第7話 看護

 床にクッションを敷き膝の上にはブランケット、傍のローテーブルにはブレンドした自家製のハーブティーの入ったポットとカップ、そして読みかけの本。


 壁に寄りかかり光の魔鉱石のランプの明かりで本を読んでいると、ページをめくるより瞼の方が重くなる。


 三十分おきにスミュールの様子を見るようにはしているが、日付が変わったあたりから座ると眠気が襲ってくる。


 足腰が温かいので体がふわふわしてくるのだ。このまま床に横たわりたくなる衝動に何度も駆られる。


「……ろ。おい、起きろ」

 ゆっくり腕を摩る手があり、目を覚ました。

 真正面には眉を寄せたマルセルの顔がある。

 寝てしまった、とレネは一気に覚醒して居住まいを正した。


「交代時間だ。変わったことは?」

 差し伸べられた手に掴まり立ち上がって、看護記録のあるベッドの側のサイドボード向かう。


 どこまで記録してあるか不安だったが、時間内の分は記入してあった。

 どうやら最後の三十分で寝入ってしまったらしい。


「まだ目を覚さないようです。でも、熱を測ったら微熱程度に下がりました」

 体温を色で可視化できる魔術で測ったら、手術前は高熱の赤をしてしていたが今は微熱の橙色になっている。


「俺は魔術は使えないから、脈を取って記録すればいいか?」

 レネは頷いた。

 今日また様子を見にクラネと医者が来ることになっている。

 一分間の計測で、その数値を医者が見ればある程度わかるはずだ。


 引き継ぎを済ませるとさすがに欠伸が出た。

「早く寝ろ」

「はい、そうします。じゃ、後はよろしくお願いします」

 クッションとブランケットはマルセルも使うというので置いていくが、ティーセットと本は持ち帰る。


 事務室に着いて着替えをし、布団を床に敷いたらすぐに猛烈な眠気に襲われて、レネはスイッチが切れたように意識を手放した。



 翌朝、レネはからくり時計の熊が鐘を鳴らす音で起きた。

 看護に入る前にセットしておいてよかった。終わってからでは絶対に忘れていた。


 交代時間までは二時間あるが、その間にやることはある。


 まずは風呂に入る。

 事務所には源泉かけ流しの風呂があり、いつでも入れる。

 浴室は二つあり、薬効の高い一番源泉、美肌の湯として知られる二番源泉と気分や体調によって選べる。


 この職場ならではの贅沢だ。


 昨日は泥のように疲れたので、体を洗ってから一番源泉の湯船に浸かり、朝風呂に入るなんて何ヶ月振りだろうとひとしきりかつての暮らしに思いを馳せた。


 風呂から上がり、身支度を整えてから朝食の準備をする。

 台所へ行き、併設されている食糧庫から卵とベーコン、野菜数種類と氷冷庫から牛乳と一先日マルセルが作っていたオレンジカードの瓶を出す。

 パンは昨日の残りがある。


 ベーコンエッグとサラダ、フライパンで焼いたパンにオレンジカードを塗る。

 熱々のパンにオレンジカードが染み込み、一口食べると口には甘酸っぱさとオレンジの爽やかな香りが広がる。

 サラダにかけたドレッシングも彼の手作りだ。常に三種類は作り置きがあるので、今朝はバジルの入った緑のドレッシングを選んだ。


「うん。美味しい」

 マルセルのお陰で食生活はバリエーション豊かになったように思う。


 食後にコーヒー豆を挽いていると、マルセルが台所へ顔を見せた。

「いい匂いだな」

「お疲れ様です、マルセルさん。コーヒー飲みますか?」

「ああ、よろしく」

「スミュール様の様子は?」

「まだだ」

 まだ目を覚さない。そろそろ丸一日眠っていることになる。

 催眠効果のあるお茶が効き過ぎたのだろうかと心配になってきた。


「でも、汗をかくようになった。熱が下がる兆候だ」

 何度かうなされていたこともあるというので、意識がない訳ではなさそうなので少しほっとする。


「サラダは余分に作りましたが、朝食も作りましょうか?」

「いや、自分で作るよ」

「了解です」

 料理の腕前はマルセルの方が上なので、そこはあっさり引き下がる。

 無理強いして、料理の程度を知られて見下されるのはいくらレネでも癪に触る。


 ネルドリップにお湯を注ぐと、コーヒーの馥郁たる香りが狭い台所に充満する。


 マルセルはコーヒーのカップを持って広間に戻った。


 レネはコーヒーを飲んで後片づけをしたらもう八時近くなっていた。


 事務室に戻って支度をして、泉質管理棟へ向かった。



 朝の点検が滞りなく終了し、事務所に戻るとバターの匂いが漂ってきた。


 スミュールの容体も少し落ち着いてきたので、マルセルは朝食を作っているのだろう。


 レネは広間に足を向けた。

 昨日と同じく仰向けに横たわるスミュールの姿がある。


 顔を覗き見ると熱で赤い顔をしているが、額に汗をかいている。


 サイドボードの殺菌効果のある薬草の束が入ったホーローの洗面器で手を洗い、ベッドの反対側にある水の張ってある桶にタオルをつけて固く絞り、汗の滲む額を拭った。


 窓ガラスは外気との気温差で結露ができており、少し蒸し暑いような気がするので窓を開けて換気をした。


 がさごそと布団がずれる音がしたのでベッドに駆け寄ると、スミュールが目を覚まし身じろぎをして傷に障ったのか息を飲む。


「……ここは?」

 起き上がって状況確認しようとするスミュールの体に腕を回して補助する。


「お加減いかがですか、スミュール様」

「君は……」

「泉質管理事務所のレネ・セローです。お目覚めになって良かった。一日近く眠っていらしたのですよ」


 汗をかいているので体が冷えないようにガウンを肩にかけた。

「ありがとう」

 熱のために潤んだ青い瞳で感謝の言葉をかけられると、仕事だとは思いつつも鼓動が速まる。


 美しいというのはどんな時にも破壊力があるのだな、と変なことで感心した。

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