第4話 人生の宝物探し



 翌日、イネスが花と共に受け取ったカードには、"親愛なるリズへ"、とだけ書かれていた。定型文は書かれていなかった。


 イネスは返礼のカードに "親愛なるマックスへ"と書いてみる。マックスと呼ぶのはイネスだけではないだろう。これでは誰だかわからないかもしれない。



 彼はルシアを慕っていたのではないのか。昨晩は楽しかったが、くつろいだ・・・・・仲、というのは、あの時間だけの遊びだと思っていた。


 親愛なる・・・・という呼び掛けは、定型句だ。大した仲でなくともそう呼び掛ける。一晩明けても、彼がまだリズ・・と呼ぶのは、くつろいだ・・・・・仲を気に入った、まだ続けたいという意味にも取れる。



 ルシアを出し抜いて彼と親しくなるのは気が引ける。いや、ルシアは昨晩、ありきたりのダニエルと三度踊ったという。三度も踊れば、それなりの仲だと言っているようなものだ。ルシアがあのありきたり・・・・・男とどうにかなるとは、俄かに信じがたい。



 いずれにせよ、この返事は突き放した返事にすべきだろう。



--

Nor wilt thou then forget


Liz

--


 新しいカードに手早く記すと侍女のアナに手渡した。

 他の誰も呼ばない特別な愛称を求めたマクシミリアンに、リズと呼ばない限り、自分のことなど忘れてしまうのだろうと皮肉で返した。わざと彼の国の詩人の詩を使って。


 






 その日の夕方、イネスの元にまたカードが届いた。



--

What is all this sweet work worth,

If thou kiss not me?


Max

--


 この甘いやりとりさえ、きみが口づけしてくれないのなら、

 何の意味があるというの?


 マックス




 その詩の意味を理解した瞬間、イネスは花に添えられたカードをうっかり落としそうになる。これは、イネスとそういう・・・・仲になりたいとはっきりした意思表示だ。

 くつろいだ・・・・・の意味が違う。


 運んできた侍女のアナを見ると慌てて目を伏せる。封筒にも入れず持たせたそれは、彼の使用人も、アナも読んだだろう。

 今頃、下の階ではイネスが貰ったカードの送り主は誰だと大騒ぎに違いない。両親の耳に入るのも時間の問題だ。


 いや、これは外国語だ。冷静に考えれば、使用人の中でも理解できるのは数人だ。

 しかし、アナは子爵家の娘だ。読めるだろうし、引用元も理解しているだろう。

 


「イネス様、送り主から言付けがあります。歌劇場にお誘いしたい、と。それと、お返事を頂けるなら、と下で先方の使用人が待っていますが、いかがなさいますか?」


「アナ、このカードを読んだ?」

「… いえ」


「目に入るわよね。隠さなくていいわ。意味を理解した?」

「…はい」


「他に誰か見た?」

「今日は二度とも、先方の侍従のトーマスが私を呼んで直接手渡すので… 私しか見ていません」


今日は・・・って?」

「これまでも何回か、花を頂いています。ただ、送り主がわからなかったため、イネス様にはお伝えしておりませんでしたが… 」

「それも、彼だったの?」

「先ほど、トーマスに確認したところ、そうだ、と」


 花を贈られていたことを知らなかったわけだが、それでは礼の一つも返さない無礼な女である。




「今まで礼をしていなかったこと、どう思われたかしら…」

「イネス様は、名無しで贈られた花のことをご存知ない、とトーマスには伝えました。ですから、トーマスが直接、私に手渡しすることになりまして… 」

 


「お母様たちの耳に入ると思う?」

「いえ」


「仮に、入ったとしたら、歌劇場の話をどう思うかしら?」

「どういうつもりでお付き合いをするのか問われると思います」


 イネスは思案する。母は異国に嫁いで苦労をした。だから、イネスにはそれを望んでいない。歌劇場へのエスコートは、最初の一歩ではなく、何ステップも進んだ先の話である。今、母の耳に入れば、寝耳に水だと、叱られるに違いない。



