第11話 往来での遭遇



 イネスの家での最初の晩餐は滞りなく進んだ。

 シケイラ侯爵夫妻がマクシミリアンの父との親交を語り、男子のいない侯爵夫妻はマクシミリアンを実の息子のように可愛がっていることを伝えた。

 イネスの両親もそれを聞けば、マクシミリアンを邪険にはできない。


 また、歌劇場でマクシミリアンとイネスに紹介した貴族たちとの話を面白おかしく持ち出し、外濠が埋まりつつあることも示した。

 随所にマクシミリアンの温厚でユーモアのあるやり取りや、毅然とした態度を取ったエピソードを織り交ぜるため、マクシミリアンに好感を抱かざるを得ない。

 さらには、イネスへの賛辞も忘れなかったため、イネスの両親は気を良くしたり、恐縮したりと大忙しだった。


 侯爵夫妻の話ぶりは、イネスは学ぶところがたくさんあった。マクシミリアンの父が、シケイラ侯爵に信頼を置いている理由がわかる。




 帰り際に、侯爵夫妻の屋敷へイネスが招待され、イネスの両親も話の流れの都合上断る理由もなく、順調に両家の親睦が深められた。






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「どう思う?」

 イネスの父トリスタンの書斎で母グレースが問う。


「悔しいが、好青年だ。今のところな。異国に妻を求めずとも、国内でも引き合いが多いだろうに… しかし、イネスはアントニオぐらいで手を打って欲しかったな」


「また、その話?」

「あのぐらい豪胆な方がイネスに向いているんじゃないか、とな」


「豪胆同士は無理よ。最近、アントニオが狙っているのは、小さくて可愛らしくて守ってあげたくなるようなタイプよ」


「そうか… ディオゴは?」

「あの子は… 飄々としていて本音がわかりにくいから… いつもイネスがイライラするのよ。性格が合わないわ」


「難しいな… 」

 トリスタンはマクシミリアンが持ってきた酒を煽ると、目を閉じた。





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 その次の週、顔を出すはずだった慈善活動にも茶会にもマクシミリアンは現れなかった。どちらも直前に急な予定が入ったと詫びる花を持ってマクシミリアンの侍従がやってきた。


「何だか、肩透かしね… 」

 自室で紅茶を飲みながらイネスが呟く。


「… 」

 そばにいたアナが、独り言なのか返事を求めているのか、と躊躇う。


「カレッジの試験が近いのかもしれませんよ?」

 アナは本心ではそうは思ってはいないが、穏当な理由を述べた。

「仕方ないわ… それなら約束しなかったら良いのに…」


「イネス様、ブレスレットのお礼をご用意しますか? 付き合いのある商会を呼ぶか、街で探されますか?」

 


「… 気分転換に街に出ようって言ってる?」

「どちらでも構いませんよ」


「じゃあ… 行こうかしら。ブレスレットのお礼って何がいいのかしらね… 」


「ピンの類、カフス、マフラー、刺繍ハンカチ、万年筆あたりが無難で、スキレット、パイプ、葉巻、ライターなどは相手の嗜好によりますね。価格帯が見合わないですが、懐中時計、腕時計も男性向けです」


「ありがとう… そういう贈り物をするのは、何だか気が乗らない。モノで釣ろうとしてる感じがする」

 男性が毎日つける装飾品ならお返しにしたいが、時計はやはり仰々しい。


「お礼は今言ったようなモノでなくとも良いと思いますが、何かお考えはありますか?」


「お茶を淹れてあげる? 肩を揉む?」

「… 何かして差し上げるのは良いと思いますけれど、それがマクシミリアン様に変な動機付けになるのはよくないです」


「パブロフの犬みたいな?」

「ええ、贈り物をすると、肩を揉んでもらえるというのは、あまり良くありません」


「… そうね… 彼が喜ぶことをする… のがお礼になるとは思うけれど… 」

「モノの方が無難です」

 間髪入れずにアナが回答した。







 結局、アナに説得され、二人で繁華街にやって来た。礼の品を探すはずだったが、イネスの好みの骨董品屋やギャラリーを巡る。


「これにする」

 目抜き通りの外れのギャラリーでイネスが手に取ったのは無名の画家の絵だった。飾られていたわけでもなく、片隅に無造作に置かれていたものだ。


「こちらは… 近隣国のタペストリー描きが書いたものです。小遣い稼ぎに肖像画を請け負ったのでしょうが、これは躍動感があり過ぎる。よくできた人物画… なのか、風景画なのか。当たり前ながら、肖像画としては気に入られなかったんでしょうね… 何人かの画商を経由してここに流れ着いた絵です」


 イネスは画商の話を聞きながら、絵を見入る。

 ブランコから飛び降りようと顔を輝かせる貴族の娘と、貴族の邸宅の庭が描かれている。絵のモデルとしてじっとしていられず、遊び回る姿をそのまま切り取ったようだ。

 正面を向いて描かれる肖像画よりも、その絵の方が彼女らしさが表現できているのではないかと思う。


「私の幼い頃に似ている気がするのよ」

 木に登って降りられなくなった頃の自分もこんな風だった、そんな理由でそれを選んだ。マクシミリアンは幼い日をイネスと共に過ごせなかったと悔しがっていた。イネスの幼い日を彷彿とさせるその絵をイネスが贈る意味を、マクシミリアンならわかるはずだ。


