第11話 微笑
スミュールの回復は驚く程で、水曜日まで微熱があったのだが次の日には平熱にまでなり、マルセルに殴られて切った口の中が良くなると固形のものでも食べ、おかわりまでするようになった。
そして木曜日の夕食はベッドではなくレネ達と一緒にダイニングでとった。
しかも牛肉のコートレット(カツレツ)だったのだが、ぺろりと平らげた。
体を鍛えているからこんなに回復が早いのだろうか。騎士とはおしなべてこんな人達なのだろうか。
優雅な相貌に反した旺盛な食欲に、レネは人は見かけで判断してはいけないと改めて思った。
翌日金曜日には医者とクラネが再訪し、熱が下がったのでひとまず安心はできるが、左腕の怪我はまだ塞がっていないので安静にするように言い付けられた。
「そろそろスパへお戻りになりますか?」
移動に耐えられる程回復しているので、本来の場所で加療するかどうかクラネは尋ねた。
「オージェ侯爵夫人達は?」
「明日お帰りになります」
スミュールの眉が一瞬だけ寄ったのを見たが、すぐに端正な顔に戻る。細い顎に手を当てて少し考えを巡らしている。
「いや、しばらくここにいる」
そう告げたスミュールの言葉に反応しそうになったのはレネもマルセルも同じだった。
「ここは人目もないからゆっくり静養できる」
あの母娘がいなくなっても、彼の美貌ならスパへ戻れば新たな奇禍を招きそうだ。
だからといって、ここで静養されても困る。ここは泉質管理事務所なのだ。傷病人を受け入れるところではない。
隣のマルセルを見ると、思いは同じようだった。
「それに、食事が美味い。早く回復できそうだ」
ぱっとマルセルの顔が喜色に満ちる。
「セロー嬢、ガラン殿、もう少しだけこちらにお世話になってもいいだろうか」
「もちろんですよ、スミュール殿。ゆっくり養生してください」
すっかり気を良くしたマルセルが即答してしまった。スミュールは意外と人を見ているようだ。動かし方をよく知っている。
視線はレネに注がれる。
「そ、そうですね。お早い回復になるのでしたら何よりですので……」
ということで、と話はまとまり、なぜだか医者やクラネまでさっぱりした顔をしてスパへ帰っていった。
色々あったから、騒動になりそうな種は他所にいてくれる方がいいのだと思われる。
熱が下がり駆毒もできたので、後は傷がある程度塞がればスミュールもこんな何もない所には長居はしないだろう。
夜中の看護も必要なくなるので、今日からレネも定時で終業することになった。
マルセルとは違い、就業時間は八時から十六時までの八時間。
仕事をしていればあっという間に過ぎていく。
マルセルは料理を褒められて気分が良さそうだ。
まあ、いっか。
ふと視線を感じて振り向くと、スミュールが見ていた。
にっこり笑いかけられたので、レネも取り敢えず口角を上げて微笑みを返した。
泉質管理は三時間おきで、八時、十一時、十四時。
泉質管理棟は事務所の脇にある。
温泉を町中へ供給する配管は土中にあるのだが、管理棟の中だけは地上にある。
石造りの配管から枝分かれした管の蛇口を捻ると源泉が出てくる。
それをホーローの桶に貯めて、定型の文言を唱える。
桶の表面が漣立ち、麦粒程の水滴が複数浮かんでくる。魔術で抽出した源泉の成分で、それぞれ色がついている。
浮いてきた水滴の後ろに白い紙を当て、各成分に変化がないかを目視で確認する。
色が極端に薄かったり濃かったりしたら成分に異常がでているので、その時は魔術で調整しなくてはならない。
「よし、異常なし」
今回も前回とほぼ変わりはない。
指を鳴らすと水滴はぱしゃんと桶に戻った。
次に高さのある手桶を蛇口の下に置き、砂時計を持ってきて湯量を測る。
手桶には目盛がついているので砂時計が落ちきったら蛇口を閉める。
基準の量よりわずかに少ないが、正常値の範囲内なのでこちらも問題はなし。
第一源泉を終えると、少し離れた第二源泉にも同じように検査をする。
「へえ、そうやって検査するのか」
いきなり声がしたので、レネはびくっと体を震わせて振り向いた。
背後には寝着の上にガウンを羽織り三角巾で左腕を吊るしたスミュールが立っていて、レネの肩越しにから作業を覗き見ていた。
「ス、スミュール様。何してるんですか」
「暇だから散歩してたら、ここからすごい湯気が見えたんだ。ドアも開いてたし、何があるのか入ってみたら、君がいた」
泉質管理棟は配管が剥き出しなので室内は暑い。
閉め切っているとのぼせてしまうので、レネが作業をする時はドアは開けっぱなしにしている。
春先の外気との温度差で大量の湯気が立ち上っていたのだろう。
「熱が下がったばかりなのですから……」
「寝るのは飽きた」
騎士隊に所属しているのだから、普段からじっとしていることはないのだろう。
そんな人が病気や怪我で安静を余儀なくされていたのだ。
大人しくしていることは難しいのだろうな、とレネは一定の理解をする。
「これが泉質管理か? 少し見ていてもいいかな」
ルヴロワの町の学校が社会見学で来たこともあるので、他人に見られながら作業するのは初めてではない。
「いいですよ」
第二源泉の検査を説明を混じえながら作業を進めていくと、珍しいのかスミュールは食い入るように見ている。
その瞳は生徒のように好奇心に溢れていて、こういう一面もあるのかと微笑ましくなった。
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