第9話 容疑者の告発

 騒然となる庵で、鶴子の死亡が確認された。

 

 鶴子の左胸部につきたつ刃物は、ひらに寝かされて、鶴子の第三肋骨の下部に滑り込んでいた。胸の中心にある胸骨体にむかって、ほぼ垂直に突き立てられた刃が向かう先は、人体のエンジン部。心臓をひとつきして、彼女を絶命に到らせたらしい。


「杉山、署に応援要請。終わり次第、現場の保全に勤めろ」


 若手の刑事にそう指示すると、権田原刑事は他の面々をひきつれて、応接室に集合させた。動揺と混乱、恐懼に打ちひしがれている彼等を、鋭い眼光のもとに言い聞かせる手腕は、やはり歴戦の刑事といえるだろう。


 もちろん、そればかりではない。一同、内実は違えど、ひどく恐慌を来して、なかば茫然自失としていたので、空漠として脳裡に思考する力もなく、ただ漫然として、その場の権威者の命令を唯々諾々と従ったにすぎない。


 そのためか、応接室のソファーにもたれ、ふたたび心の浮沈を感じられる頃になると、和代などは半ば失神したようにその場に頽れ、それを介護する夫の昌義も、いまにも卒倒しそうなほど土気色をしていた。


「それで、竹本さん」


 と、戸口を塞ぐように立っている権田原刑事がいう。

 その地を這うような重低音に、竹本はぎょっとした。


「玄関に居るはずのアナタが、なぜ庵の前に居たのですか?」


「え?」


 自分が詰問されると思っていなかったらしく、竹本は目を瞬かせる。いまだ殺人の驚きに占有された思考は、刑事から容疑者として聴取を受けていることを理解出来て居らず、まどろみから起きたばかりのような面持ちで、刑事を視ていた。


「あなたは煙草を吸いにいかれたはず。にもかかわらず、なぜ玄関から、中庭をぬけて、庵の窓を覗いていたのですか」


「それは・・・・・・」


 怪しい煩悶のあと、ふと視線が出雲のほうに向いた。


「・・・・・・怪しい人影を、みたので」


「怪しいとは、具体的に、どのような」


「その、みたことのない、男性で」


「服装は? それに身長と体型、髪型はどのような」


「そんなに一気にわっと言われても、分かりません!」


 竹本は逆上したように吼えた。


「鶴子様が殺されていたのですよ! それも自分たちがいる場所で。まだ殺人鬼がうろついているかもしれない。それなのに、そう一気に問いつめられても、分かりません!」


「まったくその通りです。配慮が足りなかった」


 権田原刑事は殊勝な態度をみせたが、それも数秒ばかりだった。


「だが、あなたがいうように、まだ殺人鬼がうろつきまわっている可能性もある。ですから、その人定を詳しく知りたいのです。御協力していただけますね?」


「きょ、協力なら、今しているでしょ!」


「では一つ一つ始めましょう。まずその人影を見かけたのは、どこです」


 こうして懇々と怪しい人影を問い糾していくが、傍から聞いている出雲にも、それが彼女の偽証であることは充分にうかがい知れた。


 怪しい人影というものに信憑性のひとかけらもない。彼女は応接室を出る前、出雲が見かけた庭から玄関に向かう人影を思い出して、そのささやかな謎に便乗することにしたのだ。


 だとすると、はやり如実に立ち上ってくる疑念の煙は、何故、彼女が鶴子のねむる庵まで向かったのか、という話に立ち戻ってくるのだ。


「・・・・・・犯人は、その女です」


 すると周囲の疑念を代弁する声がぽつりと漏れた。


 和代だ。半ば昏倒しているような状態だった彼女が、いまだ恐懼に絶えかねない身体をゆっくりと起こして、その指で竹本を指す。


 するとどうだ。先ほどまで青ざめていた竹本が突沸した湯水の如く、さっと顔を紅潮させて、和代を睨みつけた。


 そして吐き捨てた言葉は、あるで和代の鏡映しだった。


「アンタこそ、自分の義母を殺したのよ。翔太を殺したときと同じように!」

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