「華美なものではなくて… 古い額をつけてくれる?」

「額の方が高くつきますが… 」

 

「いいのよ」

 額装次第、シケイラ侯爵邸へ届けるよう手配した。





 アナを伴って馬車に乗ろうとした時だった。

 後ろにいたアナが足を止めた。


 ふと気になり、アナの視線の先を辿るとマクシミリアンが歩いている。アン・マリーと手を繋いで。


 イネスが立ち止まったことに気づいたアナがバツの悪そうな顔をする。

「声を掛けるわ」

 イネスはアナに一言告げると、二人の方に向かう。


「マックス!」

 イネスの声にマクシミリアンが振り返る。あの娘の前でマクシーと呼ぶのは癪に障る。真似でもされたらたまらない。何しろ、イネスだけの特別な呼び名なのだ。


「イネス!」

 マクシミリアンは気づくと、アン・マリーを置いてイネスに駆け寄ってくる。


 駆け寄ってきた勢いのまま、マクシミリアンはイネスの両肩に手を掛けて左右にチークキスをした。


「… 」

 イネスは驚いて固まってしまう。

「ごめん、つい… 会えて嬉しくて… 初めてやってみたよ… この国ではするよね?」


「… うん… でも、貴族はしないのよ… あと、唇も付けないの… 音だけ… 」


「ごめん… 」

 マクシミリアンはイネスを腕の中に納めたまま謝る。

「それに… 最近、会いに行けなくてすまなかった。会いたかった」


「忙しかったなら仕方ないわ」

「… エジプト王の問題。彼らはあと一週間で帰国するから、それまでは難しい。明日の晩餐は何とかしたいけれど、行けないかもしれない」


「… あ、シケイラ侯爵邸に届け物をする。受け取れる?」

「… いつ?」


「三日か四日後ね」

「いないかもしれないけど、受け取れる。また連絡するよ」


 マクシミリアンはイネスをハグすると、待たせている人々のところに戻って行った。


「… ハグも貴族の挨拶ではしないとお伝えした方がよろしいですよ」

 呆然とするイネスの手を引きながらアナが呟いた。







 昼間の出来事を思い出してぼうっとしていると、家令がやってきた。


「お嬢様、明日の晩の献立ですが… 鴨が手に入りましたがよろしいですか?」

 家令が話し始めると、続けて母が入ってくる。


「イネス、明日の晩に、とフィンボールド侯爵から晩餐会の招待状が来たわ。急な上に失礼極まりない…」


 イネスがそれを手に取ると、儀礼的な案内文の下に一言添えてある。


「… アン・マリーと共にお待ちしています マックス… 」

 読み上げて唖然とする。マクシミリアンの字ではない。マクシミリアンは、明日の晩、ここで晩餐の約束をしている。アン・マリーと・・・・・・・とは何なのだ。他家の晩餐会でマクシミリアンがホストをする訳でもない。


「これ、マクシミリアンが書いたんじゃないわよ!」

「私でもわかるわ。そのぐらい… フィンボールドって、あちらの国の貴族が何故、こんな真似をするの? 説明してくれる?」


「… 」

 フィンボールド侯爵家の話は両親には話していない。




「子どもじみた嫌がらせね。マクシミリアン殿は知らないだろうし、シケイラ侯爵も知らないわね。あの家は評判悪いのよ… 」

 母は説明を聞き終わるとため息を吐く。


「対策としては、一つ目はお断りの定型文を送るに留める。二つ目は、晩餐会に乗り込む。三つ目は、予定通り・・・・マクシミリアン殿を我が家に招く。どうしましょうね?」


 どうするか、と尋ねておきながら母は臨戦態勢である。


「一つ目だと、舐められるわよね。二つ目だと、重ねて無礼を働かれて恥をかかされる。三つ目だと、宣戦布告?」


「マクシミリアン殿がどう振る舞うかで二つ目と三つ目は結果が変わるわよ?」

「相手は、八歳よ」


「え? 子どもじゃないの」

「やり過ぎると子ども相手に大人げないと、こちらが嘲笑されるわ」


「あなたが反撃する必要ないわよ。今は。マクシミリアン殿がやれないなら、愛想をつかせばいい。この程度のことで守れないなら、娘はやれないわ」



「アナ、晩餐会に出席する準備をして。マクシミリアンにも出席すると遣いを出して。マクシミリアンが迎えに来なかった場合は、アントニオかディオゴにエスコートして貰う。お母様、これでいい?」


「いいわ。鴨は明後日ね… アントニオもディオゴも無理なら、お父様が行くわ。その場合は、マクシミリアン殿とは完全に決裂する覚悟で」

 母はため息を吐いた。

 

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