第8話 昔、通った道



 翌々日、マクシミリアンはイネスの家にやって来た。

 マクシミリアンのこの国での滞在先であるシケイラ侯爵も同席した。



 応接間で定型的で、ありきたりの会話が続いた後、無難な挨拶をして、マクシミリアンは帰って行った。






 書斎で、両親とイネスの間で重苦しい沈黙が続く。



「… 賛成はできない」

 父が口火を切る。


「何故… 」


「あなた、病気のこと話した?」

「お母様、どういう意味? 私は出会う男性に持病があります、と宣言する必要があるということ?」


 母の言葉に反論する。


「そうではないけれど、国を離れたら、治療を続けられないじゃない?」

「今は、治療していないわ。経過観察してるだけだもの」


「長年診て貰ってる医師の元を離れて欲しくないし、他国で何かあったとしても、私たちのところから遠すぎる…」


「距離だけで言ったら、国内よりも近いかもしれないわ。医師だって、この国よりも研究も技術も進んでいる」



「待て待て、二人とも。今日の挨拶は、婚約の申し込みでもない。ただ、彼がイネスと交友を深めたい、と言ってきただけだ。病気の話は、後でいい」


「では、何が問題ですの?お父様」


「彼は、いつ国に帰るんだ?」

「まだ決まっていない、と先ほども言っていたじゃない?」


「彼はこの国や、この国の貴族に責任がない。お前に不名誉だけを残して去られては困る」


「まあ! だから、侯爵がわざわざ出向いて、彼の身元を保証したのではなくて?」

「それはそうだが、侯爵だって責任を取るわけではない」


「お父様だって、お母様と結婚するまで、無責任な男ではないかと疑われていたということ?」

「イネス、口が過ぎるわ」

 父も留学中に知り合った母を妻にした。当時、母の両親を説得するのが大変だったという話を聞いたことがある。


「… それは、そうかもしれないな… 」

「あなた… 」


「娘の親とは、そう言うものだ。少しでも、心配の少ない方を選んで欲しいさ。お前は、持病もある。気も強い。基本的に皮肉屋で可愛げを理解してもらいにくい。その上、相手が短期滞在の異国人だ。結婚するとなれば、ここから一週間近くかかる異国に住むことになる。心配だらけじゃないか…」



「気が強いのと、身体が弱いのは、相手が誰でも同じ心配じゃない。短期滞在の異国人と親しくするのは、お父様もお母様も通った道よ」


「… ほら、お前は反対されると、すぐ理詰めで言い返す… 」


「暫く、見守って。それだけよ」

 イネスは椅子から立ち上がる。


「一つ条件がある。毎週、晩餐に呼びなさい。それでボロを出したら、この話はお終いだ。いいな?」


「ボロなんて出ないわよッ」


 イネスは乱暴に扉を開けると応接間を出た。







 イネスの去った応接間。


「まるで、二十年前の君じゃないか… 」

 イネスの父、トリスタンが呟く。


「… ごめんなさい。私より、口達者なのはあなたに似たからよ」

 母、グレースが返す。


「どうするかな…」

「反対しすぎると意固地になるし、恋は燃え上がるわよ?」


「そうなんだよ… しかし、賛成し難いじゃないか… 」

「あなた、私の父と同じ課題を出したのね?」


「まあな… あれは難儀だったからな… 一番、効くだろう。生半可な気持ちなら、すぐに諦めるさ」

 かつて留学生としてグレースの国に滞在中、今のマクシミリアンと同じようにトリスタンはグレースと恋に落ち、彼女の家族とほとんど毎晩夕食を共にした。


「諦めなかったら?」

「君の母国だ。仕方あるまい。他の遠い国よりマシさ」


「兄と姉に手紙を書くわ。イーストレイ伯爵家ね… 」

「身上調査か… 私の時も? リーブズ侯爵家が身元を引き受けてくれていたのに?」

 トリスタンが片眉を上げる。


「ええ… 両親はやってたわね。あなたが、シケイラ侯爵の信用だけじゃ足りないって言ったのと同じよ」

「君の知る範囲で、イーストレイは?」


「代々、評判は悪くない。資産家でもある。政治には深入りしない家よ」

「充分じゃないか… 」


「昔の評判よ?今がどうかは知らないわ」

「シケイラ侯爵家が保証するぐらいだからな… 変な家ではないのだろうが… 」


「手離せる? 一人娘よ」

「いつかはな… 仕方のないことだよ… 」

 トリスタンはため息を吐く。


「王都に住む貴族の次男とか三男でも良かったんだがなあ…」

「トニーとかディオとかね… この国は次男だろうと財産分与があるから、むしろ嫡男でない方が気楽だわ。でも、あちらは、長男しか相続できないもの。マクシミリアンの妻になったら、イネスは男子を産むことを求められるわ… 」


