第5話 暴走

 スミュールが怪我をしている腕を抱え込み、痛みが酷いのだろうか耐えるように息を飲む。


「痛みますか? スミュール様」

 ベッドの端に座り、顔を覗き込んだ。


 顔が紅潮し、首まで広がっている。包帯の上から左腕を掴む手の関節が白くなるくらい力んでいる。

「……離れろ」

 食いしばる歯の隙間から吐き出す言葉は掠れていた。


 何かおかしい。痛みを堪える際にこんな風になるだろうか、と思った時だった。


 スミュールの怪我をした方の腕は制止を振り切るように伸び、レネの首を掴んだ。それから徐々に力が加わる。


 手の熱さと力強さで喉があっという間に締まり声も出なかった。


「やめろ! くそっ」

 スミュールは右手で自分の左手を引き剥がそうとするが敵わず、ますますレネの首に力が入ることになった。


 息ができず目の前が霞んできた中で、視界の端に黒い影が見えた。


 鈍い音がして後に手が緩み、レネはベッドから転げ落ちるように逃れた。


「レネ! 大丈夫か⁈」

 マルセルが傍に寄り問いかけてくるが、レネは咳き込んで頷くことしか出来なかった。


 ベッドの上でスミュールが倒れている。

 レネは咳が止まらず、涙と鼻水がだらだら流れて他人に手を貸す余裕はなかった。


 マルセルがサイドボードに積み重ねてあるタオルを取ってくれたので、そこに顔を埋めて咳き込んだ。


「……すまない、セロー嬢」

 体を起こしたスミュールはマルセルに殴られた頬に手を当てて荒い息の合間に謝罪した。


 咳も落ち着き呼吸もしやすくなったので、手をひらひら振って大丈夫なことをアピールした。


「スパに連絡しろ」

 レネとスミュールの間に立ち塞がるマルセルは振り向きもせずに言い放つ。


 レネはふらつきながらも広間を出て事務室へ向かった。



   ♧

 包帯には血が滲み、白から赤へと染まる範囲が広がっていく。


「あんた、何の魔獣に襲われたんだ?」

 相手が貴族であるのも忘れてマルセルはいつもの口調で問いかけた。


「……大金狼だ」

 大型で牛と同じくらいの体躯であるのに、猫のように俊敏な魔獣だ。金色の体毛は剣や槍を通しづらく、冒険者でも難易度の高い魔獣である。


 しかも、毒素が他の大黒狼や大斑狼よりも濃い。


 まだ引継ぎの箱を見てないのだが、この症状からして完全に毒素が抜けていないのは経験上知っていた。


 今は腕だけだがそのうち全身に回ったら大変なことになる。


「悪いが、拘束するぞ」

「……そうしてくれ」


 まだ意識は保っている。だが発熱もしているのでスミュールの自我が毒素に侵食のも時間の問題だ。



   

   ♧

 三十分後、馬車が到着してクラネとスパの医者が、四肢をベッドに固定されているスミュールの姿を見て言葉を失った。


「毒素の暴走がありました。なので催眠効果のあるお茶を飲ませて拘束しています」

 説明したレネを見て、クラネと医者は息を飲んだ。

「セロー、大丈夫か?」

 レネの首には指の跡があざになって残っている。

「はい。軟膏を塗りましたので大丈夫です」

 そこで事態を話して聞かせると、二人とも俄には信じられないようだった。


 スミュールはベッドに横たわり、両足にタオルが巻かれその上からロープでベッドのフットボードに、右手も同じようにヘッドボードに括り付けられている。

  怪我をしている左腕は鎖でベッド下の真ん中の支柱に繋がれている。


「素人ですが、魔術で透過探索をしました。スミュール様の体内にはまだ大金狼の欠片が残っています」

「そんな馬鹿な。王都の医師が執刀して、異物は全部取り除いたとカルテにあったぞ」

 白髪のスパ専属の医者は引継箱のファイルわめくった。


 確かに執刀はされたが、全て除去できるとは限らない。

 そのために魔術師が術後に透過探索して取り漏れがないか確認したはずなのだが。


「過去のことを言っている場合ではないですよ。症状は進行している。早急に外科手術をして残りを取り除いた方がいい」

 マルセルの指摘は的を射ていたので、三人は議論の出鼻をくじかれた。


「だがこの状態では移動は無理だ」

 いつまた暴走するかもしれないし、出血も酷い。病院まで連れて行く選択は避けた方がいい。


「ここでやるのか?」

 クラネが医者を見る。

「設備もないのにできるはずがない。除去手術が成功しても、他の感染症の心配もある」

 白髪の医者は顔色をなくし、白衣を着ているので全体的に白い印象になった。


「先生の専門は?」

 マルセルが尋ねると、医者は目を逸らした。

「神経内科だ。外科の医師はスパにはいないが、湯治療養所にはいる」

「呼びに行っている暇はない」

 及び腰になっている医者に目線で圧力をかける。


「いや、だが……」

 スパは健康相談や内診、転んで怪我をした等の軽傷患者の処置くらいしかしておらず、手術の必要な時は療養所に搬送していたためこの医者は長いこと執刀していないという。


「わかった。なら、俺がやる」

 業を煮やしたマルセルがシャツの袖を捲る。


「ガラン、君は手術の経験があるのか?」

「以前、大黒豹に噛みつかれた後輩の足を切開して牙を引き抜いたことがあります」

 クラネの問いに答えたマルセルは、レネにお湯を大量に沸かすように指示した。


 この事務所にある物だけでどうにかするしかないので、できる限りの物を広間に持ち込んで緊急手術は始められた。

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