第2話 旧知の先達
千里眼。
この三文字を、文字通りに理解しようとすると、やや焦点がぼやける。
というのも、千里眼というのは遠く見通せる優れた視力ということではなく、千里という途方もない僻地のことでも遺漏なく物事を知悉しているという意味合いであるらしく、どちらかというと仏教用の天眼通のほうに近い。
つまり、分かりようもないことを見通してみせる異能のことだ。
これを標榜した日本人が二人、明治の過渡期にあらわれたことがある。
十九世紀といえば、蒸気機関車が産声をあげた時期だ。その煤煙を狼煙にして、多くの学問が勃興してきた只中に、現今の物理学の常識をくつがえすような異能が現れた。
またそれを有名大学の教授連も認めたこともあって、千里眼は新しい学術の萌芽かともてはやされたが、結局はインチキの烙印を捺されて、いまや娯楽の中にその名を見るだけだ。
今も尚、まことしやかに囁かれている発火現象やサイコメトリーなどの超能力のなかで、このひどく埃被ったジャンク品。千里眼。それを高らかに掲げるモッコクの家に、風岸はなんとも言えない薄気味悪さを感じてしまう。
ましてそれが、事実であるなら、尚更に。
こと怪奇きわまることが大好きで、所属するゼミやサークル内で、自らの趣味を吹聴することに余念のない出雲青年も、これには後退りしてしまう。
――いやなに。千里眼なにするものぞ!
と気を奮い立たせて、錬鉄細工の門扉まで来てみれば、石畳の玄関ポーチにひとり、先客が立っていた。
黒のワンピーススーツに真珠のネックレス。やや脱色気味のウェーブがかった髪が肩に掛かる。見るからに弔問客のような出で立ちだった。
彼女はインターフォンを押すと、脇におかれた一抱えある傘立て用の壺をのぞき、そこにさしてあるビニール傘の柄を掴んで、神経質そうに位置を正していた。
が、家の奥から跫音がすると、ぴたりと止めた。
「お待ちしておりました」
四十半ばの端正な顔立ちの男が、女を迎える。
事前に伝えてあったとみえて、彼女は会釈も早々に、人目を厭うようにするりと中に進入した。
男も心得て、すぐに戸をしめようとして、門扉に突っ立っている出雲に気づいた。
「おや」
と、言った顔が穏やかに綻ぶ。
「ご無沙汰しています」
「ああ、今日だったね。よく来てくれた。歓迎するよ」
威儀を正すような振る舞いから、一転して寛ぐような対応みせる。
彼、
彼はもとは私立高校で日本史の教鞭を振い、こと大学院では文化人類学を専攻。妖怪、神話生物、精霊といった各国の想像界の生き物に幅広い知見を有している、学者肌の男性である。
専攻分野が被ることもあって、その博覧強記たる巨人の肩を借りるべく、大学近くの純喫茶で話すこと五時間余り、大学生と四十後半の大人が、互いにメロンクリームソーダ一杯で時間を埋められるほど馬が合った。
学者の性か、容姿には頓着せず、柔らかい癖のある髪質をそのままに、厚い黒縁の眼鏡をかけ、撫で肩の身体に白いシャツを羽織っている。これも出雲には同類の匂いがして、非常に好ましい印象をうけていた。
そんな彼の口から、実母の家業について聞いたのは、二週間ほど前のことだった。
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