第14話 花が咲くその先まで
イネスが国を離れて三年が経つ。マクシミリアンはイネスのために、毎年領地から王都にイネスを連れ出し、社交界で異国人であるイネスの居場所を作り出した。
イネスも母の親族を始め、故郷にいるときと同じように気の置けない友人を作ることができた。
「ねえ、名前はどうする?」
王都郊外の貸家の寝室の長椅子に寝そべり、イネスがマクシミリアンに問いかける。
「男の子なら、オリバーと決めてる」
マクシミリアンは読んでいる本から目を上げる。
「苦難に負けない名前、オリバーね?悪くない」
「女の子なら?」
「それが、思いつかないんだよ… 何となく男の子のような気がしてるから」
「じゃあ、女の子だったら、私が決めるわ」
「アイデアはあるの?」
「まだない。でも、私の国の名前をミドルネームにする。それだけは決めてる」
「勿論、賛成だ。男の子でも、ミドルネームを付けたらいい」
「ふふ。そんなことをしたら、五つ必要よ」
「オリバー・トリスタン・ミゲル・レナート・アントニオ・ディオゴ?」
「そうよ、長すぎるわ。順番だって、喧嘩になる」
故郷の家族と幼馴染たちを思い浮かべて、笑いを堪える。
「普段使わないミドルネームならいくつあってもいい… 遠く離れていても彼を助けてくれる頼もしい家族がいる証なんだから」
「やだ、本気?」
イネスが問い返しても、マクシミリアンは微笑んだままだ。
「心強いじゃないか。異国から妻を取ることの責任の重さを、僕だけじゃなく彼にもわかってもらわないと… 」
「責任の重さじゃないでしょ? あなたがこの大家族を気に入ってるのを知ってるのよ?」
「はは… きみが望むなら、何人でも子が欲しい。助け合う家族がいるのは、僕には羨ましかったしね。僕にも兄弟ができたみたいで嬉しく思ってる」
「彼らはいくつになっても、楽しくつるんでるものね」
アントニオとミゲルは鉄道が開通するといの一番に訪ねて来て、男兄弟のいないマクシミリアンは二人の来訪をイネス以上に喜んでいた。
子を授かる確率は低いだろうと、この国の医師にも言われていた。だが、医師らの見立てに反して、イネスに新しい命が宿った。そのため、子ができたとわかった時の二人の喜びようと言ったらなかった。
「隣のスタンフィールド家も同じ時期に生まれるのだろう? 夫人は気さくな方だし、きみも相談できる相手がいると心強いよね」
「まあ、あなたに最初に相談するわよ? 出産も子育ても女だけの仕事ではないもの。乳母任せも嫌よ」
イネスはニヤりと笑う。
「勿論! いつだって、何にだって一緒に戦うよ?」
「ふふ、赤ちゃんのお世話が戦いだとわかってくれていて良かった。でも女同士の会話も必要。ケイトは親友よ。同じ時期に妊娠がわかって、本当に頼りにしてる… 」
イネスよりいくつか若い隣家の夫人、ケイトとは今の屋敷を借りてすぐ親しくなった。年齢やいずれ伯爵位を継ぐ夫を持つという共通点が二人の仲を後押ししたが、何より気が合う。
王都に屋敷を持とうと決めた時、マクシミリアンがイネスの付き合いやすい隣人をこっそりと、しかし徹底的に調べていたことをイネスは知っている。
貴族街のしがらみを避けて、あえて自然が多く残る場所を選んだ。イネスが育ったタウンハウスも同じように郊外だったからだ。
何軒か上がった候補の家の中でも、厄介な年配の女主人のいる地域は避けた。貸家にしたのは、近隣の貴族たちと合わないと感じたらいつでも引っ越せるようにだ。
イネスの腹心とも言えるアナも連れてきた。また、アナが長くイネスの側に居られるようにとアナに縁談を用意しようとした。しかし、結局、マクシミリアンの侍従のトーマスが名乗りを上げ、家格の釣り合いも申し分ない上に、同じ主人に仕えるほど都合の良いことはなく、アナが快諾したため、あっさりと話がまとまった。
後でアナがイネスに白状したところによると、アナと彼は仕事でやり取りをする中で、仲を深めていたという。
アナはイネスより早く子を授かり、屋敷の離れの一つで暮らしている。屋敷自体は広い方ではないが、住み込みの使用人が家族で暮らせる別棟があるのもマクシミリアンの配慮の一つだった。
後から後から、マクシミリアンの配慮が行き届いていることに驚かされた。派手なパフォーマンスではなく、先々を見越してイネスの幸せを守ろうとするマクシミリアンのきめ細やかな愛は、国を離れてから一層強く確かな絆を紡いだ。
「年越しの前には家族が増える。夢みたいだ」
夏が始まる前、タウンハウスから領地に帰ろうとしていた矢先、イネスの体調が悪くなり、妊娠がわかった。結局そのまま夏の間中を王都で過ごした。イネスの身体を考えれば、医師の多い王都で出産するべきだし、マクシミリアンもイネス一人置いて領地に戻るつもりもない。
「一度帰って、戻って来ても充分間に合うわよ?」
マクシミリアンはイネスが横たわる長椅子の前に跪くと、イネスの腹に耳を当てる。
「片時も、この子ときみを置いてはいかない」
「もう… 耳を当てても、まだ何もわからないってお医者様も言ってるのに… 」
「だとしても、ここに存在していることを感じていたい… 」
「ありがとう… 」
「こちらこそありがとう。僕の人生の宝が二つに増える」
「私にもね… ダンスは上手いし? 優しくて、こんなに愛してくれる旦那様がいる。それに、私たちの子どもまで… 幸せよ」
「ダンスね… 僕にはきみを愛する以外に碌な才能はないからな… それがなければ、きみをここに連れては来れなかったかもしれない」
「ふふ… ダンスは冗談よ… 私を穏やかな気持ちでいさせてくれるあなたの愛が私には必要なの」
イネスが肘をついて顔を上げると、マクシミリアンはイネスに優しく口づけする。
「センチュリープラントが花をつける頃には、僕たちはおじいちゃんとおばあちゃんだ。そのずっと先まで、きみを愛し続けるよ、リズ。僕たちの物語は、幸せな結末を見せるって約束だ」
マクシミリアンは愛おしそうに、イネスの腹を撫でると、優しく抱きしめた。
完
この後、番外二篇あります。
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