「… 近いうちに返事をするわ。今日はお帰り頂いて… 」

 アナは頷くと、部屋を出ようとする。



「アナ、待って… 明日の昼は、王立公園の温室に行く予定だと伝えてくれる?」

「はい。そこでお待ちするという意味ですか?」


「いえ、ただ、予定を伝えるだけ。返事も要らない」

 昨日のあの会話の意味を取り違えていたのだとしたら、会って話すべきだ。こんな調子でカードを送られ続けられたら、家族に誤解される。



 まるで試しているみたいだが、いきなり歌劇場はあり得ない。

 それに、誘いに一つ返事で乗るとは思われたくない。







 翌日、アナと共に王立公園を訪れた。


 公園に足を踏み入れてから、気持ちが落ち着かない。

 ただ、温室を散策するだけ。会わずに帰っても、ただそれだけだ。イネスは自分の心に鋼の鎧を着せる。

 期待すれば、落胆する。だから、期待しない。試験を課したのはイネスであり、それに合格するかどうかはマクシミリアン次第だ。




 温室の少し手前で足が止まる。

「私、何をしに来たのかしら… 」

 イネスの後ろを歩いていたアナが隣に並ぶ。


「お話をなさりたかったのでは?」

 アナがイネスの独り言に答える。


「… そうよ。あんな詩を送ってきたり、歌劇場に誘ってきたり… そういうのは困る、と伝えるために来たのよ… 」


 伝えるために来た・・・・・・・・。まるで、マクシミリアンが来ている前提ではないか。


 自分の中に矛盾した気持ちが入り混じっていることに気づく。

 短く目を閉じ、乱れた心を空っぽにする。


「… やっぱり、今日は帰るわ… 」

 イネスは踵を返す。




 数歩進んで、空っぽにしたはずの心が、飛び跳ねた。

 近くのベンチでブロンドの青年が本を読んでいるのが目に入ったからだ。

 青年は顔を上げる。



「おや… イネス嬢! 偶然ですね」

 本を閉じると、足早にイネスの元にやって来る。イネスが呼び出したわけではない。だから逢引きではない、とイネスの意図を正しく理解して、偶然・・と言っている。


「ご機嫌よう。マクシミリアン様」

 イネスはアナに下がるよう目配せする。


「散策をご一緒してもよろしいですか?」


「ええ」

 声の届かない距離でアナがついて来るのを確認する。

 会わずに帰ろうとしていただけに、完全に準備不足だ。何から話すつもりだったのか。心だけでなく、頭まで空っぽだ。


「リズ、会えて嬉しい」

 マクシミリアンが手を差し出すと、つられてマクシミリアンに手を預けてしまう。


「まあ、特別な印がなければ、きっとお忘れになっていたでしょう?」

 言わなくていい一言が口をついて出る。これでは、忘れて欲しくなかったみたいだ。言わなくてはいけないのは、これではない。


「手厳しいね。特別な印は僕のためじゃない。きみの心に僕という特別な印が必要だと思ったんだ」


 花を貰っていたのに気づかない野暮なイネスへの仕返しということか。とは言え、今さら花のことを謝るのも、センスがない。先制するつもりが、最初から後手だ。


「あなたの心には、特別な印は必要ないのかしら?」

 結局、また棘のある言葉で返してしまう。

「必要ない。初めから、一つしか印はないのだから」


 マクシミリアンを見上げると、眩しいほどの満面の笑みだ。昨日から、イネスは皮肉しか言っていないのに。


「次は、迎えに行かせて欲しい。きみが本当に現れるのか不安で、寿命が縮んだよ」

 マクシミリアンは、イネスの手を彼の胸に当てる。


「きみを見つけられない不安と、きみを見つけた喜びとでこんなに速く鼓動してる」

「それって、私が来ても、来なくても、寿命が短くなってしまうのでは?」


「そうかもしれない… 」

 マクシミリアンはそう呟くと声を上げて笑う。


「生きるのも、死ぬのもきみ次第だから」

「大袈裟よ」

 イネスはどんどん戦意が削がれてしまうのを感じる。


「何時から待ってたと思う?」

「私は、午後と言ったから… 午後一時?」

 咄嗟に温室の話を出したから、何と言ったかうろ覚えだ。


「いや、きみは昼に・・と言った。昼食を一緒にできるかと思って近くにレストランを予約して… 正午になる前から待ってた」

「え? もう午後二時よ? 昼ご飯は食べてないの?」


「だって、ここから離れたら、行き違いになるかもしれないじゃないか」

「ごめんなさい… カフェでも行く?」


「温室を回ってからにしよう。今は胸がいっぱいで食べられない」

