第6話 対等

 催眠効果のあるお茶を再度飲ませて呼吸が落ち着いたのを確認してから、マルセルは自前のナイフに蒸留酒をかけた。


 医者は包帯を鋏で切り、傷口を見た途端クラネは顔を引き攣らせ、レネはスミュールの腕の下に畳んだ大判のタオルを真新しいシーツで包んだ物を敷いた。


「……すまない」

 クラネは青ざめた顔で広間をふらふらとした足取りで出て行った。

 こういう場面は苦手なようだ。


 マルセルはレネにも広間を出るように言ったが、レネはできることがあるかもしれないのでここにいると見届ける意思を示した。


 それにクラネがいないなら透過探索をかける人がいなくなる。

 腹を括るしかないのだ。



 日が伸びた春先の頃ではあるが、終った時にはには手元が暗くなっていた。


 医者は新たにカルテと処方箋を書き直してレネに手渡した。


 クラネは町で夕食を買ってきてくれた。

 役に立たなくて申し訳ないと頭を掻いたが、誰にだって苦手はある。気にすることはないとレネもマルセルも言って、クラネの気遣いを有り難く受け取った。


 暗くなる前に二人は帰ったが、まだスミュールは目を覚ましていない。


「レネ、夕飯にしよう」

 光の魔鉱石の照明を点し、空いている部屋に洗濯したシーツやタオルを部屋干し用の竿に干し終えた時に声を掛けられた。


 マルセルが用意してくれたようで、ダイニングにはすでに夕食が並んでいた。

 サンドイッチと鮭のクリーム煮、カットされたオレンジやりんごなどのフルーツ。


 クラネは疲れているだろうからと手軽に食べられる物を選んでくれたようだ。


 クリーム煮はマルセルが温め直してくれたようで湯気が立ち昇っている。

「マルセルさんもお疲れなのにすみません」

「大変だったのはお互い様だろう。さあ、冷めないうちに食べよう」


 クリーム煮を一口食べると、胃の中にすっと落ちていくように染みた。サンドイッチは卵サンドとハムチーズサンドで『サンドリーヌ』と紙袋に印刷されていたという。


「最近できた人気の店ですよ。私が帰る頃はもう売り切れで閉まっていることの方が多いんです」

「へえ、クラネさん頑張ってくれたんだな」


 当たり障りのない会話をしてくれるのが有り難かった。


 マルセルもまた、スミュールの状態や今後のことは食事中にしないように気遣っているのだ。


 会話が途切れても静かに食べ進める。

 二人ともおしゃべりな方ではないので、そうなっても気詰まりになることはない。

 

 気が張っていてあまり空腹は感じなかったが、食べられるだけは食べた。


 するとマルセルは氷冷庫からデザートのプリンを持ってきた。

「デザートまで買ってきてくれたんだ、クラネさん。あ、これ、『プチ・ミニョン』だ」

 毎日のように若い女性が行列している最近できた店だというと、マルセルは一口食べるなり眉を寄せた。

「……美味いな」

 どうやら嫉妬だったらしい。玄人にも対抗心を燃やしてもと思うが、プリンと共にその言葉を飲み込んだ。


 卵の味がしっかりあってカラメルも濃いプリンはあっという間になくなった。


 二人で皿を洗った後にお茶を淹れて、そしてようやく今夜の看護体制の話を切り出した。


「今日は疲れただろう。今夜は俺がついているからお前は早めに寝ろ」

「疲れているのはマルセルさんも同じでしょう。夜は交代制にしましょう」


 一番気を張っていたのはマルセルだ。

 医者は補助についていたが口を出すだけで、執刀から縫合まで全てマルセルがした。


 普段から手先が器用な人だと思っていたが、こんなこともやってのけるとはとレネも感心したものだった。


 だがさすがに終わった直後には、頭に巻いたタオルも口元を覆っていた布巾も汗が滲んでいた。


 体力があるとはいえ、頭や気を使って疲れていないはずはない。


「私は朝の点検がありますので、先に看護につきます」

 マルセルとレネは同僚で、対等だ。

 業務負担は平等にしてほしいとのレネの主張に、マルセルは溜息をついたが同意した。


 今は十九時になろうとしている頃合いだ。

 話を詰めていって、二十時から深夜二時まではレネが、二時から九時まで(八時に朝の泉質検査があるため)はマルセルが看護につくと取り決めた。


 その後、二人で施設周辺の結界が正常に作動しているか確認をしたりしているうちに二十時近くになった。


 ここからレネの看護当番の始まりなので、マルセルにお疲れ様とだけ言うと、マルセルは立ち止まって黙ってレネを見つめた。


「レネ、大変だったらいつでも代わるぞ」


 視線が首に向いているのを感じた。


 魔獣の毒素があったとはいえ、首を絞めた相手と二人きりになるのを慮っているのだろう。

 だがもう手術は終わり毒素は増えることはない。


 これも仕事だ。同僚に負担をかけることはしたくない。


「大丈夫です。何かあったらすぐに呼びます」


 マルセルの腕がすっと上がり、レネの喉元をめがけて伸ばす。


 数時間前に苦しい思いをした記憶が蘇り、レネは反射的に体を強ばらせた。


 マルセルの手が止まり、静かに下ろした。


「首に何か巻いとけ」

 それから絶対に無理はするな、と言い置いてマルセルは風呂と仮眠に入るために背を向けて自室へと行ってしまった。


 レネも広間へ行く前に事務室に戻り鏡を見ると、昔読んだホラー小説のように首に指の跡がついていた。


 タオルを取って首に巻き、読みかけの本を持って事務室を後にした。

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