第6話 刑事きたる

 卒塔婆の森もかくやという応接間で、念仏がわりに狂信者の説法を聞いていると、ふと竹本の顔に怪訝な影が浮かんだ。


 それと同時に、玄関の門扉を押し開く音がした。

 

 出雲はふりかえると、ふたりの男が玄関ポーチに向かっていくのを垣間見た。


「おや」

 と、目を引いたのはその容姿である。


 三十四、五の苦み走った男と、それより一回り若いツーブロックの若者。どちらもスーツであったが、その足元は革靴ではなく、機能性のあるスニーカーである。みれば眼差しも鋭く、歩き方にブレがない。体幹を鍛えている。手荷物は一切なく、また上司であろう男の腕にまかれているのは、自らを飾る金銀の腕時計ではなく、合成樹脂でまかれた安物のGショックだ。――十中八九、警官で間違えないだろう。


 鶴子もかならずしも誰彼から心酔されているわけではない。

 このような霊感商法を行えば、警察に睨まれるのは当然のことだ。


 おそらく彼等は被害届をうけて、やってきた警察官だろう。

 担当事件からして、詐欺や汚職などをあつかう犯罪二課と思われた。


 彼等はインターフォンを鳴らして、警察の身分を伝えたらしく、八幡平夫妻は足早に玄関口に立った。そろそろとソファーから立って、戸口からのぞく。


 玄関前には、ふたりの男と、迎えに出た八幡平夫婦が対峙していた。


「なにか御用でも?」


 先手を切るのは、和代夫人である。

 居丈高の物言いは、警官の突然の来訪にも、一切臆していない。おそらく、こうして警察官が寄越されたのも一度や二度ではないのかもしれない。


「以前、鶴子さんが勤めていた病院のことで、少々うかがいたいことがありまして」


「病院?」

 と、不審そうに呟いたのは昌義のほうだ。


「ああ、失礼しました。我々はこっちで」


 お互いに錯誤があったことを理解したのだろう。上司のほうがバッジをみせた。


「南署刑事局権田原ごんだわらと申します」


「一課!?」

 殺人や傷害を取り締まる強行犯の登場に、昌義の声が上擦った。


「で、ですが、母の勤めていた病院は、いくつかありますので」


「お訪ねしたいのは、蔵本産婦人科でして」


 息子の昌義は、記憶のなかでも、かなり年季のある抽斗を開けたらしい。どこかうろ覚えな印象ながら、首を縦に振った。


「かなり昔に、母の知人から聞いた憶えが」


「本人の口から聞いたことは?」


「いえ、なかったかと」


 それから思い出したように、

「あの病院はたしか、十数年前から廃業したかと」


 盗み聞きしていた出雲も廃業の話は知っていた。この蔵本産婦人科医院、ここからさして遠くない場所に建っている。物心ついたときからもぬけの殻で、周囲は藪にかこまれて、学生たちや、その手のものが好きな輩から、心霊スポットとして愛好されていた。


 が、それも最近、ようやく解体の手がはいった。今やその名残は、不法侵入者の落書きと、露出した鉄筋の残骸だけである。


「だが、母は、その・・・・・・」


 昌義は、なにやら言い淀む。

 刑事の前で躊躇いをみせるのは、熊に背を向けるようなものだ。ここぞとばかりに攻めたてられる。現に、権田原と名乗った刑事も、その巨躯に獰猛な関心を漲らせた。


「なにか、聴取が受けられない理由が?」


「恥を知りなさい!」

 突如、ヒステリックな叫びが轟いた。


「義母は今、不甲斐ない貴方方のために、老躯に鞭打っているのですよ!」


 和代はいかに刑事が不甲斐ないか、それを凄まじい数の悪罵でかざり、それから地母神のごとき優しき祖母のありようを語って聞かせる。


「いいですか。もう八十なかばの義母が、こうしてあなた方の為し得なかったことを率先して見つけて下さっているのです。それなのに卑しい狐疑をむけるとは何たる無礼、何たる非道。わたしであれば、世間に顔向けもできません!」


 語り始めこそ、昌義の失言を庇ったように見えていたが、次第に、彼女が他の誰よりも義母の千里眼に陶酔している信奉者で、刑事が向けた不信に対する怒りであることが分かると、苦々しい顔に変わっていく。


 極めつけに、彼女はこう言い放った。


「それに、あなたたちは、杏樹を助けることもできなかった。なのに、のこのことウチの敷居を跨がないで!」


 これには刑事たちも鉛を呑まされた顔色になる。


 彼等もこの家に起きた悲劇を知っているだろう。あるいは捜査に関与していたかもしれない。まして容疑者は事故死して、いまだ事件は宙ぶらりんのままだ。こればかりは旗色が悪い。


 刑事たちの目交ぜが始まった。

 ここで退くか。或いは強行するか。


 その無言の相談をしている最中、ふとこちらの視線に、和代が気づいた。


 その目は猛禽類のごとき鋭さと険しさをまとっていたが、それは風岸ではなく、知らぬ間に隣に立っていた竹本氏に向けられたものだった。


 流石に警察との問答が聞こえれば、野次馬心は抑えられまい。そう思っていただけに、彼女の渋面をうかべた顔が、盗み聞きがバレたばつの悪さではなく、どこか致命的な綻びに気づいたような蒼白さだったのには、驚きを隠せなかった。


 それがどう作用したのか。さっきまで頑なだった和代が一転、すまし顔になって、


「ですが、刑事さん。もし順番を待って下さるのなら、義母にお伺いをたてるのも吝かではありません」


「それは、なによりですが・・・・・・」


 権田原刑事は、和代の急な心変わりに、胡乱げな心証を覚えたようだった。だが余計なことで臍を曲げられては溜まらないと、その条件をのみ、出雲たちのように、そくそくと寒気のただよう遺留品の応接室に足を踏み入れた。

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