第10話 化粧水

 店の両壁には棚が設置されており化粧水や乳液などの瓶や、クリームの容器が陳列されている。

 ここは主にスキンケア用品を扱う店で、化粧水の入っている瓶にはおしゃれなラベルや装飾が施されてあり、見ているだけでも楽しくなる。


 この店で一番人気の化粧水は『第二の水』だ。

 

 王都の新聞にも載ったことのある、温泉水を使った保湿効果の高い化粧水で知られている。

 温泉に入ったかのような肌感が続くと評判なのだが、大量生産はしていないので在庫切れということも多い。


「どうしたの。納品はまだ先でしょ」

 ジジ・シャトレはレネの膨らんだリュックサックを見て、化粧水の納品にきたのかと勘違いをしているようだ。


 『第二の水』を作っているのは誰であろう、このレネだった。


 美肌の湯として国内外に名を馳せている第二源泉を使い、泉質管理棟の奥にある設備で泉質管理業務の合間に製造している。


 公務員である魔術庁所属の魔術師は基本的に副業厳禁なのだが、これは前任者から引き継いだれっきとした業務だった。


 前任者が魔術庁に事務所の改修工事費用を申請したが承認されず、やむにやまれず費用捻出のために内緒で作ったのが始まりだった。

 ルヴロワの町で本数限定で売り出したのだがあまりに評判が良く、一度使った人がこれだけを買いに町を訪れるようなり、次第に噂が噂を呼んで王都にまで知れ渡ってしまった。


 発覚した前任者は査問会議にかけられたが、委員の中にそれを愛用している人がいて、今更製造中止にすると地域振興に影響が出ると進言してくれたので継続が許可された。


 お陰で事務所の改修ができた上に、化粧水製造のための設備も新調することができ、前任者は研究結果を評価されて昇進し、ルヴロワのスパと大衆浴場の永久利用特権を授与された。


 それらの開発や販売の経緯は非公開だ。

 服務規程があるので外聞を憚り、表立って魔術師特製とは謳われていない。

 

 納品もジジの店が代表して二ヶ月に一度、ジジと彼女の夫が事務所にまで取りに来るのだが、それはつい先週に済んでいる。


「実は、レポートを提出しなくてはならなくなったので次回の納品が遅れるかもしれないんです」

 大家の奥さんと同じ嘘をついた。


 当面はスミュールの看病優先なので、化粧水製造の時間が取れなくなる。

 次回は二ヶ月先だが、影響は少なからず出るだろう。


「そうなの? まあ、本業の方が優先だもんね」

 仕方ないわよ、とジジは軽快に笑った。


「すみません、ジジさん。ご迷惑かけるのでお詫びではないですけど、これ、使ってみてください」

 リュックサックの他に肩から斜め掛けしているバッグから丸く平たい茶色の遮光瓶をカウンターに置いた。


「『第二の水』のボディクリームです。化粧水に少しとろみを加えて乳液とクリームの中間くらいの柔らかさにしてみました」

「へえ、試していい?」


 ジジが蓋を開け指で掬う。すぐに肌に載せないと滴り落ちるくらい緩めだ。


 手の甲に慌てて載せて、手を擦り合わせて広げていくとふんわりと甘くて爽やかな香りが立つ。


「あら、いい匂いね。肌馴染みも伸びもいいし」

「サイハキウムの葉を使って粘性を加えました。塗った後はすぐにさらっとするので、お仕事の途中に何度も塗り直したりしても大丈夫だと思います」


 両手を擦り合わせたジジは本当だと呟き、これなら塗ってすぐに書類仕事もできると顔を綻ばせた。


「ありがとう。でも、いいの?」

「是非、ご家族で使ってみてください。後で感想聞かせてくださいね」

「いい匂いだし、うちの子達喜ぶわ」

 ジジの子供は二人とも女の子で、十歳と六歳。両親によく似た可愛い子達だ。

 二人の子供の顔を思い浮かべて、喜んでくれたら嬉しいな、とレネも口元を緩めた。


 その時、ドアを閉じているのに外で話している声が店にいるレネとジジにも届いて耳目を引かれた。


 何かしらと顔を見合わせていたら、ドアが開いて喋りながら女性二人と初老の男性が入店してきた。


 女性達は身なりのいい服で、男性は燕尾服を着ている。

 貴族か内証のいい家の母娘と付き添いのようだった。


「いらっしゃいませ」

 ジジが接客体制に入ったので、レネは軽く会釈をして店を出ようとした。


「こんにちは。『第二の水』を売っているお店はこちらかしら?」

 令嬢は品よく尋ねているが、どこか気取った色を滲ませる甲高い声だった。


 ただいまお持ちしますとジジが棚に手を伸ばす。

 

「よかったわ。これが買えただけでもここにきた甲斐あるもの」

「あら、私はこれだけでも充分よ」

「お母様は元々そうでしたものね」

「なあに、いつまでむくれているの。もう諦めなさい。リュシアン様は転院されたのですから」

 母娘二人ともよく通る声なのでドアを閉めてもそんな会話が聞こえてきた。


 馬車の中でクラネから教えてもらった、スミュールの泉質管理事務所避難の元となった当該の人物だ。


 こんな調子でスパのロビーで騒いでいたのだろうな、と簡単に想像できる。


 残響が耳にこだまするようだ。


 レネはリュックサックを背負い直し、事務所へと足を進めた。



 事務所に戻り、買ってきた物をマルセルに引き渡した。

「あれ? こんなのも買ってきたのか?」

 新品の下着を広げて尋ねてきた。

「メモにあったから……」

 レネはそれから目を逸らして答えた。あの時の恥ずかしさが蘇り、顔がほてる。


 マルセルはポケットをがさごそと探り、カーディガンのポケットから紙を出した。

「あ、ごめん。必要な物を書き出したメモの方を渡してた」

 レネに買ってきてほしいものメモと、買うべき物リストのメモを間違えて渡してしまったようだ。


 マルセルもしきりに謝るので、追及するのも大人気ないので飲み込んだ。


「すまん。後でカヌレ作る」

 大好物を引き合いに出されて、レネのご機嫌はあっさりと直った。

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