」


 咲子が柊子と目を合わせてニヤニヤしている。この2人は、とても気の合う従姉妹いとこだと思う。彼女たちは、私に何らかの心境の変化があったことを鋭く見抜いたのだろう。今夜は、その答え合わせをするつもりなのかな。2人に攻め込まれたら、逃げ切るのは難しい…。


「ありがと。でも、誤魔化そうとしたってダメよ。ヒロコ、何かあったでしょう。ここ1か月くらいの間に、ぼうぅっとしたり、ため息ついたりすることが増えたわよ」


「とうとう、好きな人が出来たんでしょう…!」


 柊子、落ち着け。さすがはフランス文学をこよなく愛するだけあって、アムールの兆候は見逃さないのだな。でも、どうだろう。本当に「好き」なんだろうか。


「う〜ん。好きかどうかはわからないけど、つい気になってしまう人はいるよ」


「きゃ〜〜〜〜〜っ!誰?私たちの知ってる人!?」


 私は観念して、2人にしんさんのことを話し始めた。

 しんさんは、バイト先のお客さまであること。彼には、週2回薔薇を届けていること。初めてお届けに上がった日に「ヒロコちゃん」と呼ばれてトキめいてしまったこと。配達のついでに、よく薔薇屋敷でお茶をお呼ばれしていること。

 彼女たちは、身を乗り出し、瞳をきらきら輝かせて聞いてくれている。あ、ありがと。話し甲斐があるよ。でも、初めて会った時に見つめ合ったことは、何となく言いそびれてしまった。


「薔薇屋敷に住んでいるのに、週に2回も薔薇を届けているの?それならさ、家の外も中も薔薇の花だらけじゃん。そんなに薔薇が好きな人って…。ちょっと変わってるね」


 ごもっとも、柊子。私も最初はそう思ったよ。


「薔薇屋敷に人が住んでいるなんて知らなかった。あのお寺のお茶室みたいなものだと思ってたわ。それにしても、その人、どんなお仕事をなさってるの?住職さんのお弟子さん?」


 咲子は、私たちよりも長く薔薇寺の近所に住んでいるんだものね。不思議に思って当然です。


「彼は翻訳の仕事をしてるんだって。あまり存在が知られていないのは、昼間に外出しないからだと思う。日光アレルギーがあるから、太陽の光を避けなければならないの。それから、週に2回も薔薇の花を届けているのは、室内で鑑賞するためじゃない。もちろん、少しは飾ってあるけど。彼が薔薇を購入する1番の目的は、食べるため。食用に栽培された薔薇を届けているの」


「お天道さまを拝むことが出来ない、薔薇を食す翻訳家!?何だか、怪談話みたいね。ヒロコの好みって……。ねぇ、翻訳って、どの言語の?」


 咲子がちょっと心配そうに私を見つめながら尋ねた。そう言えば、これまでしんさんの仕事について1度も詳しく聞いてみたことがなかったことに、今、気付いた。私が無言で首を横に振ると、柊子が質問してきた。


「ヒロコ、薔薇ばらきみの名前は?」


「し、知らない。下の名前は『しん』さん。『森』と書いて『しん』と読むの。でも、名字はわからない。お仕事だって、ペンネームを使っているかもしれないし…」


 柊子の目がキラリと光った。


「『森』と書いて『しん』と読むの?私、知ってる。いつもお世話になってるよ。ねぇ、その人、ひょっとしたら、フランス語の翻訳家の『佐倉森さくらしん』じゃない?」


 しんさんの住んでいる薔薇屋敷の所有者は、薔薇寺の御住職だ。そして、御住職の名字は『佐倉』さん。それならば、たとえ本名が何であれ、しんさんが仕事の時に『佐倉』を名乗ってもおかしくはない。住職さんは、日中は外に出られないしんさんのために、翻訳の仕事の仲介役を引き受けているらしいし。


 柊子によると、『佐倉森さくらしん』氏による翻訳本は、小説や詩にとどまらず、フランス史、市民生活などの風俗を扱ったものまで多岐に渡るということだ。その文章は自然でわかりやすく、名訳とうたわれているらしい。柊子のようにフランス文学を志す者ならば、必ず目を通しておくべき翻訳なのだとか。


 しんさんは、偉いヒトなのかもしれない…。


 柊子の話を聞いてから、私は、しんさんに薔薇を届ける時に少し緊張するようになった。


 しんさんのお仕事の事を聞きたい。しんさんの名字を確かめたい。そして、私にはずっとしんさんに尋ねたいことがあった。初めて会った日のこと。私をじっと見つめて「あなたのようなヒトに会うのは初めて」と言ったこと。これは、どういう意味ですか?自惚れているみたいで聞きそびれていたけれど、本当は今すぐにでも知りたいのです。


 そんな私の小さな葛藤を知ってか知らずか(恐らく全く気付いていない)、しんさんはいつだって、さらりと何でもないことのように、私をお茶に誘ってくれる。私は、いつでもお受けしてしまう。やっぱり嬉しさには勝てない。しんさんの穏やかな語り口が心地良いのだ。こっそりと、しんさんの美しい顔に見惚れるのが楽しいのだ。


しんさんは、フランス語の翻訳家の『佐倉森さくらしん』なの?」


 お茶にお呼ばれしたある日、私は、思い切って聞いてみた。すると、しんさんは涼しげに微笑んで言った。


「そうですよ。よく分かりましたね。ヒロコちゃんはイギリス文学志望だから、絶対に気付かれないと思ってました」


「同居している友だちが、フランス文学に詳しいの。仏文科学生の必携ひっけいの書なんだと言っていたわ」


「へぇ、そんな風に言われてるの?嬉しいですね。本名じゃないですけどね」


 本名じゃないんだ。本当の名字を知りたい。でも、会話の良い流れが出来ているから、まず、こちらの質問を優先しよう。今なら、重くならずに尋ねられそうだ。


しんさん、私が初めて配達に伺った日にこう言ったの。『』って。あれって、どういう意味だったの?覚えてる?」


「……もちろん、覚えてますよ」


 しんさんは、お茶碗をテーブルの上に置いた。それから、私の顔を真っ直ぐに見つめて言った。


「あれは、そのままの意味ですよ。ヒロコちゃんの醸し出すオーラと匂いが、他の誰とも違っていたから…。ヒロコちゃんは、魔の世界に属しているのでしょう?」

 

 えっ…。

 しんさんは、私が何者なのか、気付いている。

 普通の人間に見抜くことは出来ないはず。

 そんなこと、不可能だ。

 それなのに、それなのに、しんさんは…。

 しんさんも、魔界からやって来たのだろうか。

 ひょっとして、敵なのか…!

 あれっ?敵なんていたんだっけ…。


「ヒロコちゃん、そんな怖い顔をしなくて大丈夫ですよ。言いふらしたりしませんから。もう、そんなに睨まないで下さい」


 しんさんは、いつものように穏やかな微笑みをたたえてそう言った。でも、私はこの笑顔にずっと騙されてきたのかもしれない。私の正体を見破るなんて、只者じゃない。この人は、一体、誰?


「僕も同類だからわかったんです。魔界出身ではないですけど」


「僕は、吸血鬼です」




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