第14話 悲劇の始まり

「母は不思議そうに聞いていたが、蔵本産婦人科の話が出た途端、見たこともないように怯え始めたんだ。ガタガタと震えて、一瞬にして、吹雪の見舞われた冬の山頂にいるような有様だった。僕は彼女を落ち着けて、訳を聞いた。すると、彼女は自分が昔、犯した罪について話し始めた」


 それから彼づてに聞いた話は、およそ権田原刑事が推測している通りだった。


 医院長の指示により、出産された児童を別室に移動させ、まだついている臍の緒で首をしめて殺したり、水をためた桶にうつ伏せに寝かせて、溺死させたともいう。むかし、産婆というのが、口減らしのために双子の片割れを殺すなどという民話を聞くが、それが戦後の産婦人科においても、形をかえながら、そのありようが残っていたのだろう。彼女はそれをした。それをするしかなかった。


「断ることも出来ただろう。だが、そうすれば、退職の憂き目にあい、また口封じの一環として、産科として名の馳せていた蔵本医院長から看護師として落伍者の印を捺される。これが昔の封建的な医界において、免許を剥奪されることと同義だ。

 それに乳児を解剖することによって、病理や術野の解明という題目もあるし、いくばくかの〈手当〉も入る。まして赤ん坊の親が望んでいるのだ。彼女はそれを選んだ。何十人も手にかけたというよ。おそらく発見された数の何倍の〈口減らし〉をしていたんだろう。

 そしていつしか、それが良心を蝕まなくなっていく。だがその記憶はしっかり、その両手に残っていた。ずっと、ずっと、意識の奥底に。こどもの泣く声が聞こえると、ふいに、こう手が、疼いているときがあったらしい。――」


 見様見真似で蠢かす両手は、さながらふとく柔らかい根元を、ゆっくりと絞るようだ。


「どんなに罪を忘れようとしても、過去は其の人の影について回る。そして、母は、言ったよ。杏樹はあのとき、膝をすりむいて泣いていた、と」


「彼女は、やはり」


「分からない。母は認知症だ。記憶が混線して、なにが正しく、なにが間違っているのか判断がつかない。だけど、母はああみえて、心霊や超能力という類いは信じていなくてね。なんたって西洋医術を学んだ看護師だ。手術の介助だってやってのける。総合病院に勤めていたときには、二日酔いの医者のかわりに盲腸の摘出をやってのけたと豪語していたよ。まったく今じゃ考えられない話しだけどね」


 母の逸話を自慢する彼の姿は、まるで幼い少年のようだ。


 だが、すぐに昏い皺が眉間に刻まれる。


「だから、母は言ったよ。もしも、自分が鮮明に遺棄している場所を答えられることが出来たのなら、それは絶対に超能力ではなくて。――」


 みなまでは言わなかった。


 だが、これ以上に腑に落ちる説明もない。そしてその説明の行き着く先は、自分の孫の殺害だけではなく、ほかの多くの余罪の自白でもある。


 千里眼で見つけてきた子どもの多くが、鶴子による犯行である可能性だ。


 竹本の件などがその最たる例だ。彼女は日傘をかけて、長羽織を来ていた。だが、彼女はかならずしも、そこにいる人物の顔を目撃していない。そして紫の長羽織は鶴子が和代にあたえたお下がりであるなら――。


 もしも鶴子が昔、自分が来ていた服をきて、蔵本医院に通っていた昔の意識のまま、漠然と町を徘徊していたのなら、そして、泣き喚く子どもの声を聞いたのなら――。


 昌義も同じように、母親の重ねている罪の大きさに気づいた。自分の子どもを殺しただけではく、ほかの子どもも殺し歩く怪物になっていた母親を前にして、彼はただただ動顛して逃げるようにその場から離れようとした。


 ところが、庵を出た途端、鉄鞭で魂だけを打たれるような衝撃をうける。


「渡り廊下の真ん中に、見覚えのある三宝があった。母が死者とつながるために枕元に遺品を置く台だ。その上に――」



 奇怪とよべる現状である。まさか、殺されていった子どもたちの怨念が、凝り固まって、刃物として顕現したかのような状況だ。だが、昌義はそれよりも、もっと現実的な落としどころを見た。


「奥さんが置いた、そう思ったのでしょう」


 昌義はうなずく。


 戸を挟んで、妻が盗み聴いたのだ。実母のように慕った義母といえど、自分の腹を痛めて産んだ子どもを殺されたとあっては、その煮えくり返る増悪は抑えがたい。


「和代は何より僕に怒りを覚えたんだと思う。自分の子どもが殺されながら、それでも、実母を庇うのか、と。杏樹を殺された怒りや憂い、悲しみは嘘だったのか、と。もしも、僕が本当に杏樹の父親として怒りを覚えているなら、その刃物で母親も殺せるだろう、と」


「そして、貴方は成し遂げた」


「そうだ。それがこの事件の全容だ。老いて鬼畜となった母を殺す。たったそれだけの、ありふれた悲劇の顛末だ。それを分かっていながら、なぜ、偶然の悪魔などと言い出すんだい?」


 昌義が開陳した真相は、どこにも疑念を挟む余地のない悲劇の結末である。


 その実行者たる昌義は、それを十全に知っていたからこそ〈偶然の悪魔〉に怖気と恐懼に身を震わせていた出雲の心情が、皆目見当もつかない。


「それでも俺は偶然の悪魔の犯行だと言わざるを得ません」


 当事者だからこそ、全貌が分かるはずという先入観。


 そのせいで、彼はとんでもない間違いを犯してしまったのだと、さながら癌の告知をする医師のような面持ちで、出雲は説明を始めた。

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