 イネスの手を胸に当てたまま、マクシミリアンが歩き出す。


「… 私も」

 ため息と共に、小さな声でイネスは呟く。

 会えるのか、会えないのか、と落ち着かない気持ちで過ごして、会えたことに安堵する。安堵したはずなのに、胸が苦しい。

 これでは、マクシミリアンと同じではないか。



 マクシミリアンに牽制を入れるつもりで来たはずだが、すっかりマクシミリアンのペースに乗せられている。

 鋼の鎧はどこに行ったのか、無防備で心が落ち着かない。



「え? 何が私も・・?」

「… 何でもない。ありがとう。待たせてごめんなさい… さあ、南国の花を見に行きましょう」

 解放された右手をマクシミリアンの肘に掛け直して、温室の入り口をくぐった。花でも眺めながら、態勢を整え直す必要がある。







「サボテンの花が咲いてる…」

 イネスが立ち止まる。

「百年に一度しか花が咲かないサボテンがあるというけれど、これは?」


「どうかしらね… 」

 二人で屈んで、説明を読む。


「あ、あっちかな? センチュリープラントと書いてある」

「思ったより小ぶりね」


 二人で見ていると、温室の管理人が側にやってきた。

「これは、昨年花を咲かせまして、今は新しい株になったばかりです。次に花が咲くのは数十年後です」


「まあ…」

「だとしたら、見に来られるかわからないな… 」

 マクシミリアンは国に帰るからだろう。留学の期間は聞いていないが、一年か二年で戻るに違いない。

 急に現実に戻される。この先に待っているものは何なのだろう。




「この小さな株は裏にまだあります。育ててみるお気持ちのある方にお配りしております」


「では、後日、取りに来たい。取っておいてくれないか?」

 マクシミリアンが管理人を呼び止めると、管理人は恭しく礼をして去って行った。





 マクシミリアンに手を引かれて、ベンチに腰掛ける。


「ねえ… あなたは、こうして令嬢を追い掛け回すのが趣味なの?」

 イネスだけでなく、他の令嬢にもそうしているんだとしたら、話は変わってくる。

「え?」

 心外だと言わんばかりに、マクシミリアンが聞き返す。


「夜会以外の場所まで、令嬢を追い掛けるのは初めてだけどね」

「まあ、夜会では追い掛けてるのね」

 いつまで、皮肉ばかり言うのだろう。可愛げのあることを言えない。


「きみはこうして、僕を誘い出すのが趣味なの?」

 マクシミリアンもイネスにやり返してくる。

「誘い出したつもりはないけれど… 面白そうな趣味かもね… ふふ」

 イネスは自分で答えておいて笑ってしまう。

 つられてマクシミリアンも微笑む。


「きみの周りには… 僕みたいな気安い関係の男は何人いるの?」

「気安い関係? なんだか、軽んじられてるみたい」

 イネスはむっとする。


「ごめん。そういう意味に取らないで。じゃあ、質問を変えるよ。僕よりも、きみに近しい男性は誰?」


「… 兄のミゲル、幼馴染のレナート、アントニオ、ディオゴ… 」

「たくさんいるな… 」

「付き合いが長いもの」



「どうしたら、僕はその一人になれる?」

「その一人になりたいの?!」

 あの男どもと並び立ちたいとは、どういう心理だろう。


「ある意味、なりたい」

「そうね… じゃあ、私のお母様のバッグに蛙を入れて来れる?」

 悪友としか言いようのない幼馴染たちとの思い出を振り返る。


「そんなことをしてきたの?」

「そうよ。それとか… 茶会の最中に、庭の木から飛び降りて登場するとか?」


「何歳のときの話?」

「五歳? その時レナートは十五歳だったけど。男四人はすぐにお父様に見つかって叱られたんだけれど、私とルシアは木から降りられずに、一時間ぐらいかしら行方不明になって大騒ぎになったのよね」


「それでどうやって降りたの?」

「先にお説教から解放されたアントニオとディオゴが戻ってきて、私とルシアを背負って降りたわ」


「何だか、アントニオとディオゴが素敵な男性に思えてくるよ、その話は」

「今度、紹介するわ」

 あの悪がきたちとこの洗練された美青年が親しくなるとは想像がつかない。


「はは、ありがとう」

「あなたの子どもの頃は?」


「妹が二人。ほとんど領地で過ごしたから、遊び友だちは近くの荘園の息子や牧師の息子たち、使用人の子どもとか。でも、寄宿学校に入ってからは付き合いがない。寄宿学校の友人たちは今も時折連絡してる」


