第12話 いつも命懸け



「お前も急だなあ… 」

 フィンボールド侯爵が滞在している貸し家に向かう馬車の中でアントニオが呟く。

 結局、マクシミリアンからは迎えに行けないという謝罪の返事があった。軟禁されでもしてるのかとイネスも訝しんだ。


「悪かったと思うけど、どうせ予定もなかったんでしょ?」

「あるさ。愛しの令嬢の部屋の下でセレナータの一つも歌いたいような月夜じゃないか…」


「やらないクセに… 」

「で、お前の愛しの君は、散々な場にお前を召喚したわけだな。修羅場を見せて貰えるなら、楽しい晩になるさ」


「よしてよ。そんなんじゃないから… 」

「まあ、俺様の社交能力を遺憾無く発揮しようじゃないか!」

「いや、いい!遺憾してよ!」


 イネスの緊張をほぐし、疑念を吹き飛ばすにはアントニオは適任だった。

 あまりにマクシミリアンが不甲斐ないなら、白紙に戻せばいい。イネスも腹を括った。





 フィンボールド侯爵邸の控えの間に入ると、幾人か見知った貴族らが既に到着していた。見るからに若輩二人で参加しているのはイネスたちだけだ。シケイラ侯爵夫妻が呼ばれていないのも不可思議だった。


 待っていると、フィンボールド夫妻がやって来て、食堂に案内する。想定通りだが、アントニオとイネスは横並びで末席に通された。

 マクシミリアンはアン・マリーと共に中央にいる。八歳児を晩餐の席に着かせるのは、前代未聞だ。他の参加者も異様なものを見るような視線を投げかける。


 マクシミリアンはイネスの姿を認めると、胸に手を当てゆっくりと視線を下げ挨拶した。





「今宵はお忙しい中、お越し頂き感謝いたします。こちらへの滞在も残り僅かとなり、滞在中の感謝の気持ちをお伝えすべく、この晩を用意いたしました。どうぞ、皆様、今日は存分にお楽しみください。後ほど、楽団も呼んでいますので、ダンスもお楽しみ頂けます」


 慇懃な挨拶がなされるが、通常より人数が多い上に、末席では疎外感が否めない。顔見知りのゲストが数組あったにも関わらず、正面も隣りも初対面の貴族夫妻だった。


「酷いな」

 アントニオがイネスの耳元で囁く。


「おや、ペレイラ伯爵、素敵なベルトですね」

 アントニオがイネスとは逆隣りの男性に声を掛ける。


「ああ、今年作らせたものです」

 ペレイラ伯爵は、アントニオに顔を寄せて続ける。


「食事の席でする話でもありませんが、屋敷の裏の農場で、死産の仔牛が出ましてね、不憫にも。アンボーンドは値が高くつくもので、迷ったのですが、少しばかり融通させたんです」


 ペレイラ伯爵はテーブルの下で腕時計を外すと、そのハラコのベルトをアントニオに見せる。


「それはそれは。手触りは最高ですね。私は領地に引きこもって、狩りと農業の真似事をしてましてね… ポニーなんかも最近はこうした加工をさせ始めたんですよ。悪くないですよ」


 紳士二人の内緒話は盛り上がり、微妙な雰囲気漂う食卓の中では異色だ。

 他の紳士方も二人の会話に入ろうと耳を傾け、農場や革の加工の話に花が咲く。こちらは末席であるために、ホスト側の儀礼的な会話とは対照的だ。



 食事が進んでも、アントニオを中心に話題が途切れない。伯爵家次男の気ままな領地生活を面白おかしく話し続けるが、アントニオの人柄のせいか、好意的に受け止められる。

 ご夫人方も時折、声を上げて笑っている。


 相変わらずホスト側は白けた雰囲気だ。

「デザートの後、楽団を入れますが、タンゴをお好みの方は?」

 雰囲気を変えようと、フィンボールド侯爵が皆に向けて声を掛ける。


「最近では、若い方はタンゴも踊られるとか?アントニオ殿はいかがかな?」

 意地の悪い言葉が飛んでくる。


「ええ、上手くはありませんが好きですよ。しかし、踊れるパートナーにはなかなか巡り合いませんがね」

 快活にアントニオが答える。イネスは自分にも矛先が向かうのではとどきりとする。


「イネス嬢はいかがかな?」

 やはり、来た。

 タンゴを踊るつもり・・・のドレスを着ているかどうかなどお構いなしだ。そもそも、足を見せないのが貴族のマナーだ。保守的なマクシミリアンの国でははしたないと言うかもしれない。


