第14話 魚心

 どれ程頑張ったとしても、色んな我慢をしてきたとしても、叶わないことはある。

 これもそのうちの一つだ、というだけ。


 リュシアンの心の内は自分でも驚くくらい静かだった。

「誰が選出されたのですか」


 ルメールの口元がぴくりと震える。言いにくいのだろう。


「まだ決定はしていない。だが、最有力候補は……アンドレ・スミュール殿だ」


 予期していた答えが聞かされると、静かだと思った心の内に雫が一滴落ちる。


「兄になら、任せても大丈夫だと思います」

 アンドレはスミュール家の次男で、第一騎士団の近衛隊に所属している。

 普段から王族との距離も近く、護衛兵として選ばれるのも当然だ。


 父や継母、祖母が浮かれ立つのが目に浮かぶようだ。


 王都守備が主な仕事の第一部隊所属の自分が選ばれるより。


 リュシアンは三角巾をいつの間にか握っていた手を緩めた。


「スパの医師からの報告書を読んだ。魔獣の欠片が残っていたそうだな」

「はい。ですが、すでに除去してあります」

「君が運ばれた病院の医師の報告書では、手術後に残留物がないか魔術師の探索もしたとあった。その結果、すべて除去したとも」


 リュシアン自身も医者からそう診断を受けた。手術は成功した、と。

 だが良くなる気配はなく、長兄のオリヴィエの勧めで温泉療養に来たのだ。


「医療過誤だったのか、騎士団名義で調査をすることもできる」


 今回の事件には裏がある。

 大凡の予測はついているが、リュシアンの意向を確認するためにルメールはここへ来たのだろう。


「……少し、時間をいただいてもてもいいですか?」

 調査をしたとしても、リュシアンが護衛兵に選出されることはない。


 実りあるための痛みなら多少は耐えられるが、切り刻まれて晒されて痛みだけしかないのなら、それなりの覚悟がいる。


「まだ体調も万全じゃないしな。ここでゆっくり考えろ」

 傷病休暇と残っている有給休暇を使えるだけ使えと、申請する前に上官が承認してくれた。


「ありがとうございます、ルメール隊長」

「君は優秀な隊員だ。大事な部下を守るのは上官の務めだ」


 十二歳の時に家を飛び出すように騎士隊に入隊し、一から騎士というものを教えてくれた恩師でもあるルメールに、リュシアンは再度頭を下げた。



 ノックがあり、話はそこで中断した。

「デュノワです」

「入れ」

 隊長の許可があり、赤い顔の少年騎士が入ってきた。


「夕食の用意ができたので、隊長達をお呼びしてくるようにガランさんが仰っていました」

 敬語を使うのも辿々しいところが見習い兵らしくて頬が緩む。


「ああ、もうそんな時間だったか」

 出窓にある置き時計を見ると、もう十八時を過ぎていた。


「ちゃんとお手伝いしてきたか?」

「はい。『もにたー』をしてきました」

「おい、顔が赤いぞ。肌もつやつやだし、何してたんだ」

「お風呂をいただきました。化粧水と『ぼでぃくりーむ』を塗ってアンケートを書いて、セローさんに『水分量』の測定を受けました」

 デュノワは袖を捲り、上官に腕を見せた。


「隊長もやらされますよ」

 リュシアンはにやりと笑うと、ルメールは両頬に手を当てた。

「最近、皺が増えたからな。おじさんでも効き目あるのかな」

 期待に心弾ませている隊長が少しだけ可愛く見えてしまったリュシアンだった。



 ダイニングには椅子が追加されて、テーブルの上には大きな鍋がある。

 一人席にはレネが座り、隊長とデュノワ、その向かいにマルセルとリュシアンが座る。


「これ、どうなっているんですか」

 鍋の下にある小さな台を指差してデュノワが問いかける。


「これは卓上用のコンロです。中に、火の魔鉱石が入っているんです」

 台所で使うコンロの縮小版だとレネは説明する。


「グラン・フリブールの森で採掘されてるんだよな。でも、いくら地元とはいえ、これ高価なんじゃないのか?」

 ルメールの言う通りで、魔鉱石は冒険者が命懸けで森へ入り採掘してくるので、宝石か時にはそれ以上に高価である。


 隣国のフロレンス国では魔鉱石を巡って事件も起きたと新聞で読んだことがある。


「ここは冒険者ギルドが森へ入る前の前線基地ベースキャンプなので、値のつかないくず石を時々横流し……いえ、融通利かせて置いていってくれることがありまして」


 本来なら、くず鉱石とはいえ魔力のあるものである。

 受け取るにしても買い取るにしても、きちんと記録を残さなくてはならない。

 だが、そこは前任者とギルドとの癒着があり、煩雑な手続きを省略したために黙認が常態化しているのだ。


「魚心あれば水心、です」

「わかった。聞かなかったことにする」


 話のわかる隊長さんで良かった、とレネは胸を撫で下ろしてしてにっこり笑った。


 若い娘と秘密を共有して嬉しそうな上官の顔に軽い苛立ちを覚えたが、鍋の蓋が開けられて食欲をそそる芳しい香りとトマトベースで野菜やきのこのたっぷり入った中身を見るとそんなことは些末なことになった。


 そこに鶏ひき肉と生姜と香味野菜を捏ねた鶏団子をマルセルがスプーンを使って入れてゆき、鶏団子に火が通ったら食べ時だという。


「この時期にトマトが食えるなんて」

 春先に夏野菜が出てくることはほとんどない。あったとしても、上流階級の食卓のみだ。


「温泉を使った農業試験場が町の外れにあるんです。そこでは一年中トマトやきゅうりを栽培していて、ルヴロワの町に提供されているんです」

 これは横流しではないと暗に込めてレネが説明した。


「もう団子に火が通ったから大丈夫です」

 マルセルが見定めてから、いただきますと言った途端に各人に配られたトングがひっきりなしに鍋に突っ込まれていく。

 鍋の縁からはみ出す程だった具材はみるみるうちになくなっていった。


「まだ追加がありますよ。締めはチーズとマカロニを入れてスープマカロニにします」

 マルセルは切った野菜と鶏団子をてんこ盛りにした笊を持ってきた。


 男性陣の目が宝石よりも魔鉱石よりもきらきらと輝く。



   ♧

 やっぱりみんなこうなんだ、とレネは改めて騎士の胃袋に慄いた。

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