第11話 気配②

 決意を固めた翌日の、日の出を迎える少し前。

 屋敷から父さんと冬馬さんの気配が離れていくのを察知して、俺は目を覚まし布団から上体を起こした。


「……いつもより早い」

 

 二人が屋敷を発つのは大体が昼頃だった筈。

 五日目にして妖魔に何かしらの動きがあったのだろうか。

 あの二人なら大丈夫──そう信じてはいるが、いざ動きがあるとなると不安になる。


「今お主が気にしても仕方なかろう。なに、彼奴らなら問題なかろうて。大抵の妖魔では歯が立たないじゃろうしな」


 俺の心情を汲み取ってくれたのか、銀子がそんな言葉をかけてくてくれた。


「まぁ、気持ちはわからなくもないがの。……して、眠れそうにないなら、気晴らしがてら少し早いが特訓を始めるか?」


 これは銀子なりの気遣いなのだと思う。

 銀子はこういった精神的に弱っている時、きまって声をかけてくれる。

 夢の世界での特訓でも自分の弱さに対して気を沈めていると、強引に横にされ、銀子の膝に頭を乗せられ髪を梳くように撫でられた事もある。

 特訓ではスパルタだが、本来の彼女はとても優しいのだ。

 だからこそ、俺は銀子の指導に疑う事なく従っている。

 嫌がらせでもなく、純粋に俺を鍛えようとしているのが伝わってくるから。

 

「うん、そうするよ」

「では外に出るとするか。そうじゃ、今日は軽めに流すからの。昨日がハードじゃったからな」

「ん? 今日も昨日通りでいいけど」

「ダメじゃ。連日の回路の拡張は酷使と何等変わらぬ。最悪回路がズタズタになって使い物にならなくなるからの」

「そうなんだ……わかったよ」


 立ち上がって適当に着替える。

 そして部屋を出ていつも通り庭へ向かうと、縁側に腰掛けて空を眺る母の姿があった。

 早朝の特訓で遭遇するのは初めてだな。


「……あら、天智も起きたのね」


 こちらに気が付いた母がそう言って手招きをする。

 特に断る理由もないと、俺は素直に従い母の隣に座った。


「……天智はお父さんが心配?」


 こちらを見据えて母が問う。その声は微かに震えていた。

 ココ最近の父の様子を最も間近で見ていたのは母だ。きっと俺なんかよりもずっと不安なんだと思う。

 そんな母の心を少しでも軽くできるなら、と、俺は口を開く。


「もちろん心配だよ。でも、父さんは強いし、それに冬馬さんだっている。だから大丈夫だって俺は信じてるよ」

「……そっか、天智は強い子ね。私は……私は怖くて仕方がない。ふふっ、母親なのに我が子に励まされるなんて、情けないわね……」


 震える腕を手で押えて、母は俯きながら言う。


「もう、私は誰も失いたくないの……」


 母は顔を上げてこちらを再び見据えた。

 その瞳に宿る光は酷く弱りきっている。何かに縋り付きたい、そう言っているようだった。


「天智、あのね……あなたには」


 その先に紡ごうとしている母の言葉を予想するのは、俺には容易かった。

 この世界に生まれ落ちて四年。屋敷を散策した際に俺はとあるものを発見していた。

 原作で語られていたからソレを見つけた時に驚くことは無かったけど……。


 そしてそソレは、母さんの今の気持ちを知るには充分だった。

 母の中に今尚巣食う悲壮な記憶は、この現状を機に想起するなという方が無理な話だから。

 だって──


「──しってるよ。本当はお兄ちゃんが居たんだよね」

「……っ」


 母の息を飲む音が聞こえた。


「知ってたのね……」

「うん」


 俺はある日、一見押し入れに見える襖の先に小部屋があるのを発見した。

 そこには今の俺と同じくらいの年齢に見える子供の遺影が、仏壇と共に置いてあったのだ。

 原作では七五三の帰りに複数の妖魔に襲撃され子供だけが命を落とした、と書かれていたのを記憶している。


 そしてそれらを両親が隠していたのは、天智がもう少し大きくなり、妖魔と戦えるようになってから話すつもりだったからだ。

 全ては妖魔への過度な恐怖心を植え付けないために。

 恐怖は身を強ばらせ、思考を凍らせ鈍らせる。それは陰陽師にとっては致命的だから、と。

 

「大丈夫、俺は戦えるから。それに銀子だっている。父さんはそんな俺よりも強いんだもん。今は帰って来た時におかえりって言う準備をしておこうよ!」

「えぇ、そうね、そうよね。ありがとう天智。ふふっ、四歳とは思えないくらいしっかりしてて、お母さんびっくりしちゃった」

「は、はは……」


 中身は成人してるからね、なんて言えることも無く、俺は抱擁してきた母を受け止める。


「よしっ、それじゃあ朝ごはん作ってくるね。お父さん達が帰ってきた時にお腹すいてたら可哀想だもの」

「うん、行ってらっしゃい!」


 多少は気が晴れただろうか。

 顔に浮かんでいた影はなりを潜めて、母の表情も柔らかくなった気がした。

 後はもう、二人が帰ってくるのを待つだけだ。


「よっし、特訓初めるか!」


 パンっと頬を叩いて気合を入れる。

 澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んで、俺は空を眺めた。

 東の方からは、暖かな明かりが少しずつ頭を出し始めている。

 

 縁側に立てかけられた木刀を執って、全身の呪力に意識を向けた。

 術式を展開し、バチバチと紫電の弾けると音が庭に響き渡る。


「──『譲雷』」


 木刀へ紫電を纏わせ、俺は特訓を開始した。

 

 




 ──結局その日。

 夜になっても父さん達が屋敷に帰ってくる事はなかった。




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