「いえ、私は全く」

 恥をかかせる作戦は健在なようだ。



 それっきりその話は終わった。

「イネス、念の為、練習するぞ」

 アントニオが囁く。

「いつよ?」

「皿が下げられたら、階段の踊り場で」

 アントニオは、仕返ししたくて仕方ないらしい。



 その後、席を立つタイミングを見計らい、別々に部屋を出た。



「やったことはあるけど、怪しいわよ」

 イネスは家を出る前に足首に付け替えたブレスレットが外れていないことを確認すると、人気のない廊下でアントニオの言うがままステップを繰り返す。

「どうせ、上手い人なんていないだろうから、それなりでいいさ」

 息が上がるまで繰り返して部屋に戻ると、他の男性らも喫煙室から戻るところだった。



 晩餐室の隣のホールに楽団が準備している。マクシミリアンは相変わらず子守をさせられている。

 さすがにもう眠いようで、機嫌の悪いアン・マリーをなだめすかしている。



「では、始めましょう。アントニオ殿、イネス嬢、どうぞ皆に手本を」

 侯爵の合図で楽団がタンゴを演奏し始める。



 そう来るだろうとは思っていたものの、やはりだ。だ



 アントニオがイネスの手を引き、巧みにリードしていく。イネスは基本のステップを繰り返すだけで後はアントニオ任せだ。

 イネスが足を捌くと、足首のブレスレットが煌く。


「アントニオ殿、さすがね」

 ご夫人方の感嘆の声が聞こえる。

「イネス嬢もお上手」

「なるほど… タンゴの時は、足首を飾ると見栄えがいいな…」


 イネスがボロを出す前に、アントニオが上手く切り上げて場を納めた。

 参加者から拍手が上がる。反対に侯爵は面白くなさそうだ。



 イネスとアントニオの元に、飲み物を持ってマクシミリアンがやって来る。

「イネス嬢、私と踊って下さいませんか?」


 子守しかせず、全く助け舟を出さなかったマクシミリアンにイネスは腹を立てていた。マクシミリアンがイネスの元にやって来たことは他の参加者も横目で見ている。

 少なからず、二人がシケイラ侯爵公認の仲であることは知られている。そのイネスが、別の男性のエスコートで食事の場に現れ、さらにマクシミリアンがダンスを申し込んでいるのだから、二人の動向は注目されて当然だ。


 フィンボールド侯爵夫妻は、目の前で決裂するのではないかと期待している。


「どうでしょうね… 」

 イネスの曖昧な返事に、聞き耳を立てていた夫人方が息を飲む。


「どうか… 私にも、あなたの手を取る栄誉と慈悲を…」

 マクシミリアンはそう言うと跪く。


 イネスの国では、女性を口説き落とすためなら、男性は跪くことを厭わない。特に市民は。しかし、マクシミリアンの国はそうではない。だから、さすがにイネスも驚いた。

 儀礼的なものではなく、マクシミリアンのそれは完全に懇願だからだ。



 どう返そうかと考えていると、アントニオがイネスの前に一歩出る。


「その前に… 私が相手を。マクシミリアン殿」

 アントニオの言葉にマクシミリアンはすっと立ち上がる。

「ちょっと…」

 イネスは小さな声で二人に声を掛けるが、二人は上着を脱ぐと、黙って中央に向かう。



 

 マクシミリアンがタンゴのリズムで手拍子を打つと、楽団がそれに合わせて奏で始める。



 緊張感が漂う中、誰かが呟く。

「男性二人というのは初めて見るわ…」


 二人は向き合い、ステップをしながら時折腕を絡めながらリズムに乗る。

 イネスと踊った時とは違い、互いに睨み合い、まるで挑発し合う喧嘩のようなダンスだ。アントニオは荒々しく、マクシミリアンは洗練されていてキレがある。離れては、ぶつかり合うようなダンスか続く。