「寄宿学校は、女性も?」

「後半の三年間はね」


「きっと、女の子の注目を集めたのね… だから女性の扱いが上手なの?」

「それなりに。嫡男というだけでちやほやしてもらえる。女性の扱いは妹二人のおかげかな… 」


「なるほどね… 何故留学を?」

「今しか、外の世界を見る機会はないから。王都に出て積極的に政治する家系じゃない。この先、同じ場所で暮らし続けるのかもしれないと思ったら、飛び出していたよ。知らない文化、知らない人に出会いたい」


「そう… 私はこじんまりした私の世界しか知らない。外には楽しいものがある? 何を勉強しているの?」


「工学と経営学。鉱山を持っているんだ。それに、製鉄も始めた。知識も必要だけれど、この街に集まる人脈に期待してここに来たんだ」


「へえ… 事業家の顔もあるのね。勉強の時間を割いて大丈夫?」

「それで落第して、一年長くここにいてもいい…」


「貴族らしい考えね…」

 イネスは呆れる。

「この先に負う責任を考えたら、一年ぐらい長く勉強させて貰いたいかな」


「ふふ、一年遊ぶの間違いじゃない?」

「厳しいね。その一年は、もしかしたら、僕の一生の宝物を見つける一年かもしれないから… 」


 マクシミリアンはイネスに微笑みかける。まるでイネスをその宝物・・だと言っているようだった。


「宝物ね…」

 マクシミリアンがそれなのか…






「また、こうして会える?」

 マクシミリアンはイネスの手を取る。そうだ、今日の本題はこれだ。いきなり歌劇場に誘われても困ると伝えるために、呼び出したのだ。



「疾しいことをするのは嫌よ。こういうのはこれっきり」

 両親に黙って、こそこそと男性と逢引きするなど、イネスの性に合わない。


「では、きみのご両親にご挨拶を」

「… それは、今はまだ」


 両親にそんな意図で挨拶したらどうなるか。異国人と結婚するつもりなのかと問い詰められるに決まっている。両親に会わせるなら、イネスにもそれ相応の覚悟が必要だ。


「僕を知ってもらうために、きみに会いたい… 」

 世間一般の貴族子女たちは、どうやって相手と知り合うのだろう。


 夜会のあの短い時間に?

 忙しなく人が入れ替わる間には無理だ。

 お茶に招待する?

 家族に話さなければ無理だ。

 家族に話せば、本気かと問われる。

 本気になる前に、異国人などやめておけと言われるに違いない。


 考えても、答えが出ない。


「知って… その先は?」

「… きみが… 僕をきみの人生の宝物の一つにしてもいいと思ったなら、僕を選んで欲しい」


 心臓が締め上げられる。

 選ぶ… のはイネスなのか。


「それって…」

「僕の国に一緒に来て欲しい。こんなこと… 数回話しただけの男に言われて、すぐに返事なんてできないってわかっているけれど、そのつもりで、きみを追い掛け回してる。ゆっくりでいい。一年かかっても、二年かかっても」


 イネスは、温室の天井を見上げる。

 好ましい、好ましくないだけでは決められない決断がその先にある。

 マリアの言っていた、与えたいと思う気持ちが自分の中に芽生えるか、マクシミリアンがイネスに与えようとしてくれるものが何かを見極めたい。


「今はそこまで考えないで、まず、僕を知って欲しい」

「考えないわけにはいかないじゃない… 」


 暫く考え込む。



「三日後のレベーロ侯爵家の夜会、五日後のガマ商会の茶会、一週間後のムーラ伯爵家の夜会。これが、私の出掛ける予定」


「… 迎えに行っても?」

 マクシミリアンは困惑している。イネスもだ。

「… それも… まだ…」

 その言葉に、マクシミリアンが落胆しているのがわかる。


「マックス… 」

 一昨日、くつろいだ・・・・・仲になろうと話して以来、初めて名を呼ぶ。


「急がないで… 気持ちが追いつかないの… 両親や、ルシアとも話さないと。筋を通さないと、先に進めたくない」



「… わかった。でも… 期待させて」

 マクシミリアンはイネスの指先に口づけを落とした。



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