第3話 心酔する者たち

「広いですね」

 

 出雲は三和土で阿呆のように言う。


 八幡平家は、周囲の住宅地の中でも一回り広い敷地を有していた。邸や屋敷と称するにはやや物足りないが、奥には小さな池泉や庵、漆喰の蔵もあり、数十年前は素封家として名を馳せていたのではないか。


「戦中まで、ここ一帯が我が家の土地だったらしい。それもGHQに刈り取られ、相続でさらに売り払ったというから、本当にすごい地主だったんだろうね」

 

 彼は左側にある応接室に通そう、とこちらを差し招いたが、


「あなた」

 と、棘をおびた声に呼び止められた。


 床を刷毛で擦るような跫音がして、奥の暗がりから四十を越えた女性がやってきた。牡丹の意匠を裾にあしらった紫の古めかしい長羽織に白足袋で、やや目つきのきつい面長の女性だが、なぜか、その左手には御幣が握られている。


「持ち物の検めを」


「いや、彼は」

「たとえ知人といえど御母様に拝謁する方です」

「すまない、和代。・・・・・・ごめん、風岸くん。そういうことだから」


 昌義が申し訳なさそうに手を合わせる。


 その後ろでこちらを見据えている女性が、八幡平和代はちまんだいらかずよ。昌義の妻であるらしい。


 事前に彼から聞いていた和代の印象は、嫁姑仲がよく、鶴子の古着を好んで着るという微笑ましい関係性ばかりだったから、おおらかな人当たりの良い夫人と思っていたが、その居住まいから感じられるのは、信仰に身を浸からせた人間特有のとっつきにくさである。


 丸顔で中肉中背の昌義とは対照的に、面長な顔立ちに、切れ長の目、細く乱れがちな長髪は、野を駆る狐のようだ。タヌキと狐の夫婦といえば微笑ましいが、残念ながらこの夫婦にそんな牧歌的で、フィクショナリィな関係性は見受けられない。


 検査保安場のように、持ち込んだポーチの中身をあさられ、携帯などの録音録画機能を有した端末は、プラスチック性の浅い籠に放りこまれ、奥のリビングに運ばれた。ほかの持ち物も、みな和代が祝詞まがいの呪文を唱えながら、その左手にもった御幣を振り、穢れ祓いの真似事をする。


「気を悪くしないでくれ。ここ最近、興味本位で、撮影しにくる人たちが増えてね」


 引き返してきた昌義は、申し訳なさそうに眉をさげる。


「お気になさらず」


 出雲自身、ここに訪問した動機の大半がそのやっかみと同じなのだ。よこしまな心持ちを気取られないためにも、ここは信徒のように従順な態度でいるほうが得策だった。


 ところが、この韜晦も通された応接室によって破られた。


「こいつは・・・・・・」

 唖然として、棒立ちになる。


 応接室は幼児の墓場のようだった。愛玩人形やぬいぐるみ、乳幼児の衣服など、乳児や幼児に関するおよそすべてのもので、廃棄された児童用品の蒐集場とかしていた。


 黒革のソファーを中心に、陶器や飾り皿がならんだ落ち着いた雰囲気にあって、それらはまったくをもって異様、異質、異景と呼ぶべき、恐ろしい夾雑物なのだが、そのなかでも、白磁器の飾り皿が置かれている棚は別格だった。


 ガラスをはめた戸の奥に、不揃いな大きさの写真立てが犇めいている。


 そのどれもが幼い児童のもので、そのどれもが、おそらくは遺影であった。


「あら、わたしの他にも居たのね?」


 まるでこの部屋の主人かのように、女性がひとり、ソファーに鎮座していた。

 さきほどの喪服女性である。

 

 この水子神社の納骨堂のごとき応接間に、一毫の不気味さも覚えていない彼女は。出雲を歓迎するように差し招いて、対面のソファーに座るように促した。


 そして座るや否や、こう詰め寄った。


「あなた、鶴子様を信じてないでしょう」


「え?」


「でも、鶴子様の千里眼は本物よ。私が保障するわ!」


 咆吼のような声が、家鳴りのように、八幡平家に轟いた。


 信仰宗教の勧誘であっても、ここまでの唐突さはないだろう。

 瞬きひとつしない女の目は、食い入るようである。


「失礼ですが、貴女は・・・・・・」


「ああ、御免なさい。わたし、鶴子様のことになると声が大きくなっちゃうの」


 前のめりになった身体を戻して、ほほほと笑う。


「わたしの名前は、竹本幸たけもとさち。そして、この子が」


 ポーチを開けて、慈しむように小さな写真立てを取り出した。

 それを出雲に向かい合わせるように立てて紹介する。


竹本翔太たけもとしょうた。わたしの息子」


 デジタル画像を引き伸ばしたのだろう。やや画質が悪く、不鮮明ながら体操服に身を包んだ四、五歳ぐらいの男の子が映っている。幼い少年の表情は笑顔ではなく、ぼんやりとこちらを覗いて、まるで初対面の出雲青年を不思議そうに眺めているようだった。

 

「鶴子様は、その千里眼で、絶対に見つけて下さいます。息子のときのように」


 竹本は遺影に映る息子を見つめながら、呟く。


「でも、それが必ずしも良いこととは限らないですけれど」

 陰陰と籠もるような声が、いう。


「なんたってあのお方は――」


 

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