 息を呑んで見ている人々から、自然と手拍子が起こる。さながら、格闘技を観戦しているかのように。

 イネスには、この喧嘩の行く末がどこに落ち着くのか見当もつかないが、見る者には極上のエンターテイメントであることは間違いなく、呆れつつも二人の巧みなステップに見入ってしまう。


 ダンスが終わると、それまでの張り詰めた雰囲気は消え、笑顔で互いに抱擁し合う。


「やるな?」

「まあね」

「守らねば許さんぞ」

「僕のやり方で必ず」


 二人が囁き合った言葉は、拍手でかき消された。



 汗だくのままマクシミリアンはイネスの前にやって来た。

「僕の手を取って… リズ」

 イネスは一歩前に出ると無言でマクシミリアンに手を預けた。



 二人が手を取るのを見て、楽団はワルツを演奏し始める。

 マクシミリアンにとっては、悲願となる初めてのイネスとのダンスだった。

 イネスはマクシミリアンの腕に手を添える。湯気が出るのではと感じるほどマクシミリアンは熱い。その熱気に戸惑って言葉が出ない。


「今日は辛い思いをさせてごめん」

 マクシミリアンが囁く。


「いいわ。男同士のタンゴ以外は予定通り・・・・だもの」

「きみの冷たいあしらいは演技に見えなかった…」


「ふふ、打ち合わせ通りよ。また死にかけた? 」

「いつも命懸けさ… 」


「あの人たちは諦めた?」

「多分ね… ほら、廊下の向こうで癇癪を起こしてる声がする」


「親の駒にされて不憫…」

「いや、あの親にして、あの子ありさ」


「そうかしら?」

「あの絵の少女はきみだろう? のびのびと…芯が強く育ったのは、きみの両親のおかげ」


「あら… 気が強いって言ってる?」

「そこに惚れ込んでるから」


「… 私があなたを補えるのは、これくらいかもよ?」

「補う?」

「こっちの話」

「こっちってどっちさ?」

「内緒」


 二人が睦まじく囁き合う様は、見る人を魅了した。



「よく一日でタンゴを覚えたね?」

「実は踊れるの」


「え? アントニオも?」

「彼は領地の移民に教えて貰ったんですって。私は去年から先生をつけてるの。アントニオにも内緒だけど… 」


「じゃあ、ワルツの後はタンゴにする?」

「いいけど、手加減しないわよ?」

「僕のダンスの先生は厳しかったからね… ご満足頂けると思うよ?」



 ホストの侯爵夫妻以外はかなり寛いだ雰囲気になり、夜会のマナーを踏襲する必要もなく、イネスとマクシミリアンは踊り続けた。

 他の夫婦たちもそれぞれ楽しみ、アントニオは男性たちにタンゴを教えるなど、よろしくやっている。


 侯爵夫妻には不満が残る晩だったようだが、ゲストたちは遅くまで遊び倒し、名残り惜しいと言いながら解散した。






 深夜にイネスが自宅に戻ると両親が起きて待っていた。


「どうだった?」

「成功かな?」


「お前だけで帰って来たのか?」

「ああ、アントニオは今、マクシミリアンが送り届けてる。アントニオがマクシミリアンの膝の上で寝てしまったから、挨拶は明日に改めます、って」


「やっぱりアントニオは頼りにならんなあ… マクシミリアン殿に迷惑を掛けて… 」

 父がため息をつく。アントニオはいくつになってもアントニオだ、と呟いている。


「マクシミリアンはどうだった?」

「いろいろ手こずってはいるけど、上手くやってたわ」


「あのインチキ侯爵夫妻は?」

「つまらなかったでしょうね… かかせるはずの恥はかかせられないし、マクシミリアンは私に跪いてダンスを乞うし、ゲストは皆私たちの味方になってしまったし… 」

 歌劇場とこの晩餐の件で、当面はこの国の社交界では笑い者だろう。


「へえ。なかなかやるわね… 」

「まあ、明日、彼からも話を聞くか… さあ休むぞ」


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