第4話 発熱

 広間にはすでにベッドを用意しておいたので、スミュールを抱きかかえたマルセルとクラネが慎重に体を下ろして横たえる。


 怪我をしているなら床に布団を敷いて寝起きするより、ベッドの方が動作し易いのではないかとのマルセルの意見を採用したのだ。

 看護する側も床に寝かせているより都合がいいことも多い。


 冒険者ギルドが森へ入った後に負傷して帰ってくることもあり、動けるようになるまで泊まっていく事例が過去にあったので寝台枠ベッドフレームは前からあった。


 床板が簀になっていて、その上に通気性のいい羊毛の敷布団を敷き、掛け布団は羽毛にして、下からの熱を逃がさないようにベッドカバーは床につく長さにした。


 スミュールを寝かし終え、マルセルが馬車から彼の荷物を運び入れる間に、レネはクラネから引き継ぎを受けた。


 医師からの治療指針と療養工程のファイル、日報を毎朝文書通信するための専用便箋、緊急時の連絡用の手鏡等、大きめの箱に入っていて手渡された。


「中に手引書もあるからよく読んでおけ。わからないことがあれば、いつでも鏡を使うように」


「スミュール様お一人なんですか? お付きの方は?」

「一人だよ。スパまでは伯爵家の従者が送ってきたが、全員帰した」

 スパの看護師もついてきていない。

 つまり看護はレネとマルセルの二人でやるしかないということだ。


「俺の方からもヴィリエに連絡しておく。残業はきっちりつけとけよ。そんな顔すんな。もしスミュール様が全快したら、伯爵家からもご褒美があるかもしれないぞ」

「仕事なのでできる限りのことはします。残業代やご褒美ほしさにやると思われたら心外です」

 真面目だなあ、とクラネはレネの苛立ちをさらりと躱して肩を叩いた。


 クラネは広間に顔を出して眠っているスミュールの様子を見てから、泉質管理事務所を後にした。



 ルヴロワの町の中心にあるサン・ピエール教会の正午を告げる鐘の音が響いてきた。


 眠ったままのスミュールはまだ目覚める気配はなく、レネは手引書を静かに閉じた。


「飯にしよう、レネ」

 マルセルは広間に顔だけ見せた。

 スミュールが起きる気配はないので、手引書を持ってレネは広間を出た。


 ダイニングといっても台所の横に小さな部屋があり、せいぜい四人座れる程度の小振りな丸テーブルと椅子があるだけの部屋だ。

 テーブルにはすでにシチューとサラダが用意されている。美味しそうな香りに誘われて腹の虫が鳴いた。


 席に着くとマルセルがパンを持って入ってきた。


「では、いただきます」

「いただきます」

 サラダから食べ始めて、ドレッシングにわずかにオレンジの香りがした。


「昨日のオレンジの残りで作ってみた。ちょっと甘いな。もう少し……」

 マルセルは食べながら改善点をぶつぶつと言う。

 通いのレネは朝晩は自炊をするが、昼食は彼の手料理のご相伴に預かる。


 無骨な見かけではあるがマルセルは料理が得意で、しかも美味しい。

 代わりにレネは洗濯を請け負い、掃除は区画を分けて手隙の時にそれぞれする。


 この十ヶ月、話し合いながらお互いの分担と妥協点を探り、同僚としての距離感を保つことができている。


「今日、私もここに泊まります。スミュール様の様子が気になりますので」

 スミュールの具合が今後どうなるかもわからないし、急変した時に通信の使えるレネがいた方がいい。


「助かるよ。飯は俺が用意するから」

「ありがとうございます」

 不測の事態に備えて、事務室には一泊分の着替えなどは常備している。寝るところも事務室の空きスペースに布団を敷けばいいだけだ。


「着替えをさせる時に見たんだが、まだ発赤が治まっていない。また熱を出す可能性もある」

 マルセルは第二騎士団に所属しており、魔獣との実戦経験もあるので応急処置の知識はある。

 創傷とは違い、魔獣創は人体にない菌などが入り込むため熱が下がっても油断はならないという。


「後で引き継いだ箱を持ってきますので、マルセルさんも目を通してください」

「どうせ、温泉に入れるってだけしかないんじゃないか?」

「そうなんです。でも発熱があるし、そんな時に入れるとかえって体に負担がかかるんじゃないかと思うんですが……」

 だが医師の指針通りにしなければ、もしものことがあった時の責任をレネにはとれない。


「様子を見るしかないな」

「そうですよね」


 いざとなったら鏡通信があるとはいえ、気が抜けない日が続くであろうことは予期できた。



 昼食を終えて広間へ戻ると、目を覚ましたスミュールが怪我した方とは反対の腕をついて体を起こそうとしていた。


 レネは駆け寄り、起き上がるのに手を貸してヘッドボードと背中の間に枕を差し込んだ。


「お目覚めだったのですね。ご気分はいかがですか?」

「最悪だ。腕が痛い」


 まだ熱っぽい潤んだ瞳をしている。状況が違えば何となく色気があって見惚れてしまうかもしれないが、今はそんなことを言っている場合ではない。


 スパのロゴが刺繍されている寝着は袖に幅があり、捲ると左前腕に巻かれている包帯は血が滲んでいた。


 傷口が開いてしまったのだろうか。

 包帯を取ろうとした時、スミュールは腕を押さえて細かく震え出した。

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