第12話 夜灯の語らい

 事件発生から、半日が経過した。


 南署の入口から、重いからだを引きずるようにして出雲が出てきた。


 鶴子氏殺害において、彼ほどアリバイの強固な容疑者も居らず、また来訪理由が、その学術的興味と野次馬的関心であることは自明であったので、聴取はそうそうに終わる筈だったのだが、事件後の何やら含みのある物言いから、こと権田原健三刑事にこってりと絞られ、釈放されたのは、宵もすぎた夜半の時間だった。


 当初、周囲の刑事も、なぜそんなにも権田原刑事が躍起になって、この人畜無害そうな青年を責め立てるのか、皆目見当も付かない様子だったが、事件後の顛末を聞き、そこで閃いたらしい推理や憶測というものを、なぜかこの青年は一語たりとも明かさないことに、刑事の猜疑心をくすぐったのである。


 が、結局、かれは地蔵のように黙した。


 これは埒があかないとして、取調室から解放され、半ば冤罪めいた尋問に疲れ果てた風岸は、とぼとぼと地下鉄の改札にむかっていた。


 が、その道沿いにあるフェンスに囲まれた小さな公園の車止めに、見知った人物が腰をかけていた。


「やあ」


 光に酔った蟲が街灯をまわる。

 その下で、やつれた顔の昌義が、缶コーヒーをもって待っていた。


 足元には、みっつも開いたアルミ缶が並んでいる。どうやら随分と待たせたらしい。右のオーバースローで投げ渡された無糖の缶コーヒーを受け取ると、プルタブをひねって、乾いた身体にむけて一気に流し込んだ。


「随分、警察に気に入られたようだね」


 風岸がとなりの車止めに腰を落ち着かせると、からかうようにいう。


「昌義さんは、いつ?」


「僕は二時間ぐらい前に終わったかな。妻もそのぐらいだったとおもう」


「奥さんは家に?」


「いや、今日ばっかしはホテルに」


 さすがに義母が殺されたばかりの家に戻る気概はないだろう。まして今や警察の捜査が入り、家には報道陣が屯しているのであれば、当然だろう。


 それにしても自分の状況を差し引いても、この二人の聴取が随分速く終わったことには驚いた。それが顔に出ていたのだろう。昌義は聴取時点で聞き得た情報を教えてくれた。


「和代が言っていたとおり、警察は、僕らがわざわざ刑事がいるときに犯行をおかすような愚は起こさないと思ったらしい。それに母に刺さっていた包丁の件もある」


 包丁といわれ、鶴子に突き刺さった位牌のような、黒いプラスチック製の柄が思い浮かぶ。いまだつるりとして、匂い立つような真新しさを放っていた。


「あの包丁は、前日、竹本さんが、近所の金物屋で購入したものだと調べがついたらしい。疑いの矛先が彼女に向いた以上、僕らの追及はアルバイトの面接のような、さわりをなぞる程度の簡便なものになったよ」


「なるほど」


 飲み終えた缶を両手で弄んでいた出雲は、となりの昌義の目を覗いた。


「貴方も、犯人は竹本さんだと思いますか」


「僕は・・・・・・」


 昌義は、しばらく逡巡する様子をみせたあと、向かいの通りを行き来する車通りを眺めながら、


「そうは思わない」


「では誰と?」


「多分、そうだね。君が目撃した不審な人影こそ、犯人じゃないだろうか」


「・・・・・・・・・・・・そうですか」


 それからしばらく沈黙があった。

 互いの吐息さえ聞こえる静寂のなかで、昌義が口をひらいた。


「ずっと考えていたことがある」


「・・・・・・」


「君が呟いた『偶然の悪魔による犯行』という意味を。聴取のあいだも、ここで君を待っている間も、ずっと考えていた。外で待つのも苦ではなかった。だけど、僕にはどうしても分からなかった」


 出雲は沈黙を保ったままだった。


 掌には昌義から貰った缶が、卵のように包み込まれている。


「僕はね、じつのところ、君をかっているんだ。いままで何人か、柳河教授の推薦で会った学生はいるが、君ほど思慮深い学生は会ったことがない。知識を獺祭することに悦にいることもなく、ただ聞きに徹するだけでなく、他者の知識に呼応して、さらにこちらを共振させるような話しぶりをする人は、君において他になかった。だから、おそらく、いいや、十中八九、君は真相に気づいている。そして君は決して、真実を貶めるような人じゃないと信じてる。だからこそ『偶然の悪魔による犯行』という物言いが、理解しがたい。きみは、だって、きみは――」


 昌義は立ち上がり、街灯の明かりを背にして、苦悶の果てに言う。





 突如とした犯罪の暴露をきいたというのに、出雲は身動ぎもしなかった。


 それは昌義の断言に対する、しずかな肯定だった。

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