第8話 黒い位牌

 権田藁は無精髭を撫でながら、ふかい息を吐く。


「呆けたことを言い出し、偶然的中したために、神がかりめいた言動と見なされた。三年前もそうだった」


「三年前? では、当時の捜査に」


「関わったよ。奴等は憶えていないようだが、この家で、鶴子にも聴取した。そこで分かったのは、鶴子の言動が、まったくアテにならないということだけだ」


 現在、鶴子は八十五歳。


 認知症療法が確立している現在であっても、その進行を緩徐するしか手の打ち所はない。三年前からその傾向が強く出ていたのなら、いまや会話もままならないのではないだろうか。


「それでも聴取を」


「仕事だからな」


 しばらくして、赤袴をはいた巫女姿の和代が応接室をのぞいた。

 それから待機している客が一人欠けていることに、目を眇めた。


「竹本さんは?」


「ああ、彼女なら」


 煙草を吸いに、と出雲が答えようとした瞬間だった。


 応接室の面々は弾かれたように立ち上がった。

 和代のうしろから青白い顔をした昌義が、その咆吼めいた絶叫に、目を白黒させる。悲鳴だ。甲高い、のどをひっつめた声が、家の奥から響いている。


 二人の刑事は直ぐさま、玄関に駈けだした。


 あとにつづいて、出雲、昌義、そして和代がつづく。刑事たちは玄関先から、ぐるりと庭先にまわり、その先の池泉をこえて、母屋と外通路でつながっている小さな庵のほうに駈けだした。


 はたして、竹本は庵の傍で、腰砕けにへたり込んでいた。


「どうした!」


 怒号染みた権田原の声に、竹本女史は震える指先で、庵の格子窓を指さした。


「なかに、なかに」


 土壁に穿たれているその矩形の窓は、内側から緑のレースカーテンが引かれているが、このとき、わずかに十センチほどの隙間が有り、そこから中をのぞき見れた。


 権田原はすぐにそこから内部を覗き、ぐう、と低く呻いた。


 それから彼等は、母屋と庵をつなぐ渡り廊下から、庵の戸口にとりつき、中に乗り込んだ。


 嵐のような恐慌が吹きすさぶ。


 だが、出雲はそのとき、ひどく奇妙なものが目端に映ったことを、この先も決して

忘れなかった。母屋と庵をつなぐ、波打つプレハブ屋根の渡り廊下に、なぜか三宝が転がっていたのだ。


 神前において供物をのせる台が、何故そこにあるのか?。


 そんなことを気にとめている人は風岸青年以外におらず、他の面々は刑事のあとを雛のようについていくことしか出来なかった。


「入ってくるな!」


 ゾロゾロとつづいてくる関係者を、権田原は一喝した。だが、それは全く遅すぎた。出雲たちは、八畳そこらの酷く簡素な板敷きの和室に足を踏み入れ、その奥で鎮座ましましているものを目撃してしまった。


 そこには一式の布団と、白髪の老婆が寝ていた。


 庭先の窓と反対の方向に頭をむけて、寝苦しそうに眉根をよせている。白い羽毛布団を掛けているが、なぜか彼女の胸の辺りだけ、ちいさく丘のような膨らみが出来ている。


 厭な予感に導かれながら、権田原刑事が恐る恐る掛け布団をめくると、そこには黒々としたプラスチックの柄が、くぼみをこちらに向けて、柄元まで沈んでいる。


「ああ」


 と、誰かが呻いた。


 千里眼の老婆の胸部には、黒い位牌の如く、包丁が刺しこまれていた。

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