「それは、結婚するなら、必ずついて回る。相手が誰でもな。病気のことはあるが、社交界に出して、結婚相手を探させようと決めるまでに、随分話し合ったじゃないか。何年もしてきた議論を蒸し返すな」


 イネスは子ができにくいだろう、とは言われているが、できないとは限らない。子に恵まれないケースは貴族でもある。それを理由に娘を結婚させないという決断はできなかった。



「それはそうだけれど、いざ相手が見つかると不安になるわ」

「だから、事情もわかっているトニーやディオが名乗りを上げてくれないかと待っていた。しかし、そうはうまくいかなかった。だろう?」


「そうね… 」

「まあ、見定めようじゃないか。イーストレイ伯爵家の嫡男を」


 二人は長椅子で寄り添い合い、ため息をついた。










「イネス様、マクシミリアン様がご到着です」

 イネスが外出の支度をしているとアナがやって来る。


「早いわね… 」

「早くありませんよ。私たちが遅いのです」

 アナが口紅を塗りながら答える。


「今日は、マチネの後、夜は侯爵夫妻とマクシミリアン様とこちらで晩餐です。今日は侯爵も同席されますから、必ず予定の時間に帰りますよ。お召し替えのための時間をお忘れなく」

 アナは、父方の縁戚の娘だ。父の意向に従うものと思っていたが、結局のところ秘密は守られたし、イネスとマクシミリアンに協力的である。


「ねえ、アナは彼をどう思う?」

「使用人の意見は必要ですか?」


「女性として?」

「率直に申し上げれば、顔がいいです。体格も。誠実そうです。優しいと思います。洗練されています。でも、少し、繊細そうです。それがいいか、悪いかはわかりません」


「… そうね。その通りね… 」

「さあ、お待ちでしょうから、仕上げをしましょう」


 アナは、イネスに白粉をはたく。


「私は、ボックスシートの後ろに控えています。後ろにお父様がいらっしゃるというお気持ちでいてくださいませ」

 イネスに仕上げにコロンを振るとニヤりとアナが笑う。


「…やましいことはないわよ?」

 イネスは新しい靴に足を入れると、立ち上がった。

「そうでしたか?」

 後ろから聞こえるアナの意地悪な一言は聞こえないふりをした。





 玄関ホールまでやって来ると、マクシミリアンと両親が待っていた。にこやかに会話していて、ほっとする。


「お待たせしました」


 マクシミリアンは微笑むと、恭しくイネスの手を取り口づける。


「気をつけて行ってらして」

「ライナム子爵、では、また晩に」

 

 二人は両親に挨拶すると馬車に乗り込んだ。



「ふー… 大事になってしまったわね…」

 イネスは、馬車の扉が閉まるとマクシミリアンに呟く。


「これが、普通だよ。僕が気に入られたらいいだけだから… 」


「昨日は、話せなかったけど、あの後はどうだった?」

「… いろいろ言われたけれど… 反論して終わったわ」


「なるほど?」

「… 一つ、話さないといけないことがある。私、持病がある。今も、経過観察で医師に診てもらっている。命には関わらない。でも、将来… 妊娠しにくいかもしれないと言われてるの。それが理由で、この話を白紙にしたかったら… しても構わないわ」



「… それは… きみの健康のことだから… 気にする。でも、白紙にしようとは思わない」

「… わかった」


「普段、具合が悪くなったり、医師に止められてることは? 食べてはいけないものとか?」

「何もないわ。この話はこれでおしまい… でいい?」

 マクシミリアンは頷いて、イネスの手を握る。



「僕のことは何か話に出た?」

「あなたの人柄、家柄の話はしてない… 」


「そうか… 昨日も丁重を通り越して慇懃だったしね… いっそ… rude ぐらいな方が…」


「rude? 無礼って意味? 共通語だと発音は違うけれど…」

「そうだったね… むしろ邪険にされたなら、どう挽回しようか、って対策するんだけれど。取っ掛かりがない分、時間がかかりそうだ」




 イネスはマクシミリアンの手に自分の手を重ねる。

「さ、気を取り直して、アイーダを楽しみましょ?」

「そうだね。楽しもう。最近、評判の演目だけど… あらすじは知ってる?」


「エジプトの司令官とエチオピアの王女の悲恋よね?」

「オペラは悲劇が多いからな。喜劇や、痛快な逆襲劇だったらいいのに… 」


「何故?」

「幸せな結末をきみと見たい。でも、人は悲劇を好む。どうしてだろう?」


「… 人生はままならないからよ。悪人だと思える人にも彼らなりの正義があって、どちらの正義が本当の正義かわからない。皆、いつも勝つわけじゃないから… その不条理を創作に重ね合わせたいのかも」


「なるほどね… それでも、僕は幸せな結末を望むよ?」

 マクシミリアンはイネスの手を取ると、イネスを見つめたままその指先に口付けた。



 馬車が歌劇場に着き、二人は人々の注目を集めながら中へ入